○赤瀬川原平『新・正体不明』東京書籍 2004.10
赤瀬川さんが町で見つけた「気になるもの」「気になる風景」に短い文章を添えた写真集。書店で立ち読みしてもすぐ終わってしまうほどの分量だが、やっぱり手元に欲しくて買ってしまった。
著者が語っているとおり、1970年代の「トマソン」の発見、1980年代の「路上観察学会」の立ち上げの頃は、それなりに意味のある「ヘンなもの」「面白いもの」が対象だった。それが、だんだん意味を外れて、説明のできない味わいのほうに移っていったと言う。赤瀬川さんはこの違いを「川柳」から「俳句」へと説明している。
そう、本書を眺める楽しみは俳句に似ている。切り取られた風景の外側に、読者はいくらでも勝手な物語をふくらませることができる。著者の短い文章がその手引きになっている。
マンホールの蓋とか雨樋の口とか、物体の細部にじっと目をこらしたような接写から、雨空の色、空気の匂いを写し取った”引き”の写真までさまざま。でも、人の姿のない風景写真が多いのに、不思議と、どこかに人の呼吸を感じさせるところが共通している。
赤瀬川さんが町で見つけた「気になるもの」「気になる風景」に短い文章を添えた写真集。書店で立ち読みしてもすぐ終わってしまうほどの分量だが、やっぱり手元に欲しくて買ってしまった。
著者が語っているとおり、1970年代の「トマソン」の発見、1980年代の「路上観察学会」の立ち上げの頃は、それなりに意味のある「ヘンなもの」「面白いもの」が対象だった。それが、だんだん意味を外れて、説明のできない味わいのほうに移っていったと言う。赤瀬川さんはこの違いを「川柳」から「俳句」へと説明している。
そう、本書を眺める楽しみは俳句に似ている。切り取られた風景の外側に、読者はいくらでも勝手な物語をふくらませることができる。著者の短い文章がその手引きになっている。
マンホールの蓋とか雨樋の口とか、物体の細部にじっと目をこらしたような接写から、雨空の色、空気の匂いを写し取った”引き”の写真までさまざま。でも、人の姿のない風景写真が多いのに、不思議と、どこかに人の呼吸を感じさせるところが共通している。