おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
「アドラーと2人の子」の第4回目を札幌から投稿します。
今回は、アルフレッド・アドラーの次女のアレクサンドラ・アドラーについての最終回で、仕事面での彼女の意外な研究成果と、プライベートの側面の結婚と死について簡潔にお伝えします。
1.アレクサンドラ・アドラーがPTSD(post-traumatic stress disorder、心的外傷後ストレス傷害)の研究家であったことは意外に知られていません。
2.彼女は、1942年11月28日に死傷者492を出したボストンのココナット・グローブ・ナイトクラブで発生した火災に関して、500人を超える生存者のPTSDについて詳細に報告した最初の治療者の1人でした。
3.彼女は、生存者の面接をして、罪悪感、激しい怒り、倫理観の欠如、精気の消滅などで人格が変わってしまい、癒しがたい悲しみを体験していることを報告しています。
4.さらに、事件から1年が経過しても、生存者のうちの50%に睡眠障害、神経過敏、不安、生き残ったことへの罪悪感、火に関連した恐怖が残っていることも報告しています。
話は変わって、彼女のプライベートな側面です。
アレクサンドラ・アドラーは、1959年にハーフダン・グレガーセンと結婚しました。この人は、ウィリアムズ大学の古代ロマンス語の教授で、学部長も務めた人でした。
彼は、アレクサンドラより先に1980年に死去しています。
アレクサンドラ・アドラーは、2001年1月1日に彼女が勤めていたニューヨーク大学病院で息を引き取りました。享年99歳でした。
次回は、アドラーの第3子で、長男のクルト・アドラーのことを簡単に紹介します。