○子安宣邦『国家と祭祀:国家神道の現在』青土社 2004.7
戦う国家とは、祀る国家である。国家は、国に命を捧げる国民を必要とし続ける。だから、英霊を顕彰する祭祀システムの整備は「国家安全保障政策上の第一級の課題」であり、それゆえ、イラク派兵を推進する小泉首相は執拗に靖国参拝を繰り返すのだ。たとえ本人がその意図はないと言い張るにしても。
しかし、国家が祀ることは、国家が戦うこととともに差別的で自己中心的な行為である。国家は己れのためだけに戦い、己れのためだけに祀る。沖縄で集団自決を強いられた住民たち、イラクでアフガニスタンで、ミサイルの犠牲になった子どもたち、いや、むしろ英霊という意味づけを問い返すような、2,133,823柱という靖国の祭神数(大東亜戦争における死者)それ自体を見よ、と著者は問いかける。
上記のような指摘は、戦後世代の言論人の著作にも散見するもので、ことさら目新しくはない。しかし、日本思想史のプロフェッショナル(敢えて大家とか泰斗とは呼ばない)である著者が、広汎で精緻な実証を携えて立ち上がる姿は、何か「学問の凄み」を感じさせる。
さらに、長い大学人生活を終え、古稀を過ぎて「年金生活」に入った著者が、専門である日本思想史の課題を、アジア現代史、ひいては現代の宗教ナショナリズムの問題に繋げ、新たな射程で捉え直そうとする果敢な態度には、読んでいて背筋が伸びるような気がした。学者とは、年齢にかかわらず、こうありたいものだと思った。
以下、いくつかのメモを書き留めておこう。
伊勢神宮に残る「(あたかも)太古の(ような)自然」は、実は門前町を撤去することで再デザインされたものである。同様に、式年遷宮の持つ意味は、「最古の様式を保持しながら、新しく生まれ変わる」というようなものではない。建築史家の考証によれば、むしろ「純粋形を目指す、再デザインの試み」であると言える。
幕末から明治にかけて、「迫り来る欧米列強」という対外的な危機意識が、日本をネーションとして再構成する必要を生み出した。こうして「危機の政治神学」が成立するにあたり、参照されたのは、宣長、篤胤の国学であるとともに、荻生徂徠の儒学であった。(私はときどき思うのだが、中国や韓国が「靖国」に対して執拗な拒絶を示すのは、儒教の本家である彼らのほうが、国家祭祀の持つ意味を、日本人よりもよく理解しているためではないか?)
明治日本における近代国家の立ち上げは、欧米キリスト教社会に成立した近代国家を範型として成された。それらの国家は、教会などの宗教的権力から分離した世俗主義国家であったが、次第に国家それ自体が、宗教のような心情的同一性をもたらし、信仰と忠誠、さらには国家への殉死を人々に期待するようになっていく。これを「世俗的ナショナリズム」と呼ぼう。
これに対して、いま、中東・イスラム・南アジアで見られる原理主義的な「宗教的ナショナリズム」は、いわば、非ヨーロッパ文化圏における世俗主義的近代国家のオルタナティブである。このように考えるとき、日本の近代化における宗教と祭祀の問題、端的には国家神道の問題は、アジア現代史に一視座を提供することができる。
最後の指摘は、私にとってとりわけ新鮮だった。これまで、あまり身近に思って来なかったイスラム世界やヒンドゥー・ナショナリズムの問題に、ひとつ私も踏み込んで考えてみるか、という気持ちになった。
戦う国家とは、祀る国家である。国家は、国に命を捧げる国民を必要とし続ける。だから、英霊を顕彰する祭祀システムの整備は「国家安全保障政策上の第一級の課題」であり、それゆえ、イラク派兵を推進する小泉首相は執拗に靖国参拝を繰り返すのだ。たとえ本人がその意図はないと言い張るにしても。
しかし、国家が祀ることは、国家が戦うこととともに差別的で自己中心的な行為である。国家は己れのためだけに戦い、己れのためだけに祀る。沖縄で集団自決を強いられた住民たち、イラクでアフガニスタンで、ミサイルの犠牲になった子どもたち、いや、むしろ英霊という意味づけを問い返すような、2,133,823柱という靖国の祭神数(大東亜戦争における死者)それ自体を見よ、と著者は問いかける。
上記のような指摘は、戦後世代の言論人の著作にも散見するもので、ことさら目新しくはない。しかし、日本思想史のプロフェッショナル(敢えて大家とか泰斗とは呼ばない)である著者が、広汎で精緻な実証を携えて立ち上がる姿は、何か「学問の凄み」を感じさせる。
さらに、長い大学人生活を終え、古稀を過ぎて「年金生活」に入った著者が、専門である日本思想史の課題を、アジア現代史、ひいては現代の宗教ナショナリズムの問題に繋げ、新たな射程で捉え直そうとする果敢な態度には、読んでいて背筋が伸びるような気がした。学者とは、年齢にかかわらず、こうありたいものだと思った。
以下、いくつかのメモを書き留めておこう。
伊勢神宮に残る「(あたかも)太古の(ような)自然」は、実は門前町を撤去することで再デザインされたものである。同様に、式年遷宮の持つ意味は、「最古の様式を保持しながら、新しく生まれ変わる」というようなものではない。建築史家の考証によれば、むしろ「純粋形を目指す、再デザインの試み」であると言える。
幕末から明治にかけて、「迫り来る欧米列強」という対外的な危機意識が、日本をネーションとして再構成する必要を生み出した。こうして「危機の政治神学」が成立するにあたり、参照されたのは、宣長、篤胤の国学であるとともに、荻生徂徠の儒学であった。(私はときどき思うのだが、中国や韓国が「靖国」に対して執拗な拒絶を示すのは、儒教の本家である彼らのほうが、国家祭祀の持つ意味を、日本人よりもよく理解しているためではないか?)
明治日本における近代国家の立ち上げは、欧米キリスト教社会に成立した近代国家を範型として成された。それらの国家は、教会などの宗教的権力から分離した世俗主義国家であったが、次第に国家それ自体が、宗教のような心情的同一性をもたらし、信仰と忠誠、さらには国家への殉死を人々に期待するようになっていく。これを「世俗的ナショナリズム」と呼ぼう。
これに対して、いま、中東・イスラム・南アジアで見られる原理主義的な「宗教的ナショナリズム」は、いわば、非ヨーロッパ文化圏における世俗主義的近代国家のオルタナティブである。このように考えるとき、日本の近代化における宗教と祭祀の問題、端的には国家神道の問題は、アジア現代史に一視座を提供することができる。
最後の指摘は、私にとってとりわけ新鮮だった。これまで、あまり身近に思って来なかったイスラム世界やヒンドゥー・ナショナリズムの問題に、ひとつ私も踏み込んで考えてみるか、という気持ちになった。