今日も忙しくてアップが遅れました
朝5時からはドジャース戦、終わって9時半から支援センターの会議に出席
友だちからの相談に乗ったり、畑の苺苗をかまったり、それから魚を届けたりしてもうこの時間です、一日は短い。
晴信は左右をキッと見渡し、「ここに至ってもはや予が旗本を率いて村上勢に攻め込み義清との一戦を試みて、味方が総崩れとなれば討死も仕方あるまい」
と言うと床几を離れて馬に乗ろうとした。
そこに山本勘助が御前にまかり出て言上
「いかにわが君、村上の大軍の前に甘利、横田も討ち死になされましたが、これも今この時までの事
これほどに崩れた味方ではあっても唯一勝利する方法があります」
それを聞いて晴信は
「いかに諸葛孔明であっても、このような状況の中で勝利するなどの方法は思いつくまい、ここに居たまま討死するよりは、村上の本陣に切り込んで屍を戸石の戦場に晒すほかはあるまい」と言った
勘助はそれを首を左右に振って否定しながら
「さしもの名将も御歳若くましますから短慮に走るのは仕方なき事
されども危戦を挑まず、身を全うして始終の勝利を肝要といたすことこそが古今良将の成すところであります
これほどの不利な戦にも勝利の一手はあります」
晴信は不審な思いもするが
「なにか謀略があると申すのか」
勘助曰く
「今、敵は西から東のわが本陣めがけて攻め寄せています、これは水の高きより低きに流れる勢いがあります
これを備えを転じさせて、敵の馬頭を南に向けさせます、そうすれば味方は敵の横合いより突っ込んで勝利といたすことができます」
晴信は「その理はわかるが、今の味方の乱れた様で敵の勢を南に向けさせるなど不可能であろう」
勘助はそれにも応えて
「しからば後備えの諸角豊後守の七十名と、某の預かる二十五名を合わせて九十五騎、お預け願えれば某に敵頭を南に向ける一計あり、敵が南を向けば、君は采配を振って自ら一気に敵勢の横腹を突き前たまえ、わが方の勝利は盤石です」
これを聞いた晴信は満足して豊後守を呼びだし
「汝の勢七十騎を勘助に与えたまえ」と申す、勘助は急ぎ馬に乗りいずれも幟小旗を指した九十五騎を率いて、下澤の方から戸石村を大回りして、村上勢の更に南に回っていった。
この時、村上を抑える部隊は甘利、横田の大将が討死、残った小山田も手傷を負い、それでも三度まで村上勢を撃退したが、米倉丹後守の兵と甘利、横田、小山田の残兵も討ち死に、傷者多く
村上勢は1万騎、「武田晴信は元より、武田の兵は一人残らず討ち取って甲州へ返すべからず」と、ひたひたと押し寄せてくる。
ところが南の方の山陰に武田の旗、数多なびくのが見えた
これぞ勘助の百騎であり、僅かな手勢を幟に小旗をなびかせて、いかにも一手の加勢のように見せかける
村上義清は、これをみて勘助の策にハマってしまい、「これは新手の敵の後詰
このままに進めば、後ろを南から回られて前後に敵を受けることになる、急ぎ南の敵を攻めようぞ」
ついには東に向けた軍を戻し、南へと矛先を変えて進み始めた
晴信は「この時ぞ、敵は勘助の謀りにかかり南へ向き始めた、もし確実に南に頭を向けた時こそ、我らの勝利の時なり、者どもこの機を逃すべからず」と勇み立つ
勘助は、この時、戸石村から斜めに本陣へと立ち返り「この時を失うべからず、小山田備中勢は二の手を詰めて、村上の本陣へ横槍を突き入れるべし」と下知する。
旗本勢は朝から一戦もしておらず「早く早く」と勇み立ち、諸角豊後、安間三右エ門、曽根内匠介、教来石民部、春日弾正等、籠中の鳥、雲を出でたるが如し、一同に攻めかかる。