○イム・チャンサン監督 映画『大統領の理髪師』
http://www.albatros-film.com/movie/barber/
先月、京都の高麗美術館に行ったとき、「セヌリ」という在日韓国・朝鮮人向けらしい無料のミニコミ誌が置いてあった。「パッチギ!」の特集があったので貰ってきたのだが、その中にこの映画の囲み記事があった。
短い紹介を読んで、おもしろそうな設定だな、と思った。首相制の日本では分かりにくいが、多くの国において”大統領”の権威と権力は、悲喜劇的なまでに絶対である。しかも、池東旭著『韓国大統領列伝』(中公新書 2002.7)は「韓国の大統領ほど、はげしい有為転変にさらされ、栄光と悲惨の落差が極端な職はない」と語っている。
だから、大統領と市井の床屋の主人を軸にドラマを作るというのは、きっと面白いだろうな、と思ったのだ(作品中、主人公の息子は「お前の父さん床屋だろう」といじめられる。韓国では蔑視される職業なのかしら?)。でもまさか、こんなふうに韓国の現代史(1960~1970年代)にぴたりと寄り添うような作品ができあがっているとは思わなかった。イム・チャンサンは、これが監督および脚本家としてのデビュー作だと言うが、老練さを感じるほどうまくて、おもしろい。
なんといっても主役のソン・ガンホがいいのだ。「JSA」のあの俳優さんか~と懐かしく思い出した。美人で気の強い奥さん、ちょっとひ弱そうなひとり息子、その兄貴分でもあるお調子者の若い店員、気のいい近所の人々など、”人情喜劇”のセオリーどおりの配置である。少し傾いた木造家屋、登場人物の服装や髪型には、私自身や両親のアルバムを見るような懐かしさがある。
それにしても、この作品の歴史的背景を、一般の日本人はどのくらい理解できるんだろう? かくいう私も映画館の椅子で、李承晩の次ってことは、と少し考え、へえ~この若くて紳士然とした大統領は朴正煕がモデルかあ、と、うなっていた。だが、実際の朴正煕をほとんど知らないので、モデルと作品の間に、どのくらいの距離があるのかは、正直なところ、よく分かっていない。
作品中の大統領の最期は、情報部長と大統領警護室長の対立、酒盛りの席での偶発的な犯行という、朴正煕暗殺事件の骨格をなぞっている。というか、前掲書で朴正煕暗殺の詳しい事実を知ったときは、あまりに「ドラマもどき」なことに驚いたものだ。
主人公が次の大統領のもとで仕事を続けることを拒否すると同時に、拷問の後遺症で足萎えになっていた息子が歩き始めるのは、言わずもがなであるが、韓国の民主主義勢力が再び戦いに立ち上がることの寓意であろう。つまり、この作品はひそかに「国民の創生」の物語を目指した映画でもあると思う。
だけど私は、息子を背負って雪深い山奥の名医を訪ねていく主人公の姿に、中国映画 『草ぶきの学校』を思い出した。あの映画も、父親と息子の強い絆が奇跡を呼び、ラストシーンで息子が難病から回復するのである。
最後に蛇足。理髪師の主人公を当惑させる、頭髪の薄い「次の大統領」は、全斗煥さんですかね。写真で見ると...
http://www.albatros-film.com/movie/barber/
先月、京都の高麗美術館に行ったとき、「セヌリ」という在日韓国・朝鮮人向けらしい無料のミニコミ誌が置いてあった。「パッチギ!」の特集があったので貰ってきたのだが、その中にこの映画の囲み記事があった。
短い紹介を読んで、おもしろそうな設定だな、と思った。首相制の日本では分かりにくいが、多くの国において”大統領”の権威と権力は、悲喜劇的なまでに絶対である。しかも、池東旭著『韓国大統領列伝』(中公新書 2002.7)は「韓国の大統領ほど、はげしい有為転変にさらされ、栄光と悲惨の落差が極端な職はない」と語っている。
だから、大統領と市井の床屋の主人を軸にドラマを作るというのは、きっと面白いだろうな、と思ったのだ(作品中、主人公の息子は「お前の父さん床屋だろう」といじめられる。韓国では蔑視される職業なのかしら?)。でもまさか、こんなふうに韓国の現代史(1960~1970年代)にぴたりと寄り添うような作品ができあがっているとは思わなかった。イム・チャンサンは、これが監督および脚本家としてのデビュー作だと言うが、老練さを感じるほどうまくて、おもしろい。
なんといっても主役のソン・ガンホがいいのだ。「JSA」のあの俳優さんか~と懐かしく思い出した。美人で気の強い奥さん、ちょっとひ弱そうなひとり息子、その兄貴分でもあるお調子者の若い店員、気のいい近所の人々など、”人情喜劇”のセオリーどおりの配置である。少し傾いた木造家屋、登場人物の服装や髪型には、私自身や両親のアルバムを見るような懐かしさがある。
それにしても、この作品の歴史的背景を、一般の日本人はどのくらい理解できるんだろう? かくいう私も映画館の椅子で、李承晩の次ってことは、と少し考え、へえ~この若くて紳士然とした大統領は朴正煕がモデルかあ、と、うなっていた。だが、実際の朴正煕をほとんど知らないので、モデルと作品の間に、どのくらいの距離があるのかは、正直なところ、よく分かっていない。
作品中の大統領の最期は、情報部長と大統領警護室長の対立、酒盛りの席での偶発的な犯行という、朴正煕暗殺事件の骨格をなぞっている。というか、前掲書で朴正煕暗殺の詳しい事実を知ったときは、あまりに「ドラマもどき」なことに驚いたものだ。
主人公が次の大統領のもとで仕事を続けることを拒否すると同時に、拷問の後遺症で足萎えになっていた息子が歩き始めるのは、言わずもがなであるが、韓国の民主主義勢力が再び戦いに立ち上がることの寓意であろう。つまり、この作品はひそかに「国民の創生」の物語を目指した映画でもあると思う。
だけど私は、息子を背負って雪深い山奥の名医を訪ねていく主人公の姿に、中国映画 『草ぶきの学校』を思い出した。あの映画も、父親と息子の強い絆が奇跡を呼び、ラストシーンで息子が難病から回復するのである。
最後に蛇足。理髪師の主人公を当惑させる、頭髪の薄い「次の大統領」は、全斗煥さんですかね。写真で見ると...