「荷物列車に申し訳程度の客車をつないだ列車が中央西線にあった」という話は何かの本かサイトで見た記憶があったのですが、あまり深追いはしていませんでした。前回記事で同列車についてコメントが寄せられましたので調べてみたところ、仕掛り放置品や編成見直しで余剰になった車両などを集めるとそれらしい編成が組めることが分かったので「仮仕立て」という形で遊んでみました。
その列車は中津川から篠ノ井線経由で長野まで5両の郵便・荷物車に3両の客車をつないで運行された825レ(松本→長野間2825レ)で、対になる上りには836レがあったようです。郵便車と荷物車の運行区間はさらに広く、郵便車は名古屋→北長野、荷物車は熱田→北長野のほか、さらに遠くまで継走されるものもあったとか。
晩年の時刻は熱田発が5:16、北長野着が15:30とされているので、荷物の積み下ろし主体のまさに鈍行列車です。825レ/2825レだけ取っても中津川発7:39→ 松本着11:16/松本発12:39→長野着15:05と“鉄旅”仕様ですね。ちなみにさらに前の蒸機の時代は名古屋から客車をつないでいたようで5:20発となっています。
前置きはこのぐらいにしてターゲットの編成(1980年代初頭)を押さえておきましょう。車種は後述の出典1)によっています。塩尻駅が移転前なので塩尻→長野間は方向が変わります。
↑塩尻方
オユ10(長ナノ)<長郵20>
マニ36(長ナノ)<長荷21>
ワキ8000(名ナコ)<名荷251> ※1
マニ36(名ナコ)<名荷24>
マニ60(名ナコ)<名荷23>
オハフ33(長ナノ)<長21>
オハ47(長ナノ)<長21>
オハフ33(長ナノ)<長21> ※2
↓中津川/長野
※1のワキ8000は「荷物車主体の頭でっかちな列車」というインパクトをさらに高めているような気がします。
※2のオハフ33は、出典2)によれば「老朽化によりスロフ62が普通車代用でつながっていた」とされ、しっかり写真もあるので、編成のアクセントどころではない「圧」を感じます。笑
なお、マニ36はマニ60のことがあり、名ナコはさらにマニ50が入っていたこともあるようです。
これを参考にして当鉄道の客貨車群に召集をかけました。
オユ10はTOMIX完成品の1005番が「ながさき」用にあります。この時代の長ナノには他形式の配置は無かったようなのでこれを2550番台として転用し、「ながさき」には別のクルマを充当することでマルく収まりそうです。
これがその代車。友人の依頼で製作したものが里帰りしてきた中の1両で、オユ14 3となっていますが蓄電池箱が2個あるなど不自然で、むしろオユ11をプロトタイプとしているように見えます。門モシにはオユ11の配置もあったのでこれでヨシ。発電セットが逆向きなので直さないと・・・。ちなみに素材はロコモデルのペーパーキットのようです。
2両目、長野のマニは、手持ちでいくと東線の423レと共用できそうなマニ60があるので当面はこれでいけそう。実は、前回「いじらないことにした」マニ36 2057(秋アキ)と窓割がほぼ同じ2021番というクルマも居たようなのですが、これがなんと長柱構造すなわち張上げ屋根なんですねぇ。。ワキにスロフに張上げ屋根・・・。クセが強すぎて運転する手も震えますが、ゆくゆくはその方向もアリなのかなと。
そしてワキ8000です。どうやらワキ10000から改造された8950番台が充当されていたようで、これはなんとそのものズバリの車両が仕掛り品コーナーにありました。板谷峠を超えた旧客編成に入れようとしていたのですが、今やそちらの方面も「選択と集中」で撤収方向ですので利害が一致しました。もっともホビーモデルのワキ5000を改造した「なんちゃってワキ8000」なものですから、そのものズバリと言うのもいささかはばかられますが。。
お次は・・・おーっと青マニ36登場か!?となりますがこれは「マニ37」です。これも里帰り車両のうちの1両で2010番を付けていますが、どうも窓割のバランスがおかしいと思って優良図書wを子細に調べたところ、スロネ30から改造されたマニ36(332以降)の図面を見て作ってしまったらしい、ということが分かってきました。
ここの部分が異常に長く、デッキドアから荷物ドアまで64mmもあります。実物換算5,100mmで「スロネ30改」の図面に一致します。そして名ナコにはマニ36 334という個体が!電暖非装備なので幹線ニモレ主体に使われていた可能性が高いですが、気候の良いグリーンシーズもしくは締切扱いというテイでつなげてしまえばOKOK。経歴に疑義ありで就活に苦戦していた彼もやっと安住の地を見つけられそうです。
名ナコの荷物車はもう1両つながりますが手持ちがありません。前から気になっていたアクラスの「マニ36塗装済みキット」を購入し、充当することにしました。スハ32改造の丸屋根車ですが荷物室窓は600mmではなく700mmに拡大されたタイプです。名ナコにも何両か該当するタイプがいるので2130番を与えることにしました。こちらの製作記はまた投稿を改めたいと思います。
そして3両の客車群です。出典3)によれば、オハフ33は当時では珍しくなったぶどう色2号を纏っていたようです。
そのうちの1両、戦後型オハフ33のぶどう色2号(トラムウェイ)です。写真は東線の423レ用で、共用できそうですが、もう1両あってもいいかなぁ・・・とモゾモゾ。
中間に挟まるのはオハ47。出典3)にはアルミサッシにKATOスタイルのプレスドアという香ばしい車両が写っていますが、どうやら他のドア(全部かどうかは不明)はHゴム窓らしいので、手持ちの非アルミサッシの「オハ47」(たぶんKATOスハ43の台車だけ替えたもの)をとりあえず充当しました。アルミサッシの窓ガラスパーツが入手できれば交換したいなとは思っています。
そして、オハフ33ではなく普通車代用とされていたスロフ62で編成をシメます。これも棚の隅で埃をかぶっていた放置車体で、スロフではなくスロ62のフジモデルキット組み。当時の浅はかな知識で屋根をスエード調スプレー仕上げとしてしまったのと、客車急行への興味が少〜し低下した時期が重なって放置。まあ屋根はグレー塗装の鋼板屋根が経年でザラついてきたと思えば無問題でしょう。前記の写真を拝見するとグリーン帯もグリーンマークも付いた状態で運用されているようなので、リクライニングシートも入れて「正調グリーン車」に仕上げてやりたいものです。
ということで、仕掛り・放置車両の再就職先もほぼ決まってメデタシメデタシな825列車妄想記でした。(いや、作るぞ!)
【出典】下記のサイトを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
1)「みけねこのホームページ」様内記事「塩尻(旧)駅」
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mikeneko/shiojiri1.html
2)同上「羽尾信号場」
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mikeneko/sino04.html
3)「マイロネフは行く」様内記事「1981年当時の篠ノ井線」
https://maironef.livedoor.blog/archives/18957155.html
このほか、「昭和の鉄道員ブログ」様の中央西線関連や乗務された荷物列車関連の記事を参考にさせていただきました。
たいへん中身が濃く多岐に渡っており、コメントにも数多くの知見が散見されますので個々にご紹介できません。
失礼ながら先頭ページのアドレスのみ記載させていただきます。
https://shinano7gou.seesaa.net/
その列車は中津川から篠ノ井線経由で長野まで5両の郵便・荷物車に3両の客車をつないで運行された825レ(松本→長野間2825レ)で、対になる上りには836レがあったようです。郵便車と荷物車の運行区間はさらに広く、郵便車は名古屋→北長野、荷物車は熱田→北長野のほか、さらに遠くまで継走されるものもあったとか。
晩年の時刻は熱田発が5:16、北長野着が15:30とされているので、荷物の積み下ろし主体のまさに鈍行列車です。825レ/2825レだけ取っても中津川発7:39→ 松本着11:16/松本発12:39→長野着15:05と“鉄旅”仕様ですね。ちなみにさらに前の蒸機の時代は名古屋から客車をつないでいたようで5:20発となっています。
前置きはこのぐらいにしてターゲットの編成(1980年代初頭)を押さえておきましょう。車種は後述の出典1)によっています。塩尻駅が移転前なので塩尻→長野間は方向が変わります。
↑塩尻方
オユ10(長ナノ)<長郵20>
マニ36(長ナノ)<長荷21>
ワキ8000(名ナコ)<名荷251> ※1
マニ36(名ナコ)<名荷24>
マニ60(名ナコ)<名荷23>
オハフ33(長ナノ)<長21>
オハ47(長ナノ)<長21>
オハフ33(長ナノ)<長21> ※2
↓中津川/長野
※1のワキ8000は「荷物車主体の頭でっかちな列車」というインパクトをさらに高めているような気がします。
※2のオハフ33は、出典2)によれば「老朽化によりスロフ62が普通車代用でつながっていた」とされ、しっかり写真もあるので、編成のアクセントどころではない「圧」を感じます。笑
なお、マニ36はマニ60のことがあり、名ナコはさらにマニ50が入っていたこともあるようです。
これを参考にして当鉄道の客貨車群に召集をかけました。
オユ10はTOMIX完成品の1005番が「ながさき」用にあります。この時代の長ナノには他形式の配置は無かったようなのでこれを2550番台として転用し、「ながさき」には別のクルマを充当することでマルく収まりそうです。
これがその代車。友人の依頼で製作したものが里帰りしてきた中の1両で、オユ14 3となっていますが蓄電池箱が2個あるなど不自然で、むしろオユ11をプロトタイプとしているように見えます。門モシにはオユ11の配置もあったのでこれでヨシ。発電セットが逆向きなので直さないと・・・。ちなみに素材はロコモデルのペーパーキットのようです。
2両目、長野のマニは、手持ちでいくと東線の423レと共用できそうなマニ60があるので当面はこれでいけそう。実は、前回「いじらないことにした」マニ36 2057(秋アキ)と窓割がほぼ同じ2021番というクルマも居たようなのですが、これがなんと長柱構造すなわち張上げ屋根なんですねぇ。。ワキにスロフに張上げ屋根・・・。クセが強すぎて運転する手も震えますが、ゆくゆくはその方向もアリなのかなと。
そしてワキ8000です。どうやらワキ10000から改造された8950番台が充当されていたようで、これはなんとそのものズバリの車両が仕掛り品コーナーにありました。板谷峠を超えた旧客編成に入れようとしていたのですが、今やそちらの方面も「選択と集中」で撤収方向ですので利害が一致しました。もっともホビーモデルのワキ5000を改造した「なんちゃってワキ8000」なものですから、そのものズバリと言うのもいささかはばかられますが。。
お次は・・・おーっと青マニ36登場か!?となりますがこれは「マニ37」です。これも里帰り車両のうちの1両で2010番を付けていますが、どうも窓割のバランスがおかしいと思って優良図書wを子細に調べたところ、スロネ30から改造されたマニ36(332以降)の図面を見て作ってしまったらしい、ということが分かってきました。
ここの部分が異常に長く、デッキドアから荷物ドアまで64mmもあります。実物換算5,100mmで「スロネ30改」の図面に一致します。そして名ナコにはマニ36 334という個体が!電暖非装備なので幹線ニモレ主体に使われていた可能性が高いですが、気候の良いグリーンシーズもしくは締切扱いというテイでつなげてしまえばOKOK。経歴に疑義ありで就活に苦戦していた彼もやっと安住の地を見つけられそうです。
名ナコの荷物車はもう1両つながりますが手持ちがありません。前から気になっていたアクラスの「マニ36塗装済みキット」を購入し、充当することにしました。スハ32改造の丸屋根車ですが荷物室窓は600mmではなく700mmに拡大されたタイプです。名ナコにも何両か該当するタイプがいるので2130番を与えることにしました。こちらの製作記はまた投稿を改めたいと思います。
そして3両の客車群です。出典3)によれば、オハフ33は当時では珍しくなったぶどう色2号を纏っていたようです。
そのうちの1両、戦後型オハフ33のぶどう色2号(トラムウェイ)です。写真は東線の423レ用で、共用できそうですが、もう1両あってもいいかなぁ・・・とモゾモゾ。
中間に挟まるのはオハ47。出典3)にはアルミサッシにKATOスタイルのプレスドアという香ばしい車両が写っていますが、どうやら他のドア(全部かどうかは不明)はHゴム窓らしいので、手持ちの非アルミサッシの「オハ47」(たぶんKATOスハ43の台車だけ替えたもの)をとりあえず充当しました。アルミサッシの窓ガラスパーツが入手できれば交換したいなとは思っています。
そして、オハフ33ではなく普通車代用とされていたスロフ62で編成をシメます。これも棚の隅で埃をかぶっていた放置車体で、スロフではなくスロ62のフジモデルキット組み。当時の浅はかな知識で屋根をスエード調スプレー仕上げとしてしまったのと、客車急行への興味が少〜し低下した時期が重なって放置。まあ屋根はグレー塗装の鋼板屋根が経年でザラついてきたと思えば無問題でしょう。前記の写真を拝見するとグリーン帯もグリーンマークも付いた状態で運用されているようなので、リクライニングシートも入れて「正調グリーン車」に仕上げてやりたいものです。
ということで、仕掛り・放置車両の再就職先もほぼ決まってメデタシメデタシな825列車妄想記でした。(いや、作るぞ!)
【出典】下記のサイトを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
1)「みけねこのホームページ」様内記事「塩尻(旧)駅」
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mikeneko/shiojiri1.html
2)同上「羽尾信号場」
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mikeneko/sino04.html
3)「マイロネフは行く」様内記事「1981年当時の篠ノ井線」
https://maironef.livedoor.blog/archives/18957155.html
このほか、「昭和の鉄道員ブログ」様の中央西線関連や乗務された荷物列車関連の記事を参考にさせていただきました。
たいへん中身が濃く多岐に渡っており、コメントにも数多くの知見が散見されますので個々にご紹介できません。
失礼ながら先頭ページのアドレスのみ記載させていただきます。
https://shinano7gou.seesaa.net/
ちなみに1982/4/29の825レ編成は
EF64 6
オユ10 2569
マニ36 2228
ワキ8964
マニ36 2048
マニ36 2134
オハフ33 2557
オハ47 2030
オハフ33 2558
(EF64 42)
でした。
参考にするかしないか、あなた次第です。
もちろん参考にします!!
といっても、特にオハ・オハフはほとんど決まった番号が入っていたようですね。客車末期で、もうそんなに両数も残っていなかったでしょうし。。
私も「荷物車に客車を申し訳程度に繋いだ」とほぼ同じ表現で函館本線の荷41~46レを取り上げたことがあり、何年か前の某誌に記事と写真を掲載していただいたことがあります。
老朽化対応とのことなのでスロフは最晩年の一時期だったと思われますが、ワキ8000は結構前からつながれていたようです。オハ、スハでビシッと揃った編成も美しいですが、こうした曲者が寄り添う亜幹線、支線の客レは本当に心惹かれます。
函館本線の荷41レは何かで読んだ気もするのでもういちど探してみます。
引き続きよろしくお願いいたします。