酒井順子著『下に見る人』(角川文庫さ15-17、2016年1月25日KADOKAWA発行)を読んだ。
裏表紙にはこうある。
人が集えば必ず生まれる序列に区別、差別にいじめ。そして我々の心に芽生えるのは「上から目線」ではなく、「人を下に見たい」という欲求! 誰もが無意識に持つその心理と社会の闇を、自らの体験と差別的感情を露わにし、酒井順子が徹底的に掘り下げる。小学校時代に級友につけたあだ名の話、学歴、センス、容姿、仕事、収入、モテ度、結婚――今まで誰も気がつかなかった人間の本音の本音に斬り込む意欲作。 解説・寄藤文平
「甘い誘惑」
昔は「弱いものいじめ」だったが、「今ネット上でのいじめを見ると、何らかのプラスのポイントを持っている子がいじめられていることが多いのです。」「ネットは、弱者にとって恰好のいじめ手段となりました。」
「エンガチョ」
誰かが何か汚いものに触れたりすると、
「わぁ、汚い。エンガチョ!」と人差し指と中指をクロスさせるのです。
(こんな言葉、すっかり忘れていましたが、遠い昔を思い出すと、ただ、「エンガチョ、エンガチョ~」とはやし立てただけだったような気がします)
身に浴びてしまった穢れは、他人に移さないかぎり、不浄の身になってしまうという恐ろしい遊び、いじめだった。
「素人・玄人」
しかし昨今、素人女と玄人女の境目が、はっきりしなくなってきました。・・・玄人女はプロとしての女性性を売るのではなく、「素人っぽい」部分を売り物にするようになってきたのです。
素人女の方は、・・・玄人女のようなファッションやメイクをしてみたり、やたら手練手管に長けていたり。
「ブス」
私を含め、中途半端な容姿の人がブスを嫌うのは、「自分とブスの間に、きっちりと一線を引いておきたい」と強く思っているからです。
「下種(げす)」
世の中をざくりと上と下に分けるとしたら、その境界線に近いところにいる人ほど、他者をしたに見たい、という欲求は強くなるのです。それは自らのポジションを死守するための自衛手段ということができるでしょう。
「あとがき」
人を上とか下に分けずにいられない病が不治のものであるならば、その病の存在を自覚し、表には出さないということが必要なのではないかと、私はおもっております。それがせめてものマナーだろう、と。」
その他、ニックネーム/ドリフ/第二次性徴/偏差値/センス/女子高生/地方出身者/男尊女卑/就職活動/得意先/組織/結婚/身長/敬語/つらい経験/おばさん/お金/上から目線/世代/解説
本書は2012年11月角川書店より刊行の単行本に加筆・修正。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
相変わらず、「そうだよな」と相槌打ちながら、スイスイ読める。なんとなくそう思っていたことを、明快に、えげつなく書いていて、なっとくできることが多い。
酒井順子さんは、文章が上手い。わかりやすく、的確に分析して、明快に表現する。
色々な雑誌に書き散らかしたエッセイを集めて、無理に分類したエッセイが多いが、酒井さんのエッセイは、本全体を一貫したテーマで貫いたものが多く、わかりやすい。