○テッサ・モーリス-スズキ『自由を耐え忍ぶ』岩波書店 2004.10
テッサさんの本を「おかわり」って感じでもう1冊。
本書の主要テーマは、自由=自由市場主義の容赦ない拡大と深化が、世界の各地で、とりわけ貧しい国々で、人々の生活と生命を脅かしていることに対する「異議申し立て」である。
市場原理の深化は、国家と市場の結託を生み出した。しかし「議会」「司法」という民主主義の装置は、今日のような状況を想定していない。したがって、軍事、警察、出入国管理、医療、薬事など、我々の生命の安全に直結する問題が、全て「民営化」「アウトソーシング」の美名のもとに、巨大な「私企業」の管理するところになれば、我々は重要な決定に参加する権利を失い、さらに、何か問題が生じても、リコールの意思表示や情報公開の請求ができない危険性がある。
私の職場である大学は、昨年4月に法人化された。教育機関の民営化は、警察や軍事に比べれば社会的脅威は少ないかもしれない。しかし、本当にそれでよかったのか。確かに、これまで日本の公務員はコスト意識が低すぎた。その後ろめたさがあるため、良心的な職員ほど、「コスト意識」とか「経営の視点」とか言われると、なんだか恫喝を受けたように、反射的に引き下がってしまう。しかし、もう無批判に恐れおののくのはやめようと思った。
なるほどコスト計算は重要である。しかし、コストの多寡は、生み出される価値の多寡と相関するものだ。では、教育における「価値」とは何か? 金を稼ぐことか? 学生や構成員に福利を提供することか? 国家のために先端的な研究成果を生むことか? 人類の遠い将来に責任を持つことか? 安易な「アウトソーシング」論議の中で、コスト削減論者が「価値」と考えているものは本当に正しいのか。もちろん、我々はどこかに「線」を引かなければならない。でも、それなら、可能な限り目線を高く上げて、責任ある線を引きたい。
どっちを向いても暗いニュースばかりの昨今なのに、著者は言う。「もし(9.11のテロのように)個人や少人数の集団が、世界をより危険で暴力に満ちたものに変化させることができるとするなら、同じく個々人や小さな集団の行為は、言葉本来の意味での平和、相互理解、安全といったものを世界で実現する可能性を孕むはずである」。この強靭な楽観主義に学ぼう。
考えなければならないことはたくさんある。また、学ぶべき試みもたくさんある。たとえば「知の囲い込み」に対する抵抗として、情報産業におけるフリーウェア、エイズ新薬の特許制限、熱帯雨林地域における”バイオ強盗”の阻止など。でも、あなたも私も、まず身近な一歩から。
テッサさんの本を「おかわり」って感じでもう1冊。
本書の主要テーマは、自由=自由市場主義の容赦ない拡大と深化が、世界の各地で、とりわけ貧しい国々で、人々の生活と生命を脅かしていることに対する「異議申し立て」である。
市場原理の深化は、国家と市場の結託を生み出した。しかし「議会」「司法」という民主主義の装置は、今日のような状況を想定していない。したがって、軍事、警察、出入国管理、医療、薬事など、我々の生命の安全に直結する問題が、全て「民営化」「アウトソーシング」の美名のもとに、巨大な「私企業」の管理するところになれば、我々は重要な決定に参加する権利を失い、さらに、何か問題が生じても、リコールの意思表示や情報公開の請求ができない危険性がある。
私の職場である大学は、昨年4月に法人化された。教育機関の民営化は、警察や軍事に比べれば社会的脅威は少ないかもしれない。しかし、本当にそれでよかったのか。確かに、これまで日本の公務員はコスト意識が低すぎた。その後ろめたさがあるため、良心的な職員ほど、「コスト意識」とか「経営の視点」とか言われると、なんだか恫喝を受けたように、反射的に引き下がってしまう。しかし、もう無批判に恐れおののくのはやめようと思った。
なるほどコスト計算は重要である。しかし、コストの多寡は、生み出される価値の多寡と相関するものだ。では、教育における「価値」とは何か? 金を稼ぐことか? 学生や構成員に福利を提供することか? 国家のために先端的な研究成果を生むことか? 人類の遠い将来に責任を持つことか? 安易な「アウトソーシング」論議の中で、コスト削減論者が「価値」と考えているものは本当に正しいのか。もちろん、我々はどこかに「線」を引かなければならない。でも、それなら、可能な限り目線を高く上げて、責任ある線を引きたい。
どっちを向いても暗いニュースばかりの昨今なのに、著者は言う。「もし(9.11のテロのように)個人や少人数の集団が、世界をより危険で暴力に満ちたものに変化させることができるとするなら、同じく個々人や小さな集団の行為は、言葉本来の意味での平和、相互理解、安全といったものを世界で実現する可能性を孕むはずである」。この強靭な楽観主義に学ぼう。
考えなければならないことはたくさんある。また、学ぶべき試みもたくさんある。たとえば「知の囲い込み」に対する抵抗として、情報産業におけるフリーウェア、エイズ新薬の特許制限、熱帯雨林地域における”バイオ強盗”の阻止など。でも、あなたも私も、まず身近な一歩から。