昨日の日馬富士、稀勢の里戦を見て、改めて思ったね
日本人の美徳は「相手を思いやる気持ち」なのは確かだ、相手が粗雑であればあるほど
慈悲の気持ちを持って、より優しく接する。
それは裏返せば「自分がそうすれば、相手もそれをいずれわかって和む」という気持ちが
そこには「自己犠牲の気持」ちよりも「施しの気持ち」の方が強い、いわゆる「上から目線」
昨日の相撲で言えば、絶好調の稀勢の里は3~4敗の日馬富士を上から目線で見ていた
一方日馬富士は「このやろー」と言う気持ちで一泡吹かせようと、ただならぬ闘志を燃やしていた
傷ついている日馬富士を「惨めな思いをさせない程度に調理しよう」という稀勢の里の思いやりと
「相手がどうなろうとかまわない、とにかく勝つ!」という激しい気持ちの日馬富士がぶつかった
結果はあの通りだ、甘い予測で土俵に立った者と、ぶっ飛ばしてやると殺気だった者の差だ
稀勢の里から見れば「まさかの・・・・」日馬富士から見たら「思い通りの」
国際関係における日本の立場も今回の稀勢の里に似ている、世界には日馬富士の様な国があって
しかも日本と利害関係がある国もいくつかある
「相手を思いやる」「おもてなしの精神」は確かに美徳だが「美しい着物の下には常に鎧をつけて
優しい笑顔の下では相手の動きに気を配り続けなければならない」
相手は情け容赦なく殲滅しようと闘志をもやしているかもしれない
「良い人」だけで渡っていける時代では無くなっている、「油断も隙も無い時代」なのだ
「弱肉強食」、強い者同士が連携して弱い者を食い尽くすかもしれない
今の日本は傷ついた大きな水牛、後からコモドオオトカゲが狙っている、水牛の足取りが停まって、
倒れ込んだら食べ尽くしてやろうと狙っている、こんなビッグな食い物には滅多にありつけない。
今はそんな時代であることを意識しなければならない、水牛同士で喧嘩をしている場合では無い
稀勢の里の様に入院、あるいは力士生命が終わることさえある、今回はそんな教訓を得た一番だった。