神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

同級生旅行リポート 最終回

2019年10月28日 10時51分01秒 | 旅行 関東.東海

いよいよ2日目が始まる

今日の運転は「ますやん」に任せて、私はゆっくりさせていただきます

それで朝食からビールをいただきます

ますやんは、出発当初からマスクをして「風邪引いた」と言っていた

「風邪引いて飲めんから往復運転するわ」というのを私が遮って

「とんでもない!風邪引いている人間に運転はさせられん」と私の運転で出発したのだ

「あんたインフルじゃないの、嫌だようつしちゃ」と女性陣にもさんざん言われていた

でも出発して昼食頃には元気になってビールなど飲み始めたのだった

それで今日の運転を託したら「おれが運転するンか?」だって

強引に運転を任せて私は飲み始めた、朝からご馳走でもう一宴会出来そうなくらい

食事が終わって廊下の郷土の飾り物を写真に撮っていたら仲居の若いおねえちゃんが

「写真撮りましょうか}と寄ってきてくれた、この宿の女将さんを始めみなさん物静かで

影のようにお世話をしてくれているので居心地が良い

ロビーでコーヒーをいただいて、いざ出発! まずは給油しないとね

まずは蔵王温泉街から下り、上山を目指す、途中の集落は行けども行けども渋柿の

木が続いている

「このあたりの熊は幸せだね、食べ物豊富で」なんて無責任なことを言いながら行くと

やがてスタンドを発見、軽油が140円 「おいおいレギュラーより高いぞ」

しかしもう燃料切れギリギリだから入れるしか無い

すると、すらりとした美人系の30歳前後のおねえさんが「いらっしゃいませ」と出てきた

男達は喜んで「軽油130円で、おねえちゃん拝観料10円だから140円なんだよ」

などとデリカシーの無い事を言って喜んでいる

再出発、国道に来たらすぐスタンドがあって軽油は124円、一同「......」

やがて米沢方面に続く高速道入口前で長井方面へ右折、ここから113号線に入って

小国を経て荒川峡をくだり日本海へと向かう、途中の景色は1日目に掲載したとおり

ビールを飲む手を止めた、高速道と違ってトイレが道の駅しかない、コンビニもあるが

団体で入るところでも無いので飲物は自粛だ

そんな中、大きな道の駅「飯豊」に到着、建物の中は地場物でいっぱいだ、特に

果物が凄い、ブドウにリンゴがいろいろな種類どっさりと並び、観光客でいっぱいだ

レジは列になっている、玉葱も10kg位の袋売りで売っている

ここでも女性陣は買い物三昧、私も山形産の巨峰に似た横文字のブドウ一箱と帽子を買った

この道の駅の前の国道には左右数キロにわたって桜並木が続いている、今は紅葉して

赤い桜並木だ、春には素晴らしいピンクの街道になるんだろうなあ

トイレでドライバーM氏と一緒になった、手を洗いながらM氏

「わしゃ秋田へしょっちゅう運送で来てたんやが、いつもここで仮眠して、ここで顔洗ったり

歯を磨いたりしたもんや」

このM氏、高校時代に私が告白して振られた時、もう一人のMくんと我が家に慰めに来てくれた

一人である(このいきさつは何度か掲載した)

卒業後、自衛隊に入り、防衛庁に勤務したが東京が嫌でやめて民間企業に入社して課長職

まで行ったところで不況になり、課長級全員自主退職と言うことでやめてなんと長距離運送の

ドライバーに転身、いまも現役で近距離輸送をおこなっているのだ

 

谷間を抜けて平野部に出てきた、もう新潟県の北端、村上、岩船だ

ここの岩船港鮮魚センターで昼食を予約してある、ところがカーナビ予約が作動しない

とりあえず岩船港に到着して電話で連絡とりながら、なんとか到着した

このメンバーには村上に住んでいたT美もいたが、まったく地理不案内で「役に立たないなあ」と

みんなに冷やかされていた、その夫も数年前に60台で亡くなったのだ、でもこうして

仲良しメンバーと飲んだり、旅行したりして傷心を癒やしている

センターに着く前に、海上に島が見えた「佐渡?」と誰かが言った「違うよ、佐渡は左だしもっと大きい」

「粟島だな」と私と誰かが同時に言った

人口310数名の粟島は粟島浦村として自治しているが、新潟県で人口増加した数少ない自治体だ

二人増えたとか

村上から定期航路があるらしい、すぐ側に見えて泳いでも行けそうだがセンターの人に聞いたら

ジェットホイルでも1時間以上かかるとか? ほんと?

さしみ定食で昼食を済ませて出発(写真逆さまで失礼)

曇りなので行程は順調だ、余裕で笹川流れの船着き場に到着

この船で遊覧する

 

 

もう肌寒いので乗客はわれわれだけかと思ったら30名ほどいた、そして出航

ガイド放送が始まった、それによるとこの航路は義経の都落ち伝説に因むのが多いことがわかった

奇岩のいくつかに因んだ伝説があり、解説してくれた

義経の都落ちについて書くと、平家を滅ぼした源氏であったが、この戦の最前線で大活躍した

義経は都でもてはやされ、朝廷の覚えもめでたく国内最高のスターに上り詰めた

しかし鎌倉の片田舎に幕府を開いた兄、源頼朝は、義経が朝廷のバックアップで征夷大将軍の

自分をないがしろにして、さらに地位を奪われるのではないかと危惧して、ついに疑心暗鬼に

陥り、義経追討の命令を出した

義経は恋人の静御前とも別れて京を逃れ、弁慶などの100人力の家来数名を伴って、昔、平氏から

逃げ隠れて子供時代を過ごした奥州平泉の藤原氏を頼って落ち延びたのだった

日本各地に義経の逃避行伝説があり、特に有名なのが石川県の安宅の関守り、富樫の人情話だ

義経は平泉で藤原氏の息子の裏切りで死ぬが、豊臣秀頼の九州落ちと同様に、北海道に落ち延びて

さらに大陸に渡ってチンギスハーンになった、という話しまで発展する

なんどかここで書いた明治初期のイギリスの女流冒険家イザベラ.バードの記述にも北海道の

アイヌでアイヌの人たちが参拝する義経を祀った場所の話しが出てくる。

さあ出航です

義経一行は、笹川流れを船で進んだが、義経は逃げるのに頭がいっぱいでこの景色に気がつかず

家来が先行する義経を呼び戻したので「義経の戻り岩」だとか

この下の景色にはちょっとHに見える場所があるので、気を張り詰めた義経に家臣がそれを言うと

義経もどっと笑って明るい顔になり、一行は船の上でひょうきんな格好をして踊り酒盛りを楽しんだとか

あるいは大波を避けて逃げた洞窟とかいろんな解説があった

これは「恐竜岩」首の長い大きな恐竜が座って海水を飲んでいる姿、首の部分ポールが邪魔している

 

このほか屏風岩、地震で壊れためがね岩、獅子岩などいろいろあった

そしてあらかたを見て、帰路に入り沖合へと船がむかうと、突然カモメの群れが船に近づいて来た

すぐそばまで飛んできた、平行して飛んでいる

 

なんと観光用に餌付けしているのだった

船内に「カモメを捕まえないでください」という張り紙があったので???と思っていたが、これだったんだ

でも楽しい時間になった、帰路を退屈させない作戦だ、なかなかやる

でも観光船が冬休みになったらカモメは自力で魚をとれるのか少し心配になった

粟島を背に、船は港へ戻る、カモメがまだ追ってくる

 

楽しい旅行も終わって故郷へむかう、新潟市に入って、大河「阿賀野川」を渡る、まだここから2時間以上かかる

夕食は回転寿司で済まして、午後8時無事に故郷に到着しました

                                             おわり