神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

地球 生物存在の意味

2020年12月02日 23時37分31秒 | 宇宙.神秘
人間は複雑だ
現在の地上で唯一複雑な思考回路を持ち、一瞬にして変化する感情
欲求を欺いて正反対の行動をするとか予測不能の行動もする
物を作り出す能力、二本足歩行、尾が退化した体
しかし他種生物を捕らえて食べてしまう肉食性は必要以上の殺戮と
食べ残しを平気で行う
けれども自分の生存価値を問うてみたり、悩んでみたり、感情も豊かだ

動物、昆虫も地上の生物だが人類と違い、大規模な生産活動や発明
農業生産などの活動はしない
人は何のために生まれたのか?と、人はみずから問う、だが動物や昆虫には
そんな考えはないように見える
植物も含めて、彼らはただ子孫を絶やさぬための活動を繰り返す事だけに
一生をかけているように思える
感情もないかと思えば、それは違う、動物の多くには喜び、悲しみ、怒り
恐怖などの感情があるように見える
それにしても生きる目的は種の保存だけのように思える
それに比べたら、人類はずいぶんと無駄なことに時間と労力をかけている
そもそも近年は種の保存さえも忘れかけている、種の保存を原始的な行為と
蔑み、同じ行為を愛情表現にすり替えることで美しいと位置づける
これこそ人間と動物の最大の相違点だ
人類は損得勘定で種の保存数を調整する、動物は最初に死亡率を直感的に
知って、それを含めた数を産む
強い動物ほど消耗率が低いから一度に産む数は少ない、魚のように海の中で
卵を産む者は数万に一つしか生き残らない
それでもおびただしい数の魚が大人になる。 はたしてイワシと人類のどちらが先に滅ぶのか興味あるところだ
人類は猿人から数えても100万年くらいしか歴史がない、大型恐竜の時代は
形を変えながら1億年以上続いた
人類が1億年続く姿をどうしても想像できない、それは進化の速度があまりにも
早いからだ
一万年後の人類が、どんな姿で生きているのかが全く想像できない、多分猿人と現代人以上の違いがあるように思う
それは進化なのか退化なのかわからない、できることなら種の繁栄以外を考えない生物に進化?してほしい
それが一番生物としての幸せだと思う、他には食べることさえ考えるだけで、それ以外の苦悩は何もない
人間は何のために存在しているのか? 生物すべてに死があることの意味は何なのか?
魚や動物はすべてが食べるか食べられるかの瀬戸際で生きている、ださらそれが存在価値とも言える
それでは人間はどうなのか、食物連鎖の頂点にいることは確かだ、だが永遠の命ではない、そこに存在の意味が隠されている
はたして人間は食物連鎖の頂点なのだろうか?





親戚

2020年12月02日 20時03分47秒 | yottin日記
戸籍上の従兄弟はたった一人しかいない
母の兄の一人息子。同級生だ
父は一人っ子で、母は兄一人だった
父の母(私の直系の祖母)も一人っ子  その直系の母も一人っ子で、我が家は3代、一人っ子が続いた
一人っ子なのに兄弟がいる、みんな親が離婚してのち、再婚して新所帯を持ってできた子だ
だから血は繋がっているが戸籍上では他人である
ゆえに我が家は親戚が少ない。 今の時代は願って親戚を少なくする人も多くなった、親戚が多いとそういうこともあるだろう
我が家は逆に少ないから、他人とさえ親戚づきあいをすることがままある

昨日、お歳暮を贈った。  長野県の安曇野のOさんは県内の高校の校長を務めた人で私より3歳くらい年上だ
付き合いはそれぞれの親の代から始まって、結婚式、お葬式に呼び合うほどの付き合いをしている。
きっかけは湯治の温泉でたまたま相部屋になった、おばあさんと仲良しになったからである
それ以来、家族ぐるみの付き合いが60年近く続いていた、だが私と先方の現戸主で付き合いも終わるだろう
息子たちは全く興味がないからだ

もう一人は福島県のSさんで、この方のことは父の従兄妹だろうという以外、何も知らない、だが血がつながった親戚であることは間違いない
数少ない親戚だと思うと、私的には父が亡くなったからと言って縁を切るのは忍びない
それで私のプロフィルとSさんのお父さんとの関係を書いてお歳暮の中に入れておいた
そうしたら今朝、電話がかかってきた、話をするのも初めてでワクワクした
父の叔父さんとは姓が違うから、嫁に行った長女だと思っていたら、親と一緒に暮らす三女ということだった
三女となれば、長女と違って私と歳はぐっと近づくのではないだろうか? さすがに歳まで聞かなかったがきっとそうだ
一度もあったこともないし顔も知らないが声は老域ではなかった、Sさんは我が家との関係はあまりわからないようだった
けれどSさんのお父さんと、私の父との関係やエピソードを知りたいと言っていた
私は父から、けっこういろいろ聞いているので追々、手紙で知らせたいと思っている
父とは会ったことがあると言っていた、わたしもSさんの両親とは東京で55年ほど前に会っている
急に親戚が一軒増えた気分で嬉しい、今時の時代にこんな人間も珍しいだろう
知人に聞いても、「今年で年賀状のやり取りも断った」と断捨離ならぬ「断旧い親戚」もちらほら聞く
私の場合、今度の件は明治30年前後の姉弟のつながりだから、120年くらい前のつながりだ
これをもう10年ほど延長しようという試みなのだ、そして私とSさんのいずれかがダメになれば、そこで我々の縁も終わる
おそらく会う可能性は少ないと思うが、同じ血縁同士ささやかな交流を続けたいと思う。