一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

4代目・桃の木を買いに行く(後編)

2024-05-26 00:09:24 | プライベート
桃の苗木は1mくらいか。根っこの部分は厚手のビニール袋に包まれていた。男性は領収書を作ってくれる。これがしっかりしたもので、5年間有効だった。私はますますこの園芸店を信用した。
そして私は、この苗木をどんな思いで買いに来たか、熱弁した。それは男性に伝わっていないふうだったが、冬にも咲くという、球根をくれた。
これでもう、帰るだけである。だが、行きと帰りは景色が違う。私は四つ角をスルーしたようで、軽く道に迷ってしまった。
私は近場にあった工房らしきところにお邪魔し、バス停および郵便局を聞いた。きょうは平日。厳密に言うと旅行ではないが、旅行貯金をしたい。
そしてその場所は、バス停の近くだった。私は教えられるまま出向く。御坂西中学校バス停の前に出た。夏目のひとつ先のバス停である。そして石和温泉方面のバスは13時42分だった。現在13時33分。ここから郵便局を探し貯金をして、再びここに戻ってくるのに、9分では不可能だ。もちろんバスを1本遅らせればいいが、1時間のロスタイムは痛い。それで、黙って13時42分のバスを待った。
「ふじっ湖号」は2分遅れで到着し、石和温泉には5分遅れの14時01分に着いた。
私は再び観光案内所に入り、郵便局を教えてもらう。そこは駅から3分の至便なところにあった。だがその途中に、ほうとうを食べさせてくれるところがある。でもやっぱり、そこも素通りである。
「石和郵便局」、1,219円。12月14日から16日までは九州で貯金をしたから、ここまでひと続きの旅行にも見える。
駅に戻る。帰りもまた、特急の利用となる。「えきねっと」から切符を買うと100円引きになりそうだが、面倒臭そうなので止めた。
私は券売機で切符を買い、ホームに入る。そこの自動販売機で、チョコナッツバニラモナカを買った。170円はちょっと高いが、自分へのご褒美と言うべきか。
14時35分のかいじ32号に乗った。25年前は東山梨から立って帰った。当時は苗木が目立ったが、却って誇らしかった。それは今回も同じ気持ちだったが、憂鬱でもあった。当時と今では環境が変わりすぎて、気分が晴れないところがあるのだ。
とはいうものの、かいじの乗り心地は快適である。さすがにお腹が減ったので、携行した乾燥ブルーベリーを食べる。すると、袋からボロボロと、ブルーベリーがこぼれ落ちた。
なんと、下の部分のビニールがなくなっていた。ネズミだ! ネズミに食われていたのだ。
2023年夏、我が家にネズミが出没したのは前述したとおり。そのネズミが12月のある日、チャックを開けていたリュックサックに忍び込み、そこに入れてあったブルーベリーを食べたのだ。
いつになったらネズミがいなくなるのか……。私はさらに暗い気持ちになった。
自宅には、16時45分ごろに着いた。

しかし、ここからがある意味、本チャンだった。すなわち、苗木をどこに植えるかである。我が家の庭など猫の額で、そのうえ2本の桃の木の根っこが地中に潜り、地上には紫陽花が咲いている。さらに夏の間、雑草も伸びた。でも私としてはこの隙間に植えたいのだが、まず苗木の袋を取ってみて驚いた。けっこう、根っこが広がっているのである。
25年前のそれは、根っこ自体が小さく、紫陽花などもなかったので、どこに植えるのも自由だった。
だがこの25年で、状況が変わってしまった。
もう残っているスペースは庭の右端のところしかない。ただこれは、駐車しているクルマと、道路に近くなる。
しかもこの苗木、根元の部分がくの字になっていた。これでは木の強度が弱く、成長したら心許ない。なんだかんだいっても、私は一見客だ。あの人ならこの苗木でもいいと、店の人にナメられたのかもしれない。
それに加えて、根本的な問題があった。今回苗木を買うことを、両親には内緒にしていたのだ。
桃は葉っぱや花びらが盛大にあっちこっちに飛ぶので、掃除が大変である。いままでは両親がそれをやっていたが、もう体力的に無理というわけだ。
それももっともで、家でかなり険悪な雰囲気になったが、私が桃の面倒をすべて見る、ということで納得してもらった。
それにしてもいい歳をして、私は何をやっているのだろう……。同年代の方々は、家庭や仕事のことでいろいろ大変だろうに……。
ともあれ、もう暗くなってきたので、私は後日改めて、苗木の植える場所を検討した。
私は庭の切り株をガリガリやってみる。しかしけっこうガッシリしている。土を掘ってみると、根っこの一部が削れた。こんなところに根っこがあるわけないが、それだけ地中で拡がったということだろう。
しかもこの根っこ、位置的に見て、「初代」だった。私が生まれる前から初代はあったから昭和30年代のもので、そう思ったら、これ以上掘れなくなってしまった。
結局、苗木は庭の端のほうに植えた。ここじゃない、ここじゃないんだが、仕方なかった。
この桃の木が大きくなっているころ、私はじじいだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4代目・桃の木を買いに行く(前編)

2024-05-25 02:19:50 | 旅行記・その他の地域
昨年8月14日に枯死した我が家の桃の木だが、私は懲りずに、「4代目」を購入することを目論んでいた。ちなみに「3代目」を購入した25年前(もっと以前の可能性高し)は、とりあえず山梨駅に行き、そこから種苗業者を見つけるという計画のなさだった。
それでも無事桃の苗木を買えたのだが、それこそ若さのなせる業であって、歳を取って体も弱ってきた今、もうあんな無計画なことはできない。
私はネットを漁ってみる。今回も購入は山梨県である。すると、苗木専門店・前島園芸というホームページがあった。そのトップには美味そうな桃の写真が載っており、丁寧に価格表も掲げられていた。
苗木はどこで買っても同じだと思うが、値段が安いに越したことはない。私が買わんとする「白鳳」は1,650円だった。25年前は1,500円だったから、2023年の今、かなり良心的な値段設定である。
そして何より、これだけ手の込んだホームページを作成しているところで、すでにポイントが高い。このお店は信用できると思った。
現在11月。苗木の販売は12月からとのことで、ちょうどいい。ここは通信販売もやっていたが、できれば自分の手で持って帰りたい。それで、12月13日に電話をした。
最初に出たのは男性だが、途中で女性に変わった。話を要約すると、現地に来ての購入はもちろん可。私は最寄りのバス停を聞いたのだが、どうもハッキリしなかった。ただ、甲府駅や石和温泉駅からバスが通じているようだった。
ちなみに25年前、私がお世話になった種苗店は、廃業したとのことだった。できればまたこの店で買いたかったが、この情報で逆に、割り切ることができた。
そして前島園芸へ伺う日を、12月19日(火)と伝えた。

さて、当日である。この日は一日オフだから、いつ出発してもよい。ただ、陽が短いので、庭に苗木を植えることを考えると、早く家を出たい。
でも私はグズグズしてしまい、特急を利用することにした。25年前だったら鈍行利用一択、現在なら高速バスも視野に入れていいが、結果、いちばん散財する順を選んでしまった。このあたりも、私が歳を取った証左だ。
最寄り駅のみどりの窓口で、石和温泉までの自由席特急券を求める。すると、自由席は廃止されたという。
この閑散期になんで座席指定をしなくちゃならないんだと思うが、仕方ない。新宿10時30分発のかいじ15号を購入した。
10時20分、新宿で乗り換え。かいじはすでに入線していたが、指定券を持っている私は余裕である。7号車5Dに座り、かいじ15号は定刻に出発した。
ところで、私が都内発の在来線特急に乗るのはかなり珍しい。私が20代のころ北陸を旅行したときに、都内からL特急白山を利用した記憶があるくらいだ。ところがこの白山、自由席が1両しかなく、私は立って行くしかなかった。
しかも、いつまで経っても席が空かず、私はその日のうちに金沢に行くことも視野に入れていたのだが、あまりにも立ちん坊で疲れ、直江津の手前の高田で途中下車した。たしか4時間15分くらいかかったと思う。
それでそのあと、ポルノ映画館に入った気もするのだが、どうだったのだろう。
話を戻し、我がかいじは静かに走る。いつもは首都圏仕様の電車利用で、乗客がうじゃうじゃいる。しかもロングシートだから、景色を見る角度も違う。今回は周りに乗客もそれほどおらず、要するに快適な旅だ。
タイム1時間29分で、石和温泉に着いた。文化放送「親父熱愛(パッション)」の1コーナーに、元石和温泉観光協会のホサカマユミさんが出てくる。棒読みのセリフが面白いが、ともあれそんな石和温泉だからひとっ風呂浴びたいが、きょうはそんな時間はない。
すぐに駅前の観光案内所に飛び込み、私が乗るべきホームを聞いた。
次のバスは12時03分だったが、11分遅れた。バスは、火曜日とはいえ観光客もいたが、通学の男女の姿が目立った。私は電車通学だったが、あのころを思い出して、切なくなった。
バスは後れを取り戻せず、12時28分、私は県道沿いにある「夏目」で降りた。事前の調べでは、どうもこの停留所で降りるのがスマートらしかった。
ただしここからの方角が分からない。すぐ右に種苗店があったので、前島園芸を聞いてみる。すると、快く教えてくれた。
そこの細い道をしばらく行き、四つ角に出たら右にひたすら行く、とのことだった。
私がこの店に聞かなかったら、とりあえず県道沿いを行き、道に迷っていただろう。きょうはツキがあった。
言われたとおりの道を行く、四つ角を右に行き、もう間違えることはない。この、少ない情報で目的地に向かうさまは、初めて訪れるユースホステルを探すときのそれに似ている。そしてユースホステルといえば、思い出すのは南足柄市の美女・滝本夏子さんだが、それはまた別の話である。
右手に多くの幟が見えてきた。やっと着いたか! 夏目から徒歩20分で、これは想定通り。ここが前島園芸である。
受付の事務所に行くと、電話に出た人とは違う、年配の男性が応対してくれた。
要件を言うと、男性は「あそこにあるよ」と指をさした。そこはきょう引き取り分の苗木で、その中の1本に、私の苗字が貼られてあった。
これが、4代目とのファーストコンタクトだった。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近見た夢(2024-05-12、16、23、24)

2024-05-24 22:57:57 | 
最近見た夢を記しておこう。
ます12日に見た夢。
詳しい内容は忘れたが、半沢直樹が出てきた。38の倍数は80、その倍数は160とやっていた気がするが、ハッキリしない。
半沢直樹は堺雅人でもなく劇団ひとりでもない。そう、なぜ半沢直樹が出てきたかと考えるに、前夜「花咲舞が黙ってない!」を見たからだ。

続いて16日に見た夢。
たぶん私だと思うのだが、巨大化していた。場面変わって、私はあるイベント会場にいた。もちろん身長は元に戻っている。あたりでは高校生カップルが「いなかっぺ大将」を歌っていた。だが2番になると歌詞が分からなかったようで、伴奏が流れているだけである。私は歌詞を知っているので歌ってもよかったのだが、歌わなかった。
地下のようなところに行くと、見世物小屋みたいなものがあった。表のベンチには裸の女性が座っていた。そして入口付近にも、裸の女性がうろうろしていた。
そしてまた、巨大化したふたりがいた。

続いて23日に見た夢。この間にも見ごたえのある夢を見たのだが、内容が思い出せなかった。
23日は、舞台が大きな古書店だった。地上4階、地下3階くらいだったと思う。そこを私は右往左往したのだが、詳しい内容は忘れてしまった。
小便に1回起きて、今度は古書店がふつうの本屋になっていた。イメージとしては、神保町の旧三省堂書店である。
そこの地下1階で私はあるビデオを数本取り、買い物かごに入れた。だがそのまま私は階上に行く。会計を済ませてないのでこのままでは万引きになってしまう。
それもあって、けっこう私は焦っていた。

続いて24日に見た夢。
この日見た夢も見ごたえがあったのだが、ちょっと忘れてしまった。
憶えているのは最後のほうで、私は忍者だった。同じく忍者の柳沢慎吾がいて、壁にかけてある棒みたいなものを伝って、天井に張り付いた。天井にはクロス状の縄が張られており、そこにしがみつけば落ちない。
部屋には賊が入ってきたからそのままじっとしていればいいのだが、柳沢慎吾はわざわざ舞い降りて、賊と対決するのだった。
……というところで、スマホのアラームで起こされた。だが、胸の鼓動が激しい。
あとで分かったのだが、私が起床時間を20分間違えてセットしていたのだ。たった20分、されど20分。朝の貴重な睡眠時間を削られ、きょうは一日気分が悪かった。

……この辺で、上げておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月17日の日記

2024-05-23 23:32:24 | プライベート
この17日(金)は祖父の命日に近かったので、クルマに父母を伴って、墓参りに出かけた。運転はもちろん私である。といっても私は運転が好きではなく、運転技術を将棋に例えれば、アマ3級くらいである。
運転1時間で無事お墓に着き、墓の掃除である。でも私はこれが好きではない。もちろん掃除はしてもいいのだが、雑草をむしることができないのだ。雑草も生きているので、それを刈れないのである。
だから私は、落ち葉をつまむくらいである。そこへ行くと両親は容赦なく、ほうぼうに咲いているタンポポなんかも含めて、なんでも刈り取ってしまう。
と、オヤジが向かって左に生えている、高さ80センチくらいの木から、上方に数本伸びている茎に目をやった。これが邪魔だから切ってしまおうというわけだ。私はやめてもらいたいのだが、家庭もなく、働いているんだかなんだか分からない私は家での身分が低く、発言権はない。よって、またたく間に、その茎は切られてしまった。
その茎を良く見ると、形のいい小さな葉っぱがワイングラス状になっていて、その中心部に、花の蕾が数個あった。自然の摂理とはすごいもので、たぶん、この花はやわいのだろう。だから周りの葉っぱがこの花を守っていたのだ。
私はこの花に咲いてもらいたかったが、切られてしまっては何をかいわんやだ。
私が相当ブスッとしていたのか、オフクロが「何かあった?」と聞いてきたが、私は何も言わなかった。

帰宅後、駅近くの金券ショップに行った。14日にANAから株主優待券(3枚)が送られてきた。半年前の残りが2枚あったので、合わせてそれらを、売りにいったのだ。
ところが、それぞれ1枚1,000円と900円と言われ、仰天した。
あれは1年前近くだと思うが、同様のケースでこの店に初めて売りにいったとき、6枚で17,000円前後いった。1枚平均2,700円くらいいったはずで、それと比べると随分な暴落である。
まあ、ゴールデン・ウィークは過ぎてしまったので相場は下がっていると覚悟はしていたが、この数字はあんまりである。それで、売るのはいったん保留とした。
帰宅後、ネットで相場を調べたら、似たようなものだった。
これが、時期が来ればまた上がるのか、それともこの程度の額で安定してしまうのか。推移を見守りたい。

夕方からは医者へ行く。降圧剤と胃の薬をもらっているのだが、今年は胃カメラ(内視鏡)を飲みたいと思う。数年前の区の検査で、バリウムを飲んだところ、胃にポリープがあるのが見つかった。
それから私はバリウムが飲めなくなり、胃カメラでの検査を余儀なくされた。
だがこの検査がつらい。胃カメラを飲むと吐きそうになり、全身を串刺しにされた気分になる。
だが今年は2年に1回、苦の負担で、1,000円で胃カメラ検査ができるのである。これじゃあ、予約を入れるよりない。
診察の時間になり、まずは血圧を測る。だが、墓参りや株部主優待券の件で頭に血が上ったので、血圧は146-90だった。
そして胃カメラの検診を所望したが、私がイヤイヤしゃべっていたので医者もそれを察知し、「無理に検診することもないですよ」と言った。
それで、今年の胃カメラ検診は見送ることにした。
小学校のプールの授業で、プールに入るのがイヤだと先生に言ったら、入らなくていいと言われ、半分ほっとしたものの、プールから逃げた自分が自己嫌悪に陥るのと似た感情になった。
もし予約をしていれば、きょうあたり胃カメラを飲んだはずなのだが……。
この判断がどうだったか、その結果は2年後の検査で分かる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の将棋ペンクラブ・関東交流会は5月25日!!

2024-05-22 22:49:31 | 将棋ペンクラブ
今年の将棋ペンクラブ・関東交流会が迫ってきたので、あらためて告知をしておこう。

日時:5月25日(土)10時10分より受付開始。
場所:御徒町将棋センター 5階研修室
   台東区上野3-21-10 宝島ビル(JR御徒町南口から徒歩1分)
会費:3,500円(一般参加は4,000円)、指導対局は一局1,000円
内容:将棋会…10時30分~16時
   表彰式…16時~
   懇親会…17時~19時
会費の中には、軽食、懇親会費も入っている。また、抽選で棋書や色紙が当たる(ハズレなし)。以前は指導対局も無料だったから、大盤振る舞いだった。さすがに指導対局は有料になったが、それでも安いと思う。なお、今年の指導対局者は、堀彩乃女流初段、加藤結李愛女流初段である。

関東交流会は、2018年まで、東京・将棋会館で行われていた。いつもは4階の対局室で行われており、そのことに加え、奨励会員が使用する盤、駒が使えるのがウリだった。
私は4階まで階段で上ったが、2階から上は「関係者以外のご利用はお控えください」の立て看板があり、「きょうは関係者だから」と、その脇を抜けて上に行くのが格別だった。
2011年には、会場の隣の部屋で公式戦が戦われたこともあった。この3日前、第52期王位戦白組リーグで羽生善治名人VS村山慈明五段戦が行われ、羽生名人が勝った。この結果両者のプレーオフとなり、それが急遽その日に組まれたのだった。
すぐ隣の部屋に羽生名人がいると思うとドキドキしたが、こちらも将棋会に集中していたので、この時点ではそれほどの騒ぎにはならなかった。
だが、懇親会に入ってはダメである。懇親会だからおしゃべりするしかないが、つい声が大きくなってしまう。そのたびに誰かが「シッ!」と言って、場を静かにするのだ。両対局者には本当に迷惑を掛けてしまったと思う。
2018年には、気鋭の中村太地七段が顔を見せてくれ、女性参加者がわじゃわじゃと中村七段の近くに集ったことを思いだす。
だがその将棋会館も、2019年から使用できなくなった。事前の申し込みが1年前から3ヶ月前に短縮されたこと、土日の公式戦が多くなったことなどが理由だが、それは表向きで、実際は将棋ペンクラブが煙たかったのかな、などと邪推してみたりする。
いやいやでも、日本将棋連盟には記譜スクラップを閲覧させてくれたりして、感謝はしているのだ。
御徒町将棋センターに移ってからは棋士のサプライズ登場もなくなったが、こちらも気兼ねする必要がなくなったので、のびのびとやっている。
そんな交流会は、ふだん名前しか知らない人と交流できる面白さがある。
大昔、懇親会で私の向かいに座ったひとが、「むかし会報に載ってたんだけど、ある中学生と近所のおじさんとの将棋対決をして、中学生がだんだん強くなっていく話、あれは面白かったなあ……」と言った。それは私の掲載2作目「運命の端歩」だったので、「それ、オレが書いたやつだよ」と言ったら、目の前の彼は「ホントに!?」と感激したふうだった。彼こそ作家のA氏で、それが私とA氏とのファーストコンタクトだった。
私は昨年は参加しなかったが、今年はいまのところ、参加できそうである。私は最近、他者との交流がなく、棋友とは、昨年の社団戦最終日以来、誰とも会っていない。久々の再会を楽しみにしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする