かぶれの世界(新)

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無定見な中国投資に警告

2006-01-17 11:06:55 | 国際・政治

メディアは小泉首相の靖国神社参拝が中国との関係悪化を引き起こしたとして、今年になり日中関係が更に悪化し「政冷経熱」から今や「政冷経温」とか「政冷経涼」とか言って憂慮する報道をしている。私も心配であるが、筋を曲げてまで拙速に対応することの無いよう念を押しておきたい。

私は靖国神社参拝には組しないし、中国の言い分は心情的に理解するところがあるが、首脳会談をキャンセルしてでも干渉して来る姿勢には反発を感じる。中国が靖国参拝を外交カードに使っていることは、前原民主党党首の訪中時、靖国参拝反対と主張しているにもかかわらず要人との会談を拒否したことで明確になった。最近の世論調査で対中国の国民感情が悪化に向かっている背景はこういうところを敏感に反映したものだろう。

言論や信仰の自由・基本的人権を保障する民主主義は平和主義と並び戦後の我が国の国是とも言うべきものあり、これを否定する共産中国との関係悪化を嘆き無定見に経済関係のみを取り上げて関係改善を求めているように見える経済界にも違和感がある。

日本のメディアは感度が悪く積極的に取り上げてないが、パリに拠点を置く言論の自由の擁護団体「国境なき記者団(RWB)」がマイクロソフト、ヤフー、シスコ、グーグルは中国のネット検閲に手を貸していると非難の声を上げ、米国議会が動き始めたニュースが世界に流れている。

ヤフーは人権批判したジャーナリストの情報提供し逮捕に協力、マイクロソフトは当局の提示したブラックリストを使ってブログ内を検閲、シスコはインターネットユーザー監視ツールを提供したと非難を受けている。明らかに中国政府の人権抑圧に手を貸した。

日本企業も世界で最も抑圧的な政治体制に無定見に巨額の投資を続けるのではなく、一定の基準を持ってやって欲しい。米国のネットメーカーほど酷くはなくても、無定見な投資は間接的に非民主主義的勢力に手を貸すことになる場合もあることを認識する必要がある。表には出てないけれども既に人権抑圧に何らかの手助けをしている可能性もある。

ベルリンの壁が崩れ冷戦終結後長くは続かないだろうと思われた中国共産党独裁体制は、天安門の虐殺後路線転換に成功し過去十年の経済成長で息を吹き返し、その影響力がアジアから世界に広がっている。

市場経済導入による経済発展に伴い必然的に民主化が進むとの楽観的な見通しは、皮肉なことに民主主義国の企業が足を引っ張り瀕死の共産政権を生き返らせ、今やネット企業は世界史の汚点としてアネクドートになろうとしている。それにしても日本メディアは他国の人権問題に対する感度が何故こうも悪いのだろうか。■

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イラク、トンネルの先に仄かな灯り

2006-01-15 14:38:55 | 国際・政治

年初に最大関心事の一つとしてイスラム原理主義のテロについて、「イスラム社会がグローバリゼーションのステークホールダーになり毅然としてテロと対決しない限り衝突は続く」と述べた。

その視点からニュースを追いかけてきたが、12日付のNYタイムスの署名入り記事に「真っ暗なトンネルの中の仄かな灯り」程度だけれども、兆しのようなものを見つけた。私にとっては待ちに待った内容であった。以下に私流の視点で概要を紹介する。

地元の反対勢力とアルカイダの対立は昨年10月頃から激化しRamadi, Husayba, Yusifiya, Dhuluiya, Karmah等の都市に広がった。アルカイダの見境ない無差別殺戮に対する言いようのない怒りが背景にある。聖戦の大儀の為には必要な犠牲と主張するアルカイダと、犠牲を払う立場にある地元反対勢力との埋められない戦術の差である。

もう一つの対立の原因が、国民投票や総選挙の所謂民主化プロセスを通じて、スンニ派の間に取り残されたという思いが広がったことである。スンニ派宗教指導者はアルカイダの脅迫に屈せず反対勢力を突き上げ、終にアルカイダの投票妨害から住民を守ると約束させたことだ。

スンニ派反対勢力の牙城で米軍と激しい戦いがあったバグダット北部の都市サマラで、族長を暗殺したアルカイダ外国人兵17人を探し出し公開処刑すると言う血を血で洗う凄惨な復讐劇が対立の深刻さを説明している。

まだアルカイダと反対勢力が連携している地域も数多くあり、米兵に対する地元反対勢力の反感は依然として強く、イラク新政権と米軍がこの対立を利用して効果を挙げるまでにはいたってないと、記事は結んでいる。

しかし、イラク国民が国民参加の政治プロセスを通じて、ほんの少しだがイラク民主政権のステークホールダーになり始めた兆しのようなものをこの記事から感じる。新生イラクは国民が命を賭けてでも守りたいと思う物を更に提供していかねばならない。それは治安と経済であり宗教ではないと思うが、果たしてどういう性格の政権になるかまだ見えない。

個人的には子・親・親族を無差別テロで失った怒りはそれがイスラムの名を騙っても治まる筈がないだろうと予測する。この怒りのうねりが内乱ではなく新政権を安定化させるほうに向かうことを望みたい。

米軍との戦いは露出度が高く直ちに報道されるが、新政権反対の武装勢力(多くの分派がある)とアルカイダの関係はいわば水面下の争いであり何がおきているか分かりにくい。日本の報道は結局のところ海外ニュースソースに頼らざるを得ない。私は仮説を立て、その問題意識下でニュースを追っかけて行きたい。■

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ES細胞論文捏造に思う

2006-01-14 14:36:20 | ニュース

日本でマンションの耐震強度偽装で大騒ぎしていた時、お隣の韓国で起こったES細胞論文捏造が世界を駆け巡っていた。その衝撃の度合いは韓国だけでなく科学の世界ではメガトン級だった。主人公はソウル大学の黄(ファン)教授で、世界の大発見と言われたヒトのクローンES細胞が捏造だったと同大学調査委員会の断定を認め、謝罪した。

非常にショッキングな事件だが、私はこのスキャンダルが韓国特有の経緯をたどったことに興味を持った。韓国の人達の反応をもっと知りたいと思った。黄教授は技術立国を目指す韓国のヒーローだったからである。従来なら新聞記事やテレビ放送で断片的にしか入ってこないが、今やこの手の情報はブログの最も得意とするところでもある。

12月に韓国MBC放送が疑惑を報じた時、視聴者からの怒りのメールで放送局のサーバーはパンク、番組のプロデューサーは殺すと脅迫され、韓国大統領は馬鹿馬鹿しいと言ったとワシントンポスト紙は伝えている。韓国の英雄である黄教授への非難はとても出来ない雰囲気が当時あった。

しかし、その後調査が進み論文が全て捏造であると判明し、多くのブログを読むと韓国の人達の生々しい失望の声が感じられた。涙を流して残念がる各界の著名な人達の姿が、私の目には珍しかった。彼はそのくらい韓国の希望の星だった。教授を非難するよりも、一転して全国民が自省モードに入ったようだ。

自省の声の中には、韓国人はプロセスより目先の結果ばかり求めるようになった、行き過ぎた学歴主義、政府は教授の名声を利用して科学技術推進しその結果を自らの成果にしようとした付けがまわった、などなど。まるで戦争に負けた時の一億総懺悔だ。ポスト誌によると韓国民は国の価値観にまで立ち戻って、自分探し(soul-searching)を始めた.

しかし、実際のところはこうなる前に何回も警告信号が発せられていた。読売新聞(11月16日)は「発端は昨年5月、英科学誌が「研究チームの女子学生が卵子を提供した」と報じたことだった。女性の身体に負担をかける卵子提供は自発的でなければならない。教授と学生という、一方の立場が弱い関係で提供があったとすると、本人の同意が適正かどうかが疑問となる」と倫理問題を報じている。

さらに、翌月には科学ウェブサイトに疑惑の詳細が掲載され、秋には若手科学者グループがソウル国立大学に調査要求を申し立てた。何度も警告が与えられたのに学会の重鎮も政府当局も無視したと言う指摘がある。余りにも教授に対する期待が大きかったので声を上げることが出来なかった。ここでも、塩野七生さんの「人は聞きたいことのみ聞く」法則が働いたと言うわけである。(“ある圧力下で”と付け加えたい)

99年から02年頃私が仕事で付き合った韓国人は全てビジネスマンで、日米で教育を受けた人も多く普段の会話を通じて違和感はなかった。強いて言うなら他の国の人より「あの時こう言った、ああ言った」という取引の経緯にこだわりが強かった気がする程度である。アジア危機を思い切った構造改革で乗り切り先が見え自信を取り戻し始めた頃で、日本の問題先送り体質に失望していた私はむしろ尊敬の念すら抱いた。その人達と今回の韓国の一般の人達とは違うのだろうか。■

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撤回、中国経済減速の予感

2006-01-13 16:26:00 | 国際・政治

舌の根も乾かないうちに前言を撤回する情けないことになった。昨年末中国政府は2004GDP16.8%上方修正した。元来中国の官製統計情報は不正確で信頼できないと指摘されてきたが、16.8%変更とはべらぼうな幅の修正であきれた。こんなに誤差が大きくては予測などしても意味がない。

誤差の大部分は国内サービス増加の捕捉が十分出来てなかったと報じられた。当初、私はあきれ驚き、その意味するところを理解しようとする努力をしなかった。しかし、司馬毅氏10日のアナリスト報告を見て、私の理解が浅く遡って「2006大胆占い」で予測した中国経済成長減速を撤回しなければならない羽目になった。

上記の孫引き情報であるが、修正された大部分はサービス産業で約50%増、GDPに占める割合が40%強になった。その結果私が経済減速の主要要因として捉えていた以上に高い設備投資の対GDP比率が38%を切り、高度成長時ではあり得る値に落ち着いた。

サービス産業は国有企業ではなく民間企業であり、中国政府の出す統計は補足率が余りに悪かった。換言すると景気減速のもう一つの要因であった内需の弱さが、実はグラスルーツ需要が予想以上にあり力強いと言うことを示した。結果としてマクロレベルでみた経済指標に歪みを与えるというレベル、つまり赤信号、にはなってないと言うことである。

と言っても、先に示した数々の問題は厳然として残っている。中国は国家として存在感を高める一方で、国民一人当たりの年収は世界100位にも入らない最貧国の一つでもある。舵取りの難しさに代わりがない。共産党政権の最優先事項は政権維持の為、世界最大工場と最貧国民の折り合いをつけながら経済成長を続けていく大変な作業である。

昨日の新聞報道では2005年の中国の貿易黒字が1000億を突破したと伝え、中でも従来の繊維製品からハイテク製品の比率が高まったと報じている。しかしその60%は外資が手がける構造になっている。米国だけを取り上げても貿易赤字の6割は米国本社と中国を含む海外拠点との取引の結果生じたものである。

中国との貿易摩擦は避けられないが、輸入国企業が大半の赤字をドライブしている構造を理解しなければならない。グローバリゼーションは日米欧が投資と消費、中国で生産の構造をロック・インさせた。中国の貿易黒字だけ取り上げた議論は無意味である。しかし、裏返すと中国経済が急速に貿易依存体質に変わりつつあり、単に強みにならず国際協調を強いられる要因になる可能性は高い。■

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野洲、高校サッカーに革命を起こす

2006-01-12 22:47:56 | スポーツ

全国サッカー選手権で初優勝した滋賀の野洲高校が、新時代の高校サッカーを体現したと絶賛されている。最近つまらなくて全く見ることの無かった高校サッカーだったのに、決勝戦は途中から見始めたら目が離せなくなった。今までの高校サッカーのイメージとはかけ離れた異次元レベルのゲームだった。

このゲームは注目され多くの論評があり、私も興味を持って読んでみた。総合すると、野洲高校はレスリング部出身の監督の下、国見高校等が勝ち続けてきたフィジカルの強さを優先する練習はやらず、全てボールを使った個人技を優先した練習をやり、新人戦やインターハイの予選すら勝てなかったチームが信念を曲げず、華麗な個人技を駆使してついに頂点に立った、というところだろう。特に素晴らしい個人技に触れた記事が際立って多かった。

たった1試合見ただけの私があれこれ言うのも憚られるが、各社の無条件の礼賛では触れられてない大事なことがあると思う。私が強く印象付けられたのは野洲高校の選手の「判断の早さ」だった。彼等のダイレクトパスはしばしば意表をつくように見えたのは、個人技の確かさに裏付けられていたけれども瞬時の状況判断があったからである。

サッカーは「心・技・体」と「状況判断の速度」プラス「チーム戦略」の五つの要素がバランスよく発揮された時、勝つ確率が最も高くなる。私が調べた記事には、必ずしも(個人)技だけでなく「心・技・体」と「チーム戦略」についての論評があったが、「判断速度」については誰も触れてなかった。

ダイレクトパスが連続すると個人の身体能力を超えた速さがチームとして生まれ、どんなに押し込まれていても自陣から一気に相手ゴールに迫る事が出来る。野洲の攻めには個人技に裏付けられた「判断速度」が攻撃の速さを生んだ。「判断速度」は中田や中村等一握りの天才だけのものでないことを示した野洲高校サッカーを、私は革命と呼びたい。指導者次第で選手は育つ、しかも日本サッカーの将来像を示したことを、サッカー協会は高く評価したはずである。

欧州に行った日本人選手が苦労している典型的なパターンとして、個人技は優れていてもこの「状況判断の速度」が遅く一瞬のチャンスを逃しているのを良く見かける。その点最も優れているのがプレミア・リーグのチェルシーではないかと思う。個々の選手の個人能力は勿論ワールドクラスだが、チームとしての攻撃や守備の意思決定速度が非常に速く一体感があり、出入りはあっても最後に相手を上回る。

私が生きているうちにチェルシーのようなチームが日本に生まれる事は無いだろうと今まで悲観的に思っていたが、これならいつか日本でもワールドクラスのサッカーが見られるかもしれない。■

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