神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

目が回るくらい「ああ目が回る」

2024年04月27日 20時12分52秒 | yottin日記
 長男は今日から10連休に入った
私が過ごした人生の中では旅行以外で3連休以上取ったことがなかった
新婚旅行が一番長い連休で5泊6日、あとは3泊の旅行が何度かあったくらい
そのおかげなのか今は毎年365連休をいただいている。

仕事を離れて2年4か月過ぎた、さすがに時間のつぶし方を覚えてこの頃は忙しすぎて体が休まらない。
水曜日は早朝4時起きで漁師の手伝いで一日終わり、帰って来てから録画で大谷を見て


木曜日は次男と新湊へドライブで一日終わり、帰って来てから録画で大谷を見て

富山平野に水が満たされ、いよいよ田植えの季節

まだ桜をめでる

魚津からの富山湾と能登

コガモがいた公園

海王丸パーク

金曜日は午前中は歯医者へ行って終わり、帰って来てから録画で大谷を見て
午後はホームセンターでいよいよ始まる畑仕事の苗を買いに行き、三時から内科医院へ花粉症の経過報告に行き薬をもらい
今日、土曜日は朝6時から、畑にマルチシートをセットして明日からの植え付けの準備を1時間半ほど行った
8時から久しぶりに大谷をライブで7回まで見て、それからおばさんの49日の法事に行って来た。

49日の法事もご時世とはいえ簡単質素で、おばさんの息子夫婦、私の妹夫婦、それに私の5人だけ
終わってからレストランでお斎の食事、久しぶりに日本酒を2合いただいた
従兄はワインを1本空けて、妹の夫はビールを3本飲んだ
みんな同級生で、レストランのマスターも同級生、客で来ていたのも同級生
小さなレストランで5人も同級生が・・・ちょっと面白い
料理はこれでもかと肉、肉、肉で、それを全部食べたので夕飯はとうとう食べられなかった。
3時に帰宅したら、ちょうどよい良い加減ですぐに寝たら、5時半まで寝てしまった、夢の中でまた法事をしていた。



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 82

2024年04月27日 13時59分07秒 | 甲越軍記
 まず最初に、広瀬郷左衛門が藤田と槍を会わせた
三科肥前守も広瀬を助けようと近づこうとするが、碓氷峠の難所ゆえ足場は悪くその僅かな場所で二人が動いて打ち合うため容易に近寄れない
広瀬、藤田もまた大長刀、槍を自由自在に操るには狭すぎて、互いに得物を投げすてて組み合い倒れる、そこは自下がりの坂道、二人は組み合ったまま上になり下になり転がっていく
そのうちに広瀬郷左衛門が藤田を組み敷くと同時に、その首を掻き切った

藤田の郎党は急ぎ広瀬を討たんと近づくが、そこに三科肥前が槍を振り回して当たるを幸いに切りまくった。
これを見ていた曲淵庄左エ門は一番槍を広瀬にとられ歯噛みをして憤り、ただちに大軍の中に突き進んで暴れた。

これにより上州勢は大軍と言えども、山道は狭くて一度に攻めかかることもままならず、前は詰まり、後は進め進めと押しまくり、真ん中は窒息するほどの密となって身動きできぬ有様
そこへ高きところから広瀬、曲淵、三科を先頭に板垣勢が押しまくるから、上州勢はたまらず後退した
先頭は後退するが、後方はわけもわからず登ってくるため、上州勢は大混乱となりわき道に転げ落ちる者も多数
ついには総崩れとなり、我先に峠を下るがままならぬ
そんな上州勢の中から、師岡隼人と名乗り、今一度峠を取り返す勢いで抜け出す武者在り。
三科肥前守はこれを見て「さては上州勢にも、恥を知ったる立派な大将があると見えたり
三科肥前守、当年十九歳、そのような立派な大将首なれば雑兵の手にかかるより、某の手にかかれば閻魔大王への申し訳にもなるべし」と進み寄る
師岡も「これは悪しき敵の広言かな」と突き寄せる
互いに槍を交えて突きあううちに、三科の槍が師岡の面部の真ん中を渾身の力で突き抜いた
師岡は声も立てずにどっと倒れ、三科は素早く首を掻き切った

是より武田勢は、高きより低きに攻め下り追い打ちにして、栗原、日向、相木、芦田高名を上げて、ついには坂本宿まで攻め下る
首を取ること千二百十九級なり
やがて板垣信形「勝って兜の緒を締めよ」と坂本にある味方にも急ぎ峠を上るべしと引き上げさせた。
その日の午後となり、板垣は勝どきの法式厳重に執り行い、床几に座って首実検を行う姿は、さながら大将軍のように天晴美々しく見えたのであった。