12月になった。
明の僻地、遼東にいた明軍の多くが日本軍に倣い、北京への引き上げを命じられた、同時に、そこで足止めされていた日本の講和使節、内藤如安ら一行にも紫禁城で皇帝が目通りすると伝えられた
だが日本では、内藤が行ったきり戻ってこず、明からも何も連絡が来ないので「これは殺されたか!」と勘繰り、秀吉はいよいよ第二次の出兵も思うようになっていた。
そして年は開けて文禄6年(1595)になった
秀吉はついに我慢の限界に来た、三成を呼ぶと「いよいよ朝鮮出兵じゃ、陣立てを話すから準備をいたせ」
1番隊 小西、鍋島ら九州大名
2番隊 加藤、島津ら九州大名
3番隊 黒田ら、北九州大名
4番隊 宇喜多、蜂須賀ら中国、四国勢
5番隊 毛利、小早川ら北九州、中国
後方支援および船手
総勢16万
総大将は豊臣秀次として名護屋に陣する、徳川秀忠、前田利長らが補佐する
秀吉は考え直したのか、秀次を総大将として秀吉の名代で名護屋に据えると発表した
また前田、徳川にも「利家、家康にかわり倅たちを秀次の補佐として名護屋におくるように」と書状を送った、だがまだ日は未定である。
これは補佐と言うよりは経験させようという気持ちであったろう、恐らく京、大坂にて秀吉、家康、利家は若者たちのお手並み拝見というつもりだったかもしれない。 前田利長は32歳、秀忠は15歳である
あるいは、朝鮮で敗北したら秀次に責任を取らせて排除しようという、秀吉のたくらみかもしれない。
ようやく気候も安定してきて、いよいよ渡海準備に入るかという矢先、朝鮮から秀吉に知らせが入った
内藤如安が大明国の北京紫禁城で、万暦帝に目通りを許されて、帰国の途に就いたと知らせが入った、これで秀吉の再征は急遽取りやめになった
取りやめを聞いて安心した大名も多かっただろう、彼らが戦ってきた国内の戦では、戦って勝てば敵の領地と百姓を手に入れることが出来た
秀吉に従っての国内の戦はもっと大きな収穫があった、例えば徳川などは150万石くらいから250万石になったし、蒲生も30万石くらいから92万石になった
3000石、5000石の旗本衆も、万石大名になった
だが、この朝鮮の戦では、いくら犠牲を払っても何も手に入らない
奥州からはるばる1500kmの行程をやって来た南部、最上などは国の仕置きもままならず愚痴をこぼすばかりであった。
それでも彼らは名護屋に留まっているから人的犠牲は出ていない、一番苦難に出会っているのは九州、四国、中国勢であった
秀吉の中には一体、どんな考えがあったのだろう、それらの大名の力をそぐためなら虎の子の加藤、福島、黒田、小西などが入っているのはおかしい
むしろ彼らに朝鮮、大明で大きな領土を与えようと考えていたのか?
名護屋に在番していた蒲生氏郷は体調を崩し、京で養生していたが、ついに帰らぬ人となった、92万石と言う大封は嫡男の秀行に移ったが、その役目は、海千山千の荒馬、伊達政宗を抑え込むためであったから、まだ11歳の秀行には重すぎる92万石であった。
また、毛利家でも動きがあった、毛利輝元の養子となった秀元が正式に、豊臣秀長の娘を正室として娶った。
ところが何と40過ぎた輝元についに嫡男が生まれたのだ、松壽丸と名付けた
これを知って、秀元は毛利家の養子を辞退した
だが輝元は朝鮮でも大いに働きをした秀元に、「成人するまで松壽丸の後見を任せる、儂の代理として毛利の軍勢を指揮するよう」頼んだのであった
秀吉と秀次、秀頼の関係に似ているが・・・
4月になった、釜山にいる小西のもとに沈が訪れた
「小西殿、ようやく明使の倭国派遣が決定しました、遅くとも秋には名護屋へ行くでしょう」
「それはめでたいが、秋とはずいぶんと悠長でではないか」
「それは、お互いに良いのではありませんか、たぶん太閤殿下も余裕が出来てよろこぶのではありませんか」
「ふうむ、そうかもしれぬ」
「このような、愚かな戦は先延ばしにする方がよろしい、いずれまた戦は再開されましょう」
「なんと」
「小西殿は、そう思われませんか、今は我らの「嘘」で停戦しているのです、これには無理があります、いつかこの嘘はバレるでしょう、その時どうするか我らは一歩間違えると命が無くなります」
「そう言われればそうだ、いままで考えてもみなかった」
「我らは大博打をしているのです、小西様」
「儂には、そんな気はない」
「だが、すでに後には引けません、命を懸けるには相応の覚悟と収穫が必要ではありませんか」
「・・・」
小西はようやく沈の正体に気づいた(これは失敗したか)、小西も商家に生まれ、貿易にも手を広げた商人である、そろばん勘定には目ざとい
だが今は肥後で24万石をいただく大名になった、商才で道を開く商人、武力と知恵で道を開く武人、全く性格が違う
それが小西をキリシタン大名にした理由かもしれぬ、一方沈は商人と言いながら、その実は詐欺師である、それも大明国と日本国を欺く大詐欺師だった
どのようにして利をむさぼっているのかは知らないが、外交使節という肩書は金や物を得るために大いに役立ったことは明らかである
それがわかっていても、小西はもう後戻りもできないし、秀吉に懺悔することもできない、このまま嘘をつき通すしかなくなっている。
既に小西は秀吉に、沈は明国皇帝を欺くという大罪を犯しているのだ
(どのように、つじつまを合わせるか、それを考えるしかあるまい)
「どうやら腹が決まったようですね、小西殿」見透かしたように沈が言った
(唐人は油断ならぬと聞いたが、これが唐人なのか)
「小西様、昨日を憂いても得る者はありませんよ、毎日毎日を積み重ねていけばいつの間にか大きな貯えが出来ていますよ、今日を乗り越えていけばよい、明日のことは明日考えればいいのです」
「たしかに! 急ぐことはない、殿下以外はみな戦に飽いておる、明の使節に会うまでは何も思うまい、使節にあってから次を考えよう」
