神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

自分の体力と限界と年齢

2024年04月29日 20時12分12秒 | 病気と健康
 今朝起きたのは4時半だった
もううっすら明るくて、歯を磨きながら庭を見ると、南の方向には下弦直前の二十日の月が見えた。

新年を迎えた時に(新年になったけど、気が付けば四月になっている)と思っていたけど、やはりもう4月で、それもまもなく終わろうとしている
月日の流れの速さは、2月、3月を意識する間もなく4月なのだ。
こうしているうちに夏が過ぎ、秋になり冬がやってくる、そしてまた一つ歳を重ねる。

元へ 4時半に起きたのは、また船長に手伝いを頼まれたからで5時半に家を出て港へ向かった
なんか仕事をするには早い気持ちでいたが、考えて見れば現役の時も5時半に起きて6時には魚市場へ行っていたのだから、別に早いというわけでもない。
それに歳を取ると早く目が覚めるというけれど、全くその通りで早寝も早起きも気にならなくなった。

5時に朝食を食べたのだけど、テレビをつけたらドジャース戦が7回になっていた、ドジャースが1対3で負けていて、フルベースの逆転チャンスだったが外野への大飛球で終わってしまった、早起きして見なくてよかったと思った。
大谷もノーヒットだったし。

朝は元気で家を出るのだけど、港でも張り切って仕事をしている
だけど家に帰ってくると途端に疲労感が出てくる
それでも賄いの魚を1時間くらい調理するので疲れている暇がない
同時進行で風呂を沸かしながらの作業で、仕事終了と同時に作業服を洗濯機に放り込んで、風呂に入って30分、体を洗ったり、体を温めたり、寝てみたり何か空想したりしている。
これで気分的には疲れは薄れていくのだ、このままベッドに入れば心地よい眠りにつくのだろうが、まだ夕飯を食べたり、昨日買ってきた野菜の苗や畑に水を撒く仕事が残っている。
なかなからっくりさせてもらえない、貧乏性なのだろう。

それでも間もなく74歳になるが、まだまだ元気で働けるのはありがたい
基本、病気らしい病気はしない体質なので血圧とか糖尿とかの薬も必要なくありがたいと両親に感謝
そのかわりケガはよくする、それでも縫うところまで行かないのがありがたい
でも顔面打撲だとか脛の裂傷だとか、指の骨折とかけっこうあせくらしい
というより酔っぱらってのケガが圧倒的に多かったのだ。

最近は酒も遠ざかって、家で飲むことは月に一日くらいで、それも一合がいいところ、おかげで日常的だった胃痛も最近は起らなくなった。
同級生が相次いで骨折や病気入院、手術をする中で元気にやらせてもらっている方だ
父も80歳までは医者知らずで現役だったから、私もその血を引いたようだ
親が90過ぎまで生きていたから、自分もそれくらいは行けそうだといつも思っている。

この頃、「僕は70歳まで生きればいい」「私は70歳で死にたい」といった声を聞くことがママある
「へえぇ?」だ なんでそんな気持ちになるのかわからない
そう言っていながら75歳くらいでもピンピンしているから言ってやる
「自分で死ぬ時を決めたって思い通りにはいかないよ、寿命なんて神様が決めるのだから死ぬまで生きてりゃあいいんだよ」

ともだちのつー君が撮ったメジロの写真
無断転載 ごめんね



奥村チヨ 「終着駅」 1971




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 84

2024年04月29日 15時23分53秒 | 甲越軍記
 晴信が駆け出たのは五日の辰の刻であった
既に信州に入り志賀を駆け通った時には、志賀の城主笠原新三郎は上杉家に志を通じていたので、晴信が一騎駆にて志賀に至ったと聞き
「今、この時こそ天が我らに与えた晴信めを討ち取る絶好の機会なり」と勇み、思う間もなく城を駆けだした
笠原もまた鎧を肩にかけたまま飛び出すほどの急であったから、従う士は五十七騎であった。

晴信の馬術の妙は天才的であり、その速きことは誰もついてくることが出来ず
武田の精鋭と言えども、何とか晴信に追いすがって走る武者は近臣旗本の十二騎のみ
その中でも、晴信に馬を並べて疾走する達者は春日弾正ただ一騎のみである
この時、笠原が一党は馬を走らせて、晴信の横合いから突きかからんと近づいてくる
晴信は、これを見て「弾正、あれを追い払え」と命ずると「心得たり」と馬に鞭をあてて笠原勢十六騎に向けて一騎で向かった
やや遅れて駆け付けた小幡虎盛はこれを認めて「危うきや弾正」というが間もなく、弾正の方へ馬首を向けて走る

笠原が見つめるのは、ただただ武田晴信の姿のみ、一心不乱に晴信に迫りゆく
そこに近づき走る春日弾正さえも目に入らず、なおも駆けて行く
恐るべき猛虎が近づいていることも知らず
そして突然、弾正の槍が一閃、ようやく敵の迫ったを認めた笠原であったが、すでに遅く。弾正の槍先は笠原の左の肩を貫いて、たまらず「どっ」と落馬した。
すかさず弾正はとどめの一槍を突かんとしたところに、笠原の臣、笠原與一右衛門が駆け寄り、太刀をかざして討ちかけてきた
弾正は、笠原新三郎の留め槍の矛先を與一右衛門に向けて突きだせば、わずか一突きで倒し、それを投げつける間に笠原の家人たちが新三郎を救い出して後方に下がる
その入り乱れた中に小幡虎盛が突き入り、たちまち六・七人を切り倒した
その鬼神の如き虎盛の勢いに、笠原の兵士たちは四方八方に逃げ散った、そこへ遅れて駆け付けた武田の諸士が取り囲み、笠原勢の首三十ほど討ち取った。