湯川豊編『須賀敦子エッセンス2 本、そして美しいもの』(2018年7月30日河出書房新社発行)を読んだ。
イタリア文学者でエッセイの名手だった須賀敦子のかっての担当編集者・湯川豊が、須賀敦子没後20年を記念して全集から厳選、編纂した短編集。『須賀敦子エッセンス 1 仲間たち、そして家族』に続くそのⅡ。
Ⅰ 本 須賀敦子の本との出会いを描く9篇/ Ⅱ 美しいもの 8編/ Ⅲ サバの詩7篇/解説――読む少女の行方 湯川豊
パリの図書館を訪ねながらフィレンツェの図書館を思い出していた。
ふたつの国の言語をまもりつづける、それぞれの国の図書館が、自分のなかで、どうにかひとつのつながりとして、芽をふくまでの、私にはひどく長いと思えた時間の流れについて考えていた。枠をおろそかにして、細部だけに凝り固まっていたパリの日々、まず枠を、ゆったりと組み立てることを教わったイタリアの日々。さらに、こういった、なにやらごわごわする荷物を腕いっぱいにかかえて、日本に帰ったころのこと。二十五年がすぎて、枠と細部を、貴重な絵具のようにすこしずつ溶かしては、まぜることをおぼえたいま、私は、ようやく自分なりの坂道の降り方を覚えたのかもしれなかった。(p173)
(この部分、パソコン入力して、須賀さんの文章は、漢字を避けてひらがなで書く場合が多く、読点も多いことに気がついた。でも、この文章は読みやすくはない。)
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)
『須賀敦子エッセンス 1 仲間たち、そして家族』には、はるか昔にイタリアで出会い、仲間となった多くの魅力的な人たちが、哀愁をもって描かれていて、私を魅了した。しかし、この本は、須賀さんの本との出会い、なつかしいイタリアの町の訪問記が主体である。少女時代の本との出会いには、「ふむふむ」と引き込まれたが、イタリアの町の散策、仲間とまでは言えない影響を受けた人々の話は、興味はあってついつい読み進めてしまったが、入れ込むほどではなかった。
湯川豊(ゆがわ・ゆたか)
1938年新潟生まれ。慶應義塾大学卒業後、文藝春秋入社。須賀敦子担当の編集者だった。「文学界」編集長、同社取締役を経て東海大学教授、京都造形芸術大学教授を歴任。
2010年『須賀敦子を読む』で読売文学賞。
著書、『須賀敦子エッセンス 1 仲間たち、そして家族』、本書、『イワナの夏』『本のなかの旅』『丸谷才一を読む』『星野道夫・風の行方を追って』など。
須賀の編集者だった湯川は「解説」で須賀の文章の秘密について以下のように書いている。
須賀は夫の死後1971年に帰国してから8年後に、ナタリア・キングズブルグの『ある家族の会話』の翻訳し、連載した。完了後、進められて最初のエッセイ『ミラノの霧の風景』を書いた。
ナタリアは文章を「読むように」書けばよいのだと気付き、彼女の新しい文体を作り上げた。須賀はナタリアの翻訳作業を進める中で、より自分の思うような文章が書けるようになって、長いあいだ書きたいと思っていたエッセイを書いたと思われる。
「ひとが、自分の体の一部にとりこめるような文章を読む。あるいは、体の一部にとりこめるように、読む。そして、そういう文章を書くということが、「読むように」書く、ということではないか。」と湯川は考えている。
巻末にある7篇のサバの詩よりも、分かりやすいジョッティの詩(p204)が気に入った。
「ヒヤシンスの記憶」
白と薄むらさきの
二本のヒヤシンス、さっき
ぼくにくれながら、ちょっと
笑ってた、きみに似ている。
蒼い顔して、白い歯をみせ、
しっかりとぼくにさしだしながら。
いま、コップのなかで蒼ざめて咲く
花たち、色あせた壁を背に、
窓からはいって、すりへった石の上を
よこぎっていく日のひかりのとなりで。
すべてのなかで燦めいているのはあの
蒼ざめた薄むらさきだけ。夜あけが
残した、ひとつの炎。
よい匂いが、家にあふれる。
まるで、ぼくたちの愛のようで、
それ自身は、ほんとうになんでもなく、
ただ蒼いという、それだけだが。燦めく蒼さで、
燃える蒼さで、希望とおなじ、いい匂いで。
ぶと、気づくと、胸いっぱいにひろがる、
その匂い。ぼくの家が、きみの家で、
きみとぼくとが、テーブルに
クロスをいっしょにひろげ、
ぼくたちが準備しているのを
ちっちゃな足で、背のびして
のぞく、だれかさんが、いて。
ほほえましい幸せいっぱいの詩だ。しかし、ジョッティは晩年、二人の息子をロシア戦線で亡くし、妻は精神を病んだという。詩に出てくるテーブルクロスを共に広げた妻と最後に出てくる息子を。
「燦めく」はきらめくと読むなら、「煌く」ではないのか?
無辜(むこ):罪のないこと。(ご無沙汰で失礼しました)