神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

今日の事 桜を見て歩く

2024年04月12日 18時56分41秒 | ライフスタイル
 「PERFECT DAYS」を見て少し刺激された
私は2年前からPERFECTな「FREEDOM DAYS」になって、仕事のオファーも断り、勝手気ままな生活を始めた。
義理あって船長の手伝いを冬の間10日ほどやったが、これも行く行かないは私の気持ち次第が条件だった。

一日の暮らしは、やっていることはほとんど毎日同じで、始める時間、やっている時間の長さが違うだけ、あとはやりたくない日はやらない。
2年も続ければ、ほぼマンネリで変化が欲しくなる
だから畑つくりを始めたし、散歩+写真撮り、女性部への入会、映画も見に行くようになったし、リースやステンドグラス作りなどを始めた。

まだまだ暇な時間が多くある、youtubeを見る時間も増えて来た、今はPCからモニターにつなげて大きな画面で見ている
youtubeで外国人の日本旅行を見ていたら、カップラーメンを美味しそうに食べていた。長い間カップ麺が好きで、評論家のように色々食べていたが、健康に良くないと思い、もう二年くらい食べていなかった
だがこのyoutubeで急に食べたくなって、スーパーで一個だけ買ってきたが、これがなかなか美味しい「生ネギみそ、生ニンニク+」麺もつるつるして食感も良い、これは週一くらい食べるかも・・・

ついでに、もう雪が道路を覆う危険性はゼロだろうからと、ひるいちに自動車工場へタイヤ交換に行って来た。
50代までは自分で交換していたが、調理場に入ってからは他人任せになった。
どうも自動車関係は苦手で、ガソリン給油も頑固にセルフはやらないし、労力と道具が必要なタイヤ交換は尚更、その代り保管料も含めて5000円×2回払う。

 そうそう、知的障碍者支援施設へ行ったついでに、ちょっと山手の集落まで足を延ばして桜と田舎の風景を撮ってきた
やはり桜や花は晴天の青空の下が映える、ウグイスの声、鳥の声、田んぼではカエルの声、川の流れる音、田舎ではいろんな音が聞こえてくる。







そうだ、今日は15時になったら家の周りの片づけをしよう、ずいぶんとヤバしくなっている。
時を忘れて、みっちりやった、時計を見たら2時間近くたっていた
いいね! 集中できた。
新しい一年が始まったばかり、気持ちよく一年を過ごしたい。







「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 68

2024年04月12日 08時21分53秒 | 甲越軍記
 城中に紛れ込んだ勘助の手の者たちは用意した火薬に火をつけて回ったのであった。
折悪しく、小田井の兄弟は東西の櫓にあがり兵を指揮していて、この狼藉に気づかなかった
城兵はわけもわからず騒ぎ立てた、「裏切り者だ」と言えば「敵が紛れ込んだ」という者もあり、守りに乱れが生じた。
小田井又六は味方に向かい「直ちに二の門内に引き揚げよ」と下知して自らも二の丸へと入った

勘助は、これを見て「謀ごと成って、もはや外曲輪の敵は去ったぞよ、城戸を破って突入せよと馬上から立ち上がって采配を振れば、諸兵たちまち城戸を打ち破り二の門に押し寄せた
これに元気をもらった板垣勢も押し出し、その中より広瀬、馬淵の二人も勇み出て早、山本勢の後ろから二の門に取りついた。

これを見て小田井兄弟は二の城戸にあって、散々に矢を射かける
しかし既に二の丸の内にも勘助が放った兵が潜り込み、またしても火を放ったので、その日は十二月十八日、燃え盛り煙に巻かれた曲輪に見切りをつけて、「もはやこれまで、城外に出て討ち死にして思い出の戦とせよ」と言えば
一番に小田井次郎左衛門、忠臣五十名余を引き連れてまっしぐらに討ち出でる
勘助はこれを見て、城将小田井の内と見て「討ち取りて今日の功名とせよ者ども」と下知すれば武田の勇士、次郎左衛門目指して一斉にかけ寄せる
次郎左衛門は四尺ばかりの太刀を抜いて、当たる先から散々に切りまわれば、流石の武田の勇士も近寄りがたく道を開く有様
この時、小幡虎盛の嫡子、同名孫次郎が名乗って、次郎左衛門の馬の前に駆け寄り太刀を抜き、次郎左衛門の馬の前足を薙ぎ払えば、いかなる名馬、いかなる豪傑と言えどもひとたまりもなく、馬はどっと前のめりに倒れ込み、次郎左衛門も馬から真っ逆さまに落ちて来た
すかさず孫次郎、次郎左衛門の首を切り取った
これを見た小田井の家老、上原市之助は目前にて主君の首を渡されようかと孫次郎めがけて飛び掛かって組み付けば、剛毅な孫次郎は次郎左衛門の首を投げ捨てて上原に組み付いた
上原と孫次郎はくんずほぐれつ、上になり下になり組み合っていたが、いつの間にか孫次郎は上原の鎧の隙間より短刀を深々と突き刺し、上原は抜群の豪傑と言えども、たまらずうつ伏せに倒れるところを首を掻き切った。
「小田井次郎左衛門、同老臣上原市之助を小幡孫次郎虎俊、当年十九歳、主従を討ち取ったり」と大音声を発した。

この時、小田井城落城の知らせが晴信の耳にも届いた
晴信は自ら床几を陣幕の外に持ち出して、我が勢の活躍を見物する脇から、春日源五郎も駆け出し、城の外曲輪より二の門を目指したところへ、城中より鯰尾の兜、白壇塗りの鎧を着た武者が一騎駆け出て来た、これは上和田孫次郎なり。