時を同じくして北陸では前田利家も客将の高山右近と、秀吉の危うさを語り合っている。
前田又左衛門利家、官位は家康と同じ従二位権大納言で90万石の大身
若き頃は織田信長に仕え槍一筋の荒武者で「槍の又左」と呼ばれた
まだこの先どうなるかも本人さえわかっていなかった藤吉郎を、信長に引き合わせたのは利家であった。 藤吉郎(秀吉)17歳、利家16歳の時であった
その前田利家も今は57歳になり頭も眉毛もひげも白くなった、体も次第に衰え始めたが眼光は鋭く、気迫は衰えていない
利家はこの時、久しぶりに領地である加賀尾山城(金沢)に戻ってきている
秀吉にキリシタン追放に逆らって信心を捨てず、6万石の大名の地位を捨てた真のキリシタン、高山右近は秀吉の逆鱗に触れ浪人となったが、実直な利家は純粋な右近に惚れ込んで召し抱えた。
秀吉も、他の大名であれば許さなかっただろうが、前田利家には言うことをせず見逃した、それ以来、高山右近は客将となって利家の嫡男利長を支えている
「太閤殿下と竹馬の友である大納言様に申し上げるのは、はなはだ不都合でありますが、殿下は千宗易(利休)様を切腹に追いやられたころから人が変わりました、高弟の山上様を殺した時の残忍さで、茶道を極めた人々は一斉に殿下を見限りました」
山上とは千利休の高弟で、堺の豪商であり茶道にも抜群の才能を発揮した
しかし直情直言の生真面目さがあり、仕えていた秀吉にさえ辛口の皮肉を何度も言って怒りを買い国外に追い出されている
前田利家に仕えた後には、小田原北条氏に仕えてそこで秀吉に投降した、それでも秀吉に楯突いて挙句、耳と鼻を削がれた上に首を斬られたのであった。
「そのとおりだ、わが倅、利長も口には出さぬが不快な気持ちであっただろうことは察することが出来た」
「それにとどまらず、宗易様までも切腹を命じたことには、殿下に死神がついたとしか思えませんでした、このようなことを平気で行うようになった心変わりはいったい何が原因なのか? いえ、それを暴いたとて今さらせんもないことでございます、されどそれがやがて朝鮮出兵につながり敵にも味方にも万余の犠牲を強いています、誰にも益がない戦を、大納言様はいかが思われますか」
「右近殿、それは問うまい、儂にも口に出来ぬことはある」
「ああ・・申し訳ありません、思わず熱が入ってしまいました」
「だがのう、そなたが言う通り、殿下には様々な方面から不信の目が注がれておる、このままでは徳川大納言どのに傾く者が増えてくる予感がする
儂の目の黒いうちは徳川殿には思い通りにはさせぬが、殿下は徳川殿になぜか遠慮が過ぎるところがある、そのうちに徳川殿が衣の下から爪を出さねばよいがと思っている」
「大納言様から殿下を御諫めできませぬか」
「それは・・・北政所様の言うことさえ滅多にお聞きなされぬようになってきたと言っておられた、儂は案じておるのだ、心配するお身内の声さえ聞かぬ頑固さこそ老いの現れじゃ、老いはこれから様々な弊害を引き起こす、殿下が気がつかねば儂がそれを助けるしかないと思おておる」
「気苦労がたえませぬなあ」
「仕方あるまい、利長にも殿下、関白様、拾いさまをお助けせよと言いておるのじゃが、若い者にはまた違う見方があるようで、色よい返事をいたさぬ」
「私も実を言えば殿下にはご恩を感じているのです、前田様より2万石を賜りましたが、あれは殿下のご意向もあったのではと思ううておるのです、その前年に直接帰参を命じられましたので、『信仰を認めていただけるなら』と申した為、また怒りに触れてしまいましたが」
「そうであったか、そなたが言う通り、あの2万石は殿下から頼まれたものじゃった」
「やはり、そんな気がしたのです、本当はお優しい方なのですが」
「それだけに今の頑固さが心配なのじゃ、徳川になびき始めた者が出てきだした、伊達政宗などは露骨に近づいておるらしい」
「それだけならまだしも、私の茶道仲間からも利休殿粛清の一件以来、弟子であった大名などが殿下に見切りをつけだしたとか申します」
「弟子と言えば、織部(古田)、細川、蒲生・・は死んだか・・そうじゃわが倅も弟子の一人であった、関白殿の家老の木村などもそうであった」
「今の私はご恩ある前田様に身を捧げるのみ、これ以上は申しませぬ」
「そうじゃのう、我らはあくまでも豊臣恩顧じゃ、静かに動静を見ておればよい、秀頼さまに仇成すものが出てくれば討つのみじゃ」
今、豊臣秀吉が一代で築き上げた豊臣家が、早くも2代目の政権を巡って不穏な動きとなって来た、それに明や南蛮という織田信長まではなかった、新たな戦争の危機まで迫っている。
前田利家がいうように、太閤(淀、秀頼)対、関白秀次の構図に加えて
日本 対 異国 、さらに「朝鮮出兵反対派」もできかけている
その中核を成すのも秀吉の過去の圧力を受けた「キリシタン大名」と「千利休の弟子大名」であり、秀次は利休の高弟として、こちらでも反秀吉派の旗頭に祭上げられる可能性がある
ところが秀次本人は危機感は持っているが、秀吉に対抗しようという気持ちなど少しもなかった、「なかった」が、秀吉の秀次に対する圧力が強まるほど、「窮鼠猫を噛む」式に、おとなしい秀次を追い込んでいく、そうなれば秀次も反撃せざるをえなくなるのではないだろうか。
一方、秀吉も危機感が高まっている、それは何といってもキリシタンと南蛮人の問題であった。
三成に命じてキリシタン禁制、バテレン追放を発布したが、さほど効果はなく未だに各地で布教拡大が行われている
それを取り締まりたいが、キリシタン大名もすでに20を超えるほど浸透している、しかもこの先、成り行きではまた朝鮮と大明を相手に戦争になるかもしれない、ここで国内戦争など起これば大変なことになるのがわかる
秀次の件も悩みの種だが、それ以上に南蛮人の問題が頭から離れない、もし南蛮人と明、朝鮮が手を組み我が国に立ち向かえばどうなるか
秀吉が九州で聞いた話では、南蛮人は占領しようとする国にまず教会をたてて、その国民にキリスト教徒を増やし、それを配下にして国を奪うのが手段だと言った
それは、まさに今の日本がそうで秀吉の許しもなく大名たちの一部は自らキリシタンになり領国の中にキリスト教を広める手伝いをしている
秀吉には当然ひざまずくが、南蛮の神デウスとやらにも同様にひざまずくのだという。
これを聞いて秀吉は昔の一向一揆を思い出した。
あの織田信長さえ本願寺一向宗に10年も手を焼き、しかも討ち果たさぬまま和解してようやく鎮めたのだった、南蛮人とキリシタン大名が手を組んだ宗教戦争が国内で始まれば、一向一揆の比ではない
南蛮船は今は貿易船しか入ってこないが、軍船は朝鮮や日本の水軍の比ではないという、信長が作った鉄鋼船より遥かに大きく大砲の装備も多いという
まず海戦では勝てまい、そして沿岸や淀川などを上って大坂城や街並みを砲撃すればたちまち大火が起きて大混乱が起きる
それに乗じて国内の反乱分子が攻め寄せ、南蛮の軍隊が最新式の武装で共同して攻め寄せれば、日本軍が朝鮮を攻めたことの裏返しにもなりかねない