実は顔に似合わず(常套句=もしかしたら顔に似合っているかも)ロマンチスト、泣き虫
午前中はメインバンクで固定資産税の減免処理をしたり、現状や今後のことについて話し合ったりで有益な時間を過ごした
午後からは何もないので、たまには骨休め、家に帰ったら眠くなって一寝入りして
起きてからテレビをつけたら「世界の猫の風景」とかをやっていた、アイスランドの牧場の猫親子が草原の中で羊と共に生きている
なんとも大らかで、草色のそよ風がいつも吹いているようなのどかな景色
こんな風景にもまして思ったのは、この絵を撮り続けているプロカメラマンの仕事について
もちろん仕事だから、私にわからない苦労もあるだろうがなんともうらやましい
ほとんど選択の道がなく、この世界に入ってしまった私にとって、freeと言う仕事はいまや憧れだ
考えてみれば中学生、高校生の頃にはすでに自分の人生は決まっていたわけで、逆に言えば憧れの仕事がなかったともいえる
それよりも仕事の種類について無知だったのだ、世間知らずだった、あるいは自分自身が封建的、親と暮らし、親の面倒を見る、親の仕事を継ぐ
それはすべて長男としての責任だと思い込んでいた、だから兄弟二人で一枠の大学進学権は何も考えずに弟に渡した
でも悔やみ始めたのは近年の事、少なくとも10年前までは今の仕事を選んだことと暮らしに満足していた
コロナが始まった一年前、数か月で終息と思っていたのがどんどん事態は厳しくなっていくばかり
ずいぶんと愚痴も言ったが、その実、あまり深刻に考えてはいない、内情を照らせばとんでもなく深刻な状況であるにも関わらず
歳を取って無神経になったのか、そうじゃないんだ!
いままで経験したことがない規則正しい生活が半年以上続いている
6時前に起きて市場に行って、家に帰り改めて出勤して、夕方6時か7時に家に帰る
テレビを見て、家飲みをして、お風呂に入って12時頃寝る、それを半年以上続けている
まんざらでもないサラリーマン的、規則正しい生活リズム...うん 悪くない
70年の人生で初めて味わっている余裕ある時間、仕事がないから何物にも追われない、唯一資金繰りに追われるが、それも才覚の内と思えば 別に!だ
こうした生活の中で、あのカメラマンの生活にあこがれを持った
20歳過ぎまで、この世に公務員と言う職業があることを知らなかった
市役所の職員、保健所職員、警察官、教師、そういう仕事があるのは当然知っていたがこれを公務員と言うとは知らなかった
馬鹿な話だが本当だ、中学時代、優等生ランクの生徒が公務員と言う言葉を発していた記憶はあるがなんのことか興味もなかった
今も公務員は不向きだから良いとして、自然の中を巡って好きな仕事ができたらいいな
でも農業、漁業はこの年になって今さらできない、小さな趣味的畑がせいぜいだ
だとすれば現実的なのはなんだろう、仕事ではなく気ままな旅をすることか
年齢的には、それができる歳になった
コロナが静まるまでに夢を叶える準備をしよう、いかにして今の環境から抜けるかに成否はかかっている