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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

「優しさについて」シリーズの第2回目です。

第1回目がわからない方は、まず こちら をお読みください。

新聞の人生相談欄の回答者は、次のように答えていました。

あなたは、奥様の感じていることがわからないのですから、単に鈍感なだけではないでしょうか。

また、周囲からのあなたへの評価によって自己正当化しようとしても、「優しさ」の証明にはならず、むしろ「易しさ」に逃げているとしか思えません。

離婚したくないなら懇願するしかありません。許してはもらえないかもしれませんが、それでも、一緒にいてくれることもありますから。

「単に鈍感なだけではないでしょうか」というのはかなり手厳しいですね。
「『易しさ』に逃げているとしか思えません」となると、傷つく人もいるかもしれません。

しかし、よくよく振り返ってみると、相談者には明らかにデリカシーに欠けたところがあるかもしれません。

「懇願するしかありません」ということに関して、こんな人が実際にいました。
妻に土下座をしたのです。「君を失いたくない」と言って。

もしかしたら、回答者は土下座の経験がある人かもしれませんね。

ただ私は、離婚寸前の人にどう対応したらいいか、よりも「優しさ」を勘違いしないでほしいのです。
そもそも論に戻って、「そもそも優しさとは何か?」を再考してみたいのです。

あなたの「優しさ」の定義はいかがですか?

新聞の相談者と同じように「優しさ」を勘違いしている人は、あなたの周囲にいませんか?

<お目休めコーナー> 1月の草木(4)

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