80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

これが今年最後の散財と固く固く誓う

2024-12-07 01:06:45 | 中央東線方面
今週は体調を崩して臥せ気味の生活を強いられました。やはりバチが当たったのかなぁと思える唯一の原因がコチラ。

TOMIXのDF50(茶)であります。少し前に某店の委託に出てから暫く様子を見ていたのですが、さすがに好き嫌い・・・というか要不要?が出やすい形式・仕様だからなのか動く気配がなく(割安なのに。。)、それならば!と回収に走った次第。先日のオハネフ13は「今年最後の散財の始まり」だったのかも知れません。我ながらこわいこわい。。



ウォホホ・・・いい眺めですね。店頭の試運転では走行も全く問題なく、付属品も未取付で新品同様です。昇降ステップの位置間違いで初期品にリコールがかかりましたが、こちらもちゃんと対策済み品でした。



朱色よりもフィルターのシルバーがより目立つ感じがします。白線がビシッと決まってますね。台車は両端がDT102で中間がDT103。動輪径が1m(模型12.5mm)と電車に近いサイズなので腰が低い感じがします。スマートな車体に似合わずスポーク車輪を装備するアンバランスさも泣かせポイントです。



さて、満を持して当鉄道にも入線したDF50。管理人はこれをどうするかというと、はい、中央東線の甲府以西が非電化だった頃を再現します。DF50というと四国、紀勢、南九州というイメージが強いですが、1959年頃~1965、66年頃の短期間だけ長野機関区にも配置され、中央東線、篠ノ井線系統の無煙化進展に活躍したのだとか。甲府から先はキハ07に乗り換えて韮崎までしか行けなかった当鉄道ですが、これで松本、長野まで行けるようになりました。笑



いや、厳密にはまだ「行けるようになっていない」が正解です。DF50はディーゼル機関車黎明期の作で出力が低かったため、勾配線区の中央・篠ノ井線では常に重連で運用されていたようです。なので相方が必要です。いま、秘策を進めているところです。

あと、無煙化という割に煙が出る機関車が見当たらないので、来春発売予定のKATOのD51をカスタマイズてんこ盛りで長野型にして入線させるべく、2025年度の散財計画を審議しているところです。いやぁピークの見えないこの散財峠、困ったもんですなぁ。。

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11 コメント

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Unknown (あみん (hgn))
2024-12-07 06:43:28
「固く誓う」が「固く固く誓う」に変わりましたね(笑)
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Unknown (isao)
2024-12-07 10:08:07
あみんさん
うーんさすがお目が鋭い!笑
あとはソリに乗ったサンザイクロースの誘惑とどう向き合うか・・・です。。(よしなさいww)
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Unknown (東ウラ)
2024-12-07 10:20:22
中央東線客レにDF50×2は必須ですね

釈迦に説法だと思いますが、
長野のDF50は1~5.9、33で富のDF50は8号機以降の量産タイプなので9,33になります(ウチで使用済みです^^;)
重連相棒の秘策があるとか、是非1~5の試作タイプを

長野式D51私も欲しい^^
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Unknown (isao)
2024-12-07 18:52:35
東ウラさん
釈迦の域には達しませんが、にわか勉強でだいたいの状況は把握しました。
いま、各車の向きが決まっていたのかどうか調べています。残された写真自体が少ないので苦労していますが、1や3や6は長野、甲府両方向き(と思われる)の写真があって、決まっていなかった可能性が高いのかなと。まあ、敢えて方転する意味は何よ?という気もしますし、フリーであってくれた方が付番を気にしなくていいのでラクというのが本音です。
ちなみに初期車の転入組は1~「6」の6両ですよね?
そのうちの1両を相棒にすべく図面を起こし始めました。^^
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Unknown (東ウラ)
2024-12-07 20:29:01
スミマセン私の記憶違いでした
1~6、9,33の8両でした
向きの件、背中?合わせの画(車番不明)が有るので混在は確かなようで・・

初期型図面・・お得意の実測に四国まで^^;
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そういえば (所長失格)
2024-12-07 20:57:41
茶色いDF50は模型では不人気ですね。私もさすがに手が出ません。紀勢本線用にオレンジは1台持っています。茶色だったら、電化前の北陸本線もいいですね。
中央東線のDF50は、D51の前補機という写真も見たことがあります。甲府とかでD51と一緒にターンテーブルで方転していたのでしょうか?
中央西線でこの間まで走っていた愛知のロクヨンセンも、なぜか同一エンド同士向いて繋がっていた写真を良く見ました。ボディが非対称な上に貨物色だと目立つからわかるのですが、あれもどういう理由で向き合っていたのかわかりません。
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お詫びします (所長失格)
2024-12-08 09:00:01
isao 様、おはようございます。
昨晩の私のコメントですが、私の勘違いで、手元の写真を見るとDF50+D51は中央本線では見られず、北陸本線と勘違いしていました。お詫びいたします。
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Unknown (isao)
2024-12-08 14:24:22
東ウラさん
>初期型図面・・お得意の実測に四国まで^^;
四国鉄道文化館の1号機ですよね。前面窓が改造されているという説もあるようですが、見ておいて損はないとは思っています。い・・・行きたい!笑
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Re:そういえば (isao)
2024-12-08 15:09:28
所長失格さん
>愛知のロクヨンセンも、なぜか同一エンド同士向いて繋がっていた写真を良く見ました。
これはすごいヒントを頂いたかも知れません。1000番台は車室を3区分して騒音や熱が出る機器を第2室に配置したとあります。背中合わせの写真ではルーバーが中央側に寄せてあるものが多いので騒音軽減対策の可能性が高そうです。
そういえばDF50の基になったDD50は、ラジエータを運転席から一番遠い最後尾に置いた片運転台車体を背中合わせにつないでいますから、その延長にあると考えれば合点がいきますね。貴重な示唆をいただきありがとうございます。

D51との重連の件、承知しました。中央線ではEF13との電蒸重連が見られたようですね。(芝生將行氏「懐かしの中央線-1」)
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Unknown (所長失格)
2024-12-08 16:00:07
>isao さんへ
いろいろ書いて失礼いたしました。あの後手元にある「Jtrain」93号のDF50特集の中に
「長野のDF50は重連総括での仕業を原則として、トンネルでの排気の円滑化などから2エンド同士を連結した形態で常用していた」と書かれていました。
ご参考になれば幸いです。
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