こんばんは。
久しぶりにバスの話題です。引越し荷物を解いているときに目に止まったこの写真。今から30年前の1985年(昭和60年)に茨城県つくば市(当時は谷田部町)で開催された「科学万博」の会場アクセスに導入された連節バスです。当時つくばエクスプレスはまだなく、常磐線の牛久~荒川沖駅間に仮設の「万博中央駅」を開設して鉄道輸送のメインゲートとし、駅と会場との間にシャトルバスを運行しました。皆さんの中にもエキスポライナーの「白電」とこのシャトルバスで会場を目指した方は多いのではないかと思います。
万博中央駅は現在の「ひたち野うしく」とほぼ同じ位置に開設されていましたが、そのまま引き継がれたわけではなく、万博閉幕後にいったん閉鎖・撤去され、13年の歳月を経た1998年に新たに開業しています。この写真は、万博中央駅の西口に設けられたシャトルバスターミナルを続々と連節バスが発車していく様子をとらえています。連節バスは100台用意されましたが、その他にも県内の事業者の一般バスが多数、シャトルバスとして投入されていました。
これはメインルートとして新たに整備された学園西大通りで、沿道に店舗や住宅はなく雑木林が生い茂っています。確か道路センター寄りがバス専用レーンになっていたのだと思います。大通りから万博会場へ曲がる交差点(現在の学園西交差点か?)には珍しいバス専用の仮設高架橋があり、信号の影響を受けずに交差点を通過できるようになっていました。
現在では国内でも一般路線に連節バスを導入する都市が出てきましたが、当時は前例がなく、当然国内メーカーのモデルにはないため、シャーシをヨーロッパから輸入しボディを国内で架装する方法がとられました。管理人は実は博覧会協会が主催するこのバスの完成披露会に参加しています。場所は群馬県伊勢崎市にあってバスボディメーカーとして一世を風靡した富士重工伊勢崎製作所です。ちなみに現在、富士重工は、バスボディ生産から撤退してしまいました。
輸入されたのはスウェーデン・ボルボ社製の「B10M」というミッドシップエンジンのシャーシでした。汎用性が高く、普通の単体型のバスや観光バスなどのシャーシとしても普及していたものです。連節バスにはエンジンを前部車体に置くものと、後部車体に置くものがあり、このB10Mは前者に該当します。エンジンが床下にあるので低床化が難しい半面、急制動時の「ジャックナイフ」現象が起きにくいという特徴があると言われています。また、最後軸を逆ステアさせることによって曲がる時の内輪差を小さくできます。当時はまだ「こんな大きなバスが公道を自在に走れるわけがない」という迷信のようなものがあって、それがミッドシップエンジン+複雑な後輪ステアギミックという選択をさせたのではないかと思います。ノンステップが当たり前となった今日では、ステアしない最後軸駆動のリアエンジン連節バスがスタンダードになりました。ジャックナイフ現象を防止する技術も高まったということかも知れません。
運転席はあまり国産バスと大きな違いはないように見えますが、当時はまだ珍しかったオートマチックトランスミッションを装備していて、ハンドルの右側にそのセレクトボタンが並んでいるのがわかります。左側には各種警告灯が並んでいますが、ピクトグラム(絵文字)が多用されているのが日本離れしているといえばしていたかも知れません。
連節バスと言えば、やはりこの車内風景が一番の見どころでしょう。全長18メートルという長い車内がカーブに合わせてクネクネと曲がる様は、初めて見る者にとっては異次元の光景と言っても過言でないくらいエキサイティングな体験でした。
バスをバックに製作所の人たちを交えて記念撮影をしました。この時か別の機会か忘れてしまいましたが、実際に工場で連節バスが組み立てられていく現場も見学したことがあります。その写真は今回見つかりませんでしたので、また出てきたらお目にかけたいと思います。
科学博で活躍した連節バスは、その後、オーストラリアや国内バス事業者などに転属して第二の人生を送りました。国内では成田空港と都心を結ぶリムジンバスで活躍したのを覚えている方も多いと思います。また、これを契機に連節バスの輸送力の大きさが注目されるようになり、京成バスが、幕張本郷駅~幕張ベイエリア間の通勤やイベント客輸送用に、通常の路線バスとして初めて連節バスを投入しました。これも同じB10Mシャーシーを当時の最新国内規制に対応させたもので、スタイルこそ違いますが、同じ富士重工がボディ架装を行っています。現在はこのバスも引退し、メルセデス・ベンツの「シターロ」という、後部置きエンジンのノンステップバスが運行しています。
以上、懐かしの連節バスのお話でした。
(最近バス情報に疎いので間違ったこと書いてたらゴメンナサイ...)
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久しぶりにバスの話題です。引越し荷物を解いているときに目に止まったこの写真。今から30年前の1985年(昭和60年)に茨城県つくば市(当時は谷田部町)で開催された「科学万博」の会場アクセスに導入された連節バスです。当時つくばエクスプレスはまだなく、常磐線の牛久~荒川沖駅間に仮設の「万博中央駅」を開設して鉄道輸送のメインゲートとし、駅と会場との間にシャトルバスを運行しました。皆さんの中にもエキスポライナーの「白電」とこのシャトルバスで会場を目指した方は多いのではないかと思います。
万博中央駅は現在の「ひたち野うしく」とほぼ同じ位置に開設されていましたが、そのまま引き継がれたわけではなく、万博閉幕後にいったん閉鎖・撤去され、13年の歳月を経た1998年に新たに開業しています。この写真は、万博中央駅の西口に設けられたシャトルバスターミナルを続々と連節バスが発車していく様子をとらえています。連節バスは100台用意されましたが、その他にも県内の事業者の一般バスが多数、シャトルバスとして投入されていました。
これはメインルートとして新たに整備された学園西大通りで、沿道に店舗や住宅はなく雑木林が生い茂っています。確か道路センター寄りがバス専用レーンになっていたのだと思います。大通りから万博会場へ曲がる交差点(現在の学園西交差点か?)には珍しいバス専用の仮設高架橋があり、信号の影響を受けずに交差点を通過できるようになっていました。
現在では国内でも一般路線に連節バスを導入する都市が出てきましたが、当時は前例がなく、当然国内メーカーのモデルにはないため、シャーシをヨーロッパから輸入しボディを国内で架装する方法がとられました。管理人は実は博覧会協会が主催するこのバスの完成披露会に参加しています。場所は群馬県伊勢崎市にあってバスボディメーカーとして一世を風靡した富士重工伊勢崎製作所です。ちなみに現在、富士重工は、バスボディ生産から撤退してしまいました。
輸入されたのはスウェーデン・ボルボ社製の「B10M」というミッドシップエンジンのシャーシでした。汎用性が高く、普通の単体型のバスや観光バスなどのシャーシとしても普及していたものです。連節バスにはエンジンを前部車体に置くものと、後部車体に置くものがあり、このB10Mは前者に該当します。エンジンが床下にあるので低床化が難しい半面、急制動時の「ジャックナイフ」現象が起きにくいという特徴があると言われています。また、最後軸を逆ステアさせることによって曲がる時の内輪差を小さくできます。当時はまだ「こんな大きなバスが公道を自在に走れるわけがない」という迷信のようなものがあって、それがミッドシップエンジン+複雑な後輪ステアギミックという選択をさせたのではないかと思います。ノンステップが当たり前となった今日では、ステアしない最後軸駆動のリアエンジン連節バスがスタンダードになりました。ジャックナイフ現象を防止する技術も高まったということかも知れません。
運転席はあまり国産バスと大きな違いはないように見えますが、当時はまだ珍しかったオートマチックトランスミッションを装備していて、ハンドルの右側にそのセレクトボタンが並んでいるのがわかります。左側には各種警告灯が並んでいますが、ピクトグラム(絵文字)が多用されているのが日本離れしているといえばしていたかも知れません。
連節バスと言えば、やはりこの車内風景が一番の見どころでしょう。全長18メートルという長い車内がカーブに合わせてクネクネと曲がる様は、初めて見る者にとっては異次元の光景と言っても過言でないくらいエキサイティングな体験でした。
バスをバックに製作所の人たちを交えて記念撮影をしました。この時か別の機会か忘れてしまいましたが、実際に工場で連節バスが組み立てられていく現場も見学したことがあります。その写真は今回見つかりませんでしたので、また出てきたらお目にかけたいと思います。
科学博で活躍した連節バスは、その後、オーストラリアや国内バス事業者などに転属して第二の人生を送りました。国内では成田空港と都心を結ぶリムジンバスで活躍したのを覚えている方も多いと思います。また、これを契機に連節バスの輸送力の大きさが注目されるようになり、京成バスが、幕張本郷駅~幕張ベイエリア間の通勤やイベント客輸送用に、通常の路線バスとして初めて連節バスを投入しました。これも同じB10Mシャーシーを当時の最新国内規制に対応させたもので、スタイルこそ違いますが、同じ富士重工がボディ架装を行っています。現在はこのバスも引退し、メルセデス・ベンツの「シターロ」という、後部置きエンジンのノンステップバスが運行しています。
以上、懐かしの連節バスのお話でした。
(最近バス情報に疎いので間違ったこと書いてたらゴメンナサイ...)
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連接バス、乗りました。
という記憶はあるのですが、今回の写真を見て「こんなカラーリングだったかなあ」というのが正直な感想です。
都営バスのグリーンのカラーリングとこんがらがっているのかもしれないなあ。
神奈中のピンク色のシターロ、毎日見ています。
リムジンバスでしょうか。
さすがにそう何度も海外旅行へ行くことはなく、結局乗らずじまいでした。
昭和56、57年頃からグリーンの都バスが出始めましたね。それと混同したのかも??
こりゃまたすごいところに目を付けましたね!(笑)
スカートの長さといい、時代を物語っています。
つくば博で使われていたB10Mの解説動画を作るにあたって、この記事の写真をいくつか使わせていただきたいのですが、宜しいでしょうか。
動画の収益化はしておりません。そして、貴方様の名前を動画の概要欄に載させていただこうと思います。
ご訪問、お問い合わせいただきありがとうございます。管理人のisaoです。
貴殿の動画サイトを拝見しました。
「幾つもの人間を不快にさせ、迷惑をかけ、ブロックをしてはされ、されてはする男。どうも京葉ラインです。」
「私はかなりの頻度で過激的、又他の人にとって不快に思うであろう発言をする他、迷惑かかけることが多々あります。」
(以上「概要」より)
残念ですが、ここまで書かれてはお貸しすることはできません。他をあたってください。
確認しました。ありがとうごあいます。
出典明記のうえご自由にお使いください。
こういうバスが走っていたことを知らない方も多いと思いますので有意義な動画になるでしょう。制作頑張ってください。