おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
「アドラーと2人の子」シリーズの2回目は、アルフレッド・アドラーの次女のアレクサンドラ・アドラーのアメリカへの移住の話です。
ここでも箇条書きでいきます。
1.エレンベルガーによれば、アルフレッド・アドラーは、彼が始めた個人心理学の未来をナチの台頭によってヨーロッパからアメリカに移そうとしていました。その表れが1935年の「個人心理学ジャーナル」の発刊です。1030年代には活動拠点をアメリカに置いていたアドラーは、健康状態も害していることもあって、ライサとアレクサンドラをウィーンから呼び寄せ、自分の身の回りの世話をしてもらおうとしていました。
2.長男(第三子)のクルト・アドラーによれば、家族の移民の理由は、彼の母親であるライサが共産主義者の支援組織の「赤い救急隊」で働いていた理由で逮捕されたため、アルフレッド・アドラーが妻をオーストリアから引き取ることを約束したことによるようです。
3.移住の理由はさておき、アレクサンドラは、1935年の秋にアメリカに移住してすぐ、ハーヴァード大学医学部に神経学の講師の職を得ました。
4.この時代に女性が教授陣の一員を占めることがまれであったこともあって、アレクサンドラは、職を年次更新する研究スタッフ陣に加わったのです。彼女は、この仕事に加えて、マサチューセッツ総合病院で1944年まで働きました。同じく1944年までデューク大学の精神医学の客員教授、1946年までノースカロライナで個人診療を行っていました。その後、ニューヨーク大学の医学部で1969年まで教授をしました。
5.彼女は、グレーシア・スクエア病院やベルヴュー病院のスタッフの一員ともなり、注目すべきことは、ニューヨーク市で女性の犯罪者の矯正の仕事に20年間従事し、1,000人の患者を観察した内容の書物を著しています。
次回は、セラピストとしての彼女の貢献です。
◎アドラーこぼれ話
『初めてのアドラー心理学』(アン・フーバー&ジェレミー・ホルフォード著、鈴木義也訳、一光社)は、アドラーの伝記にアドラー心理学の理論を加え、しかもマンガ入りのとても読みやすい本です。
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初めてのアドラー心理学 |
Anne Hooper,Kathryn Hyatt,Jeremy Holford,鈴木 義也 |
一光社 |
この中に1930年代にアメリカに渡って仕事の面でも経済面でも大成功を収めていた(お抱え運転手付きの高級車乗り回していた)アドラーと、ウィーンにいる妻のライサの関係が書かれています。
それによれば、アドラーは定期的にライサに手紙を書いていたのですが、ライサはめったに返事をくれず、アドラーが病気を患って病院で気落ちして悲しみに沈んだ手紙にさえ返事が返ってきませんでした。そこで立腹したアドラーは電報を打って、これでやっとライサは返事をくれたのです。
著者によれば、仕事中毒に加え、結婚に支障を来たしてアドラーは、孤独を補償するために映画に行くことを唯一のくつろぎとしていたそうです。
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(岩井コメント)可哀想なアドラーさん、こんな要因で寿命を縮めてしまったのかな?