今日7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。日本中に衝撃が走ったあの日から、23年の年月が経った。そこで今日は、「私が勝手に選ぶ、大山十五世名人の名局」の4回目をお届けする。
今回の対局相手は、若き日の谷川浩司八段(20歳)。大山十五世名人は59歳だったが、当時は王将と王座(準タイトル)を保持し、まったく衰えを感じさせなかった。
これがどんなにすごいことか、当時の私たちは気付いていなかった。
昭和57年(1982年)6月10日
第21期十段戦 挑戦者決定リーグ
▲八段 谷川浩司
△王将 大山康晴
(持ち時間:6時間)
▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5八金右△8二玉▲9六歩△9四歩▲8六歩△7二銀▲8七玉△5二金左▲7八銀△4三銀▲2五歩△3三角▲5七銀△6四歩▲3六歩△7四歩▲4六銀△3二銀▲5五銀△6三銀▲7九角△5四歩▲6六銀△4三銀▲7七銀引△2二飛▲6六歩△5五歩▲6七金△5六歩▲同金△5四銀▲5八飛△7二金▲3七桂△7三桂▲4六角△8四歩▲6五歩△同銀▲5五金△5三歩▲6四金△同銀▲同角△6六歩▲5三角成△6七金▲3一馬(第1図)
△7八金▲同金△6九銀▲5九飛△7八銀不成▲同玉△6七金▲8八玉△7七金▲同玉△5六銀打▲6八歩△4五歩▲7八玉△6七歩成▲同歩△9九角成▲7七銀△5三香▲5八歩△4二飛(第2図)
▲4二同馬△同金▲5一飛△5五角▲8一金△8三玉▲8二金打△9三玉▲7二金△7七角成▲同桂△6七銀成(投了図)
まで、94手で大山王将の勝ち。
竜王戦の前身、十段戦のリーグは新規が2人と狭き門だったが、1人10局指せるので、リーグ入りは棋戦優勝以上の重みがあった。
大山十五世名人は十段のタイトル8期を含め、毎期リーグ戦に在籍。1977年、第16期十段戦リーグで2勝8敗となり初の陥落をしたが、翌年当たり前のようにリーグに復帰。1979年、再び陥落したが、3年後のこの年、予選で優勝して、再びリーグ復帰した。
本局はリーグ戦3局目。大山王将の四間飛車に、谷川八段の囲いは天守閣美濃。当時の対振り飛車戦で得意にしていた形である。
29手目▲4六銀に△3二銀引が大山流。ここ△3二飛では▲3五歩で、先手の作戦にハマると見ている。本譜は▲5五銀に△6三銀を余儀なくされたが、美濃囲いの弱体を苦にしないのが大山十五世名人だった。
ここから両者攻め合いとなり、61手目▲3一馬がハイライト。ここ、△5八金と飛車を取る手が見えるが、それではタイセイに遅れる。終盤は駒の損得よりスピード第一で、△7八金と、こちらの駒を剥がすのがいいのである。
数手進んで82手目、馬の利きに△4二飛と回ったのがすごい。次に△4六歩を見せ▲4二同馬を強要、▲5一飛には△5五角と打って、一手勝ちを狙う。後手玉の守りは金1枚だけだが、△8四歩と突いてある形が妙に広く、一手凌げると見ているのだ。
谷川八段は▲8一金以下手順を尽くし、△6七銀成まで投了。大山王将の快勝となった。
今盤に並べてみて、大山十五世名人の将棋の若さ、老獪さ、優れた将棋理論、感覚にはただただ唸るばかりである。こうした「魅せる将棋」を指せるプロ棋士は、いまや激減しているように思われる。まあそれはそうだ。中盤の○手まで前例踏襲、やっと新手が出たと思ったらソフト新手を拝借では、感動も生まれないというものだ。
今回の対局相手は、若き日の谷川浩司八段(20歳)。大山十五世名人は59歳だったが、当時は王将と王座(準タイトル)を保持し、まったく衰えを感じさせなかった。
これがどんなにすごいことか、当時の私たちは気付いていなかった。
昭和57年(1982年)6月10日
第21期十段戦 挑戦者決定リーグ
▲八段 谷川浩司
△王将 大山康晴
(持ち時間:6時間)
▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5八金右△8二玉▲9六歩△9四歩▲8六歩△7二銀▲8七玉△5二金左▲7八銀△4三銀▲2五歩△3三角▲5七銀△6四歩▲3六歩△7四歩▲4六銀△3二銀▲5五銀△6三銀▲7九角△5四歩▲6六銀△4三銀▲7七銀引△2二飛▲6六歩△5五歩▲6七金△5六歩▲同金△5四銀▲5八飛△7二金▲3七桂△7三桂▲4六角△8四歩▲6五歩△同銀▲5五金△5三歩▲6四金△同銀▲同角△6六歩▲5三角成△6七金▲3一馬(第1図)
△7八金▲同金△6九銀▲5九飛△7八銀不成▲同玉△6七金▲8八玉△7七金▲同玉△5六銀打▲6八歩△4五歩▲7八玉△6七歩成▲同歩△9九角成▲7七銀△5三香▲5八歩△4二飛(第2図)
▲4二同馬△同金▲5一飛△5五角▲8一金△8三玉▲8二金打△9三玉▲7二金△7七角成▲同桂△6七銀成(投了図)
まで、94手で大山王将の勝ち。
竜王戦の前身、十段戦のリーグは新規が2人と狭き門だったが、1人10局指せるので、リーグ入りは棋戦優勝以上の重みがあった。
大山十五世名人は十段のタイトル8期を含め、毎期リーグ戦に在籍。1977年、第16期十段戦リーグで2勝8敗となり初の陥落をしたが、翌年当たり前のようにリーグに復帰。1979年、再び陥落したが、3年後のこの年、予選で優勝して、再びリーグ復帰した。
本局はリーグ戦3局目。大山王将の四間飛車に、谷川八段の囲いは天守閣美濃。当時の対振り飛車戦で得意にしていた形である。
29手目▲4六銀に△3二銀引が大山流。ここ△3二飛では▲3五歩で、先手の作戦にハマると見ている。本譜は▲5五銀に△6三銀を余儀なくされたが、美濃囲いの弱体を苦にしないのが大山十五世名人だった。
ここから両者攻め合いとなり、61手目▲3一馬がハイライト。ここ、△5八金と飛車を取る手が見えるが、それではタイセイに遅れる。終盤は駒の損得よりスピード第一で、△7八金と、こちらの駒を剥がすのがいいのである。
数手進んで82手目、馬の利きに△4二飛と回ったのがすごい。次に△4六歩を見せ▲4二同馬を強要、▲5一飛には△5五角と打って、一手勝ちを狙う。後手玉の守りは金1枚だけだが、△8四歩と突いてある形が妙に広く、一手凌げると見ているのだ。
谷川八段は▲8一金以下手順を尽くし、△6七銀成まで投了。大山王将の快勝となった。
今盤に並べてみて、大山十五世名人の将棋の若さ、老獪さ、優れた将棋理論、感覚にはただただ唸るばかりである。こうした「魅せる将棋」を指せるプロ棋士は、いまや激減しているように思われる。まあそれはそうだ。中盤の○手まで前例踏襲、やっと新手が出たと思ったらソフト新手を拝借では、感動も生まれないというものだ。