hiyamizu's blog

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立川談志『談志楽屋噺』を読む

2018年09月23日 | 読書2

 

立川談志著『談志楽屋噺』(文春文庫た24-1、1990年3月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

楽屋は、芸人にとって人生の重要な修行の場でもある。立川流家元の著者は、現在、落語協会、芸術協会が取り仕切る寄席に出演できない。三十余年を過ごした寄席の楽屋への深い愛着と、そこで出会った有名無名の芸人たち。愛憎入り乱れて描く、狂気の男、純粋な男、小心な男、破廉恥な男たちの、面白くて哀しいエピソード集。

 

この本を書いている当時、談志(松岡克由)は50歳、高校1年生中退で柳家小さんに入門し35年。

 

三遊亭小円朝門下の朝之助から話は始まる。前座の談志のところにやってきて、小粋な芸だが売れていない市馬の弟子になりたいと云う。朝之助は人生と芸にマイナーな部分を求めてきた男だった。談志と朝之助は互いに稽古しあう仲だったが、彼の芸は陰気な芸で客に受けず、談志はどんどん人気が出てきた。彼はやがて競馬に入れ込み、酒におぼれ、寄席をしくじって、行方知れずになり、野垂れ死にしたという。

 

馬次は真面目で、若手で落語が一番うまく、今いれば古典派の大幹部だった。お内儀は「あれは作ってるんだから、無理している。いつかボロが出るよ」といったが、

あの頃あの世界は作らなゃあ居られないし、生地でいけば私のように総スカンを喰ったし、人がいいのは相手は警戒しないが、それまでだし……とまぁいろいろネ。

彼は、酒を飲んであたりかまわず喧嘩して、ヒロポンと女のトラブルで、寄席から遠くなって20代で自殺した。その後、歌次という前座も、春風亭一柳、柳家きん平も自殺した。

 

人気テレビ番組『笑点』の最初のメンバーは、司会が談志で、円楽、歌丸、きん平、小痴楽、金遊(後の小円遊)。

きん平は自殺、小円遊も、小痴楽も梅橋となって死んだ。「あとは円楽と歌丸も時間の問題だ。」

 

鈴々舎馬風は開口一番、「えー、よくー来たなー。…もうお帰りよ、って嘘だよ」という。「お客さまのもし近所に火事でもあったときは、住所と名前さえ書いといてくれれば、飛んでって手助けするよ。一日も早くあればいいと、ただそればかりを祈って……、悪い野郎だネ」

 

次々と、笑い話が続き、シャレというより酷い迷惑行為、酒やばくちで歯止めがなくなっての自滅が続く。

 

単行本:1987年(昭和62)白夜書房刊行

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

談志の意図は、滅びゆく伝統芸、そしてそれを支えた芸人たちを語ることに主眼があったと思う。談志は伝統芸維持の重要性をなにより尊重しているのだが、同時に、現代に支持されないと生き残れないことも十二分にわかっていて、ジレンマに悩んでいる。

 

私にとっては、伝統芸のうんぬんかんぬんよりも、競うように滅茶苦茶な生き方をして、それゆえに身を崩して死んでいった若者たちの生きざま、死にざまが衝撃だった。シャレもだんだんエスカレートして、シャレにならないようになり、迷惑千万な行為になってしまう。

「無事これ名馬」という言葉にすがりついて、なんとか40年のサラリーマン生活を切り抜けた男には、考えもつかない破天荒な若き日を過ごし、多くの者は死に至った若者の記録だ。

 

書いた時点がすでに30年以上前なので、すべて時代の空気が全く違う中での出来事ではあるが、よくも書き残してくれたと感謝したい。

 

TVをつければお笑い芸人が出てきて、ニュースキャスターまでお笑いで、女優、女子アナの結婚相手はまたまたお笑いという時代に、過ぎし日の芸人の生きざまを知るのも良いと思うのだが……。われも年取ったなあ。

 

 

 

目次

第1章 狂気と冒険―若くして逝った芸人たち(朝之助/円之助/馬治/橋之助/小痴楽/小円遊/つばめ/三平)
第2章 粋と爛熟―私の好きな芸人たち(馬風/小半治/アダチ龍光/東京の漫才師たち/泉和助/講釈師たち)
第3章 楽屋おもしろばなし

第4章 様々な落語家たち

対談 色川武大vs立川談志

あとがき

文庫版のためのあとがき

 

コメント
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