おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
「優しさについて」シリーズの第2回目です。
第1回目がわからない方は、まず こちら をお読みください。
新聞の人生相談欄の回答者は、次のように答えていました。
あなたは、奥様の感じていることがわからないのですから、単に鈍感なだけではないでしょうか。
また、周囲からのあなたへの評価によって自己正当化しようとしても、「優しさ」の証明にはならず、むしろ「易しさ」に逃げているとしか思えません。
離婚したくないなら懇願するしかありません。許してはもらえないかもしれませんが、それでも、一緒にいてくれることもありますから。
「単に鈍感なだけではないでしょうか」というのはかなり手厳しいですね。
「『易しさ』に逃げているとしか思えません」となると、傷つく人もいるかもしれません。
しかし、よくよく振り返ってみると、相談者には明らかにデリカシーに欠けたところがあるかもしれません。
「懇願するしかありません」ということに関して、こんな人が実際にいました。
妻に土下座をしたのです。「君を失いたくない」と言って。
もしかしたら、回答者は土下座の経験がある人かもしれませんね。
ただ私は、離婚寸前の人にどう対応したらいいか、よりも「優しさ」を勘違いしないでほしいのです。
そもそも論に戻って、「そもそも優しさとは何か?」を再考してみたいのです。
あなたの「優しさ」の定義はいかがですか?
新聞の相談者と同じように「優しさ」を勘違いしている人は、あなたの周囲にいませんか?
<お目休めコーナー> 1月の草木(4)

(クリックしてね)