道尾秀介著『雷神』(2021年5月25日新潮社発行)を読んだ。
新潮社による内容紹介は以下。
埼玉で小料理屋を営む藤原幸人のもとにかかってきた一本の脅迫電話。それが惨劇の始まりだった。昭和の終わり、藤原家に降りかかった「母の不審死」と「毒殺事件」。真相を解き明かすべく、幸人は姉の亜沙実らとともに、30年の時を経て、因習残る故郷へと潜入調査を試みる。すべては、19歳の一人娘・夕見を守るために……。なぜ、母は死んだのか。父は本当に「罪」を犯したのか。村の伝統祭〈神鳴講〉が行われたあの日、事件の発端となった一筋の雷撃。後に世間を震撼させる一通の手紙。父が生涯隠し続けた一枚の写真。そして、現代で繰り広げられる新たな悲劇――。ささいな善意と隠された悪意。決して交わるはずのなかった運命が交錯するとき、怒涛のクライマックスが訪れる。
冒頭はこう始まる。埼玉県に住む藤原幸人(ゆきひと)と悦子の4歳の娘・夕見(ゆみ)がマンションの4階のベランダで遊んでいた。28歳の幸人は54歳の父・南人(みなと)が経営する和食料理屋・一炊(いっすい)で働いていた。姉の亜沙美はアパート暮らしだった。
悦子が買物に出て、直後に頼みを言い忘れた幸人が追いかけて玄関に出たとき、植木鉢が落下してきて、年配の古瀬幹恵が運転する軽自動車のフロントガラスを直撃し、そのまま直進した車に悦子は跳ね飛ばされて亡くなった。夕見はアザミ鉢をお日さまに当ててあげようと移したのに、そこには見当たらなかった。このことを幸人はけして夕見に話すまいと決心した。
15年後、幸人は一炊を一人で切り盛りし、19歳の夕見は大学の写真学科に通いながら店を手伝っていた。父の南人は70歳を直前にして亡くなった。ある日突然、男から電話で「金を都合してもらいたい。秘密を知っている。あれをやったのはあんたの娘だ」と強請られる。
31年前、新潟県羽田上(はたがみ)村で父・南人は美人の妻・英(はな)の名前を付けた居酒屋を経営していた。雷電神社では大量のキノコ汁(コケ汁)を食べる神鳴講が行われ、母・英も手伝わされていたが、失踪して瀕死の状態で発見される。
翌年の神鳴講で、姉の亜沙美は直撃雷に打たれ大やけどをして意識不明となり、幸人は記憶を一部欠落した。キノコ汁を食べた4人の「しんしょもち」が死んだり、瀕死状態となって、南人が犯人と疑われ、村を追われる。
夕見が、祖父・南人一家が30年前に住んでいた羽田上村で写真を撮りたいと言い出し、幸人も脅迫者から逃れ、謎をはっきりさせるために、亜沙美と共に3人で、偽名を使って村に泊まり、調べ始める。
太良部希恵(たらべ・きえ):雷電神社の宮司・容子の一人娘。亜沙美の親友。
油田長者の黒澤、金属加工の荒垣、最大のキノコ農家の篠林、村唯一の総合病院の長門:村の支配者で、「しんしょもち」と呼ばれる。
彩根:夕見が尊敬する写真家(故人)・八津川京子の一人息子。地方の郷土史を研究しながら全国を巡る。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)
多層に絡み合った謎が複雑で、面白く読める。奥深い田舎の風景、方言、風習と、引き続く事件の怨念の絡まりが、おどろおどろしさを醸し出す。
最後の嫌な気持ちにさせる終わり方で、気分よくはないのだが、これが道尾流なので、仕方ない。
不満な点は、謎解きに無理筋があり多少強引な事と、途中から急に登場する「彩根」が何故か中心になって仕切っているのが、納得できない。
『龍神の雨』『風神の手』と来て、今回の『雷神』で神三部作完成。
羽田上村:ハタハタの旬は雷の季節でもあり、ハタハタ(鱩または鰰)が噛みつく村という意味で羽田上村となった。二つの文字(鱩、鰰)の魚編を取ると、「雷神」となる。
紙垂(しで):神社や鏡餅にに飾られる白い紙を段々に折ったもの。
一炊の夢:人生の栄華がはかないことのたとえる中国の故事。ある男が、思い通りに出世ができるという枕を借り、夢の中で、栄華を極めた人生を経験する。しかし目覚めてみると、炊きかけの飯がまだできあがっていないほどの時間しか経っていなかった。
父は「飯食ったり、酒飲んだりするあいだも、短え時間だけど、なるべく大事にしてもらいてえと思ってな。」と店の名を「一炊」という名にした理由を語った。(p142)
面白そうですね
でも冷水さんがおっしゃる通り、道尾さんの作品はいつも読後感が悪くてどんよりさせられてしまいますねぇ。
こちらがエネルギーに満ちあふれて元気な時に読んでみたいと思います。
湊かなえさんはイヤミス、嫌な気持ちになるミステリーって言われているんじゃないでしたか、道尾さんは双璧ですね。
私はそれほど気を入れて読みませんので平気ですが、読む前は一応気合をいれます。