神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

3月9日 白馬村の雪景色

2017年03月09日 16時06分19秒 | ドライブ

昨日は北陸から越後は雪予報だったが、予想外に我が町は陽がさして青空も

だけど白馬村付近へ行ったら、雪こそ降ってなかったけどどんよりした空

そして雪の世界、先月は町の中はからからだったのに、国道まで圧雪があった

これが本来の姿なんだけどね

わが家の除雪機もとうとう一度も出動せずじまい、去年は3回動かしたんだけど

トンネル屋の親方が遊びに来て、「去年の冬は除雪で1ヶ月100万稼いだのに、今年は

2ヶ月でたった30万しかならない」とぼやいていた。

 

白馬村の雪景色

 

 

 


人さらい

2017年03月09日 08時52分30秒 | 時代検証

ネットを見てたら、日本では子供一人で買い物しに行っても大丈夫だけど

「中国で、そんなことしたら永遠に子供は家に戻ってこなくなるよ」というコメントがあった

それは本当か、悪意の中傷か知らないけれどテレビでも行方不明の子を探し回る特集があった

まあ外国はともかく、今書くのは自分の昔のこと

 

7歳まで日本海の海岸沿いに住んでいた、波の音が聞こえてくるほど海が近い

夏は広い広い砂浜で夕方まで遊んでいた、すると母が「いつまでも遊んでいると、人さらいにさらわれて

サーカスに売られるぞ、早く帰ってこい」と言って、むかえにきたものだった。

その頃は毎日の挨拶みたいに聞いていたけれど、今になって考えると、人さらいって何だったんだろうと思う

昭和30年を過ぎた頃だった、あれから10年後くらい後になって北朝鮮の日本人拉致が本格的になったのだ

あれこそまさに「人さらい」だった

私の町の東西100km内でも蓮池さんをはじめ何名かが拉致された、今になって思えば母が毎日言っていた

ことはまんざら作り話でもなかったんだ

もちろん後の拉致を予見したわけでもなかったろうけど、あの頃はまだ結構、乞食と呼ばれる人たちが普通に

徘徊していたから、親としては心配だったのかも。

もっと我々の暮らしも乞食でないにしろ配給米を食っていた時代だから、今の人から見たら、おんぼろな小さな家

に住む、汚い子供って事になるだろう。

多分嫁になんか絶対来ないと思うね

「人さらいか、なんだか懐かしい言葉でもある、時代背景だね。