神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

初春の高原 林の中を歩いてみた

2024年04月19日 20時16分15秒 | 散歩道
 昨日は東飯綱高原へ行って、のんびり数時間を過ごした
晴予報だったが、黄砂もあって一日中、青空は出てこなかった
1000mの高原は肌寒かったが、カメラを持って歩いた
ところがメモリーカードが挿入されていなくて、使えないというおそ松
それでスマホでの粗い写真しかない

まだシーズンオフで誰もいない林の中を一人で歩いたので、熊とかが薄気味悪かったが、林の魅力が勝った、川の流れなんかもあって気持ちよい
トレッキングコースになっていて道も案内板も整備されているから、どってことは無いんだけど、ビビリなんだよな。




歩いていると、鳥が近い、幾種類か見られた
最近は特に鳥の写真を撮りたいと願っているので、鳥に敏感になった
今日もヒヨドリに会った、ウグイスも鳴いている
あああ カメラ・・・残念







「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 75

2024年04月19日 08時06分02秒 | 甲越軍記
 このような危機に会っても晴信は少しも動揺せず、また左右の旗本もこの主にして、この将あり少しも騒がず毅然として敵の攻撃に備えている。

村上方は先陣を五隊に分けて、楽岩寺右馬助、井上九郎光興、須田大炊(おおい)綿内左内左衛門、牧島玄蕃允、その後ろは村上の本陣である。
先陣が遮二無二に攻め込んで、晴信本陣が崩れたら村上義清本隊が一気に攻め込んで晴信を討つと言う、思い切った布陣である。

先陣は早くも鯨波(とき)の声を上げて攻めかかる、まずは甘利備前隊、鉄砲を撃ちかけるが村上方は盾を並べてじわりじわりと攻め寄せてくる
村上先陣の五頭に加え、足軽大将小島五郎左衛門の隊も押し出しついには六頭揃えて攻め寄せる
寄せる村上勢は晴信の首取らねば更科に戻ること無し、守る武田勢もここで敗れれば甲州に戻ること無しと互いに思えば、互いに引かずの乱戦となる
されども村上方は大軍、討てども討てども波の如く次々に攻め寄せる。
中でも小島五郎左衛門は黒塗りの陣笠に耳を金にて覆輪とり朱を以て篠の紋を散りばめ、白糸縅の鎧、鉄の金物を打ち、大尺の馬にまたがり三尺九寸の太刀、熊の皮の尻鞘、大声で先頭に立って味方を励ます天晴なる勇士

ここは北は大沼、南は泥田で水が満々として入れば抜けることができない、ただひたすら正面の甘利、小山田隊を滅ぼすしか攻め口はない。
大軍が一度に付け入ることは不可能、ついに小島は馬から飛び降り、大身の槍を以て甘利勢の中に飛び込み、たちまち六、七人を突き殺す
さらに鬼人の如く目をカッと見開いて周囲を見渡し、またも当たるところから突き殺せば、ついには甘利、小山田勢は崩れて一町ほど引き退く

このとき、この場に居合わせた甲州勢の検視役、横田備中守、その子横田彦十郎は馬上より味方諸士の剛臆を見分していた
彦十郎は今年二十ニ歳、実は原美濃守虎胤の嫡子、備中守の養子となった
天文九年、甲州小荒間の戦で十六歳の初陣に功名を挙げ、今年に至るまで五度の功名を挙げた若者である

いま味方が崩れようとしているのを見て、馬から飛び降りて敵の中を押し分けて、小島五郎左衛門めがけて斬り入ろうとするのを、小山田備中が追いかけて馬上から「彦十郎、我らの役目は旗本として遣わされた検使である、もし検使たる我らが討ち死にでもしたら誰が味方の剛億を見て伝えるのか、検使は戦功見分が役目ぞ」と言えば
彦十郎は「厳父の申されることもっともなれど、時と場合というものがあります
もしここで味方の前線敗れて敵が本陣に切り込み、万が一大将軍討たれたならば、我らの見分は誰に伝えるのですか
味方が総敗北となる事態に安穏として見分などしていられましょうか
もし味方が勝って、我らが見分の職をおろそかにしたと咎められたら、父子共に切腹いたせばよいだけのこと
我において国家の大事を見ぬふりする気は毛頭ありません」と言い捨てて敵中に姿を消した。
備中守はこれを聞いて「負うた子に浅瀬を教えられ渉る」とはまさにこのことである、と言うと彼もまた槍を持って敵中に切り込んだ。

彦十郎は、思いのままに槍をふるって味方を倒す小島五郎左衛門に近づき、槍を合わせた。
いずれも剛勇の士なれば声も立てずに槍を突きあったが、横田の槍先が小島の二の腕に傷を負わせた
小島の槍に負い目を見た彦十郎は「今ぞ」と組み付き押し倒し首を掻かんとしたが、小島もしたたかに組み敷かれながらも右手指しを抜いて、彦十郎の草刷りを引き上げて刺そうとするところ「やさしき奴が振るまいよ」と彦十郎は言って、小島の小刀を取り上げ素早く小島の首を切り落とし、軍配と共に取り上げて仲間(ちゅうげん)に預けて本陣へ走らせた。
横田もまた槍傷、刀傷を四か所受けて朱に染まりながら、更に敵を求めて進みゆく

足軽大将の小島五郎左衛門が討たれて色めき立つ戦場で、甘利備前守は「検使までもが命のやり取りをする事態において、我もこうしてはおられぬ」と良き敵を求めて馬を走らせると楽岩寺の手勢に遭遇して、鬼人の如く、阿修羅のごとく切りまわって討った敵の数は知れず
太刀は曲がり、それを鞍に当てて押し曲げもどし、また敵を討つ
流石に疲労の色濃くなり、暫し馬を止めて休んだところに敵は鉄砲を撃ちかけると胸板を銃丸が貫き、ここに武田家を支えて来た重鎮甘利備前守は馬上から真っ逆さまに落ちて死んだ。