日本海側では珍しい一週間連続の晴予報、いろんなことをやりたくなってきた
季節的にはやはり「桜の花見」でしょう。
去年も同級生なかよし会で「花見」をしたのだけど、コロナ下で、ほかには誰もいない公園でした。
たぶん今年は、あちらこちらにグループが出来るんでしょうね
日本三大夜桜の高田城公園も、間もなく夜桜ライトアップ点灯、久しぶりにおおぜいの来客で賑わうでしょう。
松平忠輝 徳川家康の六男、越後高田60万石 気性荒く、戦国が続けば家康の後継者になる可能性もあったが、統一安定期を迎えたため、内政的資質がある温厚な三男秀忠が家康の後継者となった。
忠輝の奥方は、戦国の荒馬と言われる独眼竜伊達政宗の娘で、この二人が結託して秀忠にとって代わることを恐れた家康は忠輝を改易して力を削いだ。
春と言えば恋の季節とも・・・
日記の整理をしているけど、今は高校三年生までやってきた、1968年です
まさに、わたしの第一次恋の季節はここだったんだと、日記で改めて発見
書き捨ての日記ですが、こうして読みかえしてみると、人生新発見ばかりです 同学年の女子、数日ごとに三人の名前が日替わり、あるいは同時に出てきます
高校時代の自分はシャイで、内向的だと思っていましたが高二からは、やんちゃな1歳上の友達3人とバンドをはじめ、映画も良く見たし、リバプールサウンズやGSにも熱中、しかも山岳部にも入って、さらに女子ばかりの文芸部にも近づき、美術もやった、あるいはバイクと自動車の免許を取り、また写真フィルムの現像と引き延ばしの現像機も買って友達の写真も引き受けたので、一気に女子との接点が爆発的に増えたのでした。
下級生の女子から写真の現像を頼まれたりもして、結構幅広い人脈が出来た
しかも岐阜の女子との文通も絶頂期で、やはり高三は「春の季節」だったんだと、今更ながら驚いているのです。
一番仲良しだったA子は一緒に富山の自動車学校へ通い、一緒に免許を取って、彼女の家まで免許書を届けに行って、そのお母さんが水商売でもあり、とってもくだけた気取りのない人で歓待してもらったことも何度か
恋心があったか、なかったかわからないが気になるひとりではあり、本命との駆け引きの中で気を使っていたのに、知らぬ間に同級生の山岳部員と交際していたという、とんだ三枚目事件もあったりした
A子とは、今でもたまに一見することがあるが、活きのいい男と結婚して、母親譲りのしゃれたマダムになっている。
関東に住む本命B子の現状は、たまたま一緒に旅行をしたA男から50数年ぶりに聞いた、二人は同じ中学、高校卒で、関東へ就職後も連絡をとりあっていたのだと、重大な病を患ったそうで、外目にはたいへんな生活に思えた
A子、B子とは何度か山に登り、あるいは集まって文学や恋の話をしたりしてフランクなつきあいをしていた、それは忘れていたけれど、日記を読みかえしてわかったのだ、登山は覚えているが、休日に会って話をしたことは未だに思い出せない
C子は富山に住んでいる、同級会で一度だけ会って、ツーショット写真を撮ってもらい、隣席で話をして別れ際に握手をしたが、あれから20年以上たった。
みんな誰でも長い人生の中で幸と不幸を繰り返す、それは死ぬまで続く
「人生はそんなもんだよ」と割り切れば、あんがい乗り切れるものだ
明るく楽しい気持ちで暮らせる人間の勝ち、というところだな。
やはり青春時代はドラマチックでした、今は当時のそんな自分をほほえましく見ている初老のおっさんになってしまいましたよ。
人生は未来が見えないけれど、過去は通って来た道をふりかえることが出来る
未来は今の努力で変えられるけれど、過去はもう変えることが出来ない
変えられない過去を悔やむのは愚かで時間の無駄、変えられる未来は、今何歳であろうと誰もが持っている
さあて悔いのないように、いろいろやってみますか!