「"できもしないこと"に関しては、できないことはないはずなんだが、それだけの修行ができていないだけだ」
ウェルズの長弓の名手、ヒウエルのダフィッドの言葉。彼はこと弓に関しては不可能なことがあるとは認めない。すべて「できる」か「今にできるようになる」かしかない。前向きな自信家。なんでも試す前から「不可能に決まっている」と決めつけるチキン者に爪の垢を煎じて飲ませたいものです。
G.R.ディクスンに最初に触れたのは岩崎書店から刊行されてた『宇宙の勝利者』ですが、そのときはそんなに意識してなくて、むしろ同じ全集に入っていた「ゴドウィンの『宇宙の漂流者』と紛らわしい」という反感があったくらい。
初めて意識して読んだのが『ドラゴンになった青年』。ドラゴンのジムの元に集まってくる仲間たちの個性的で頼もしい姿に惚れ込んでしまいました。その後、アメリカ土産に買ってきたジグゾーパズルの1つを見ていて、何か既視感があることに気づきました。竜と並んで歩く騎士、対峙する女狩人と狼……あ、『ドラゴンになった青年』じゃないか!
日本版のイラスト、萩尾望都のユーモラスな絵柄があまりに印象的だったので、フラゼッタかボリスかというリアルな絵に反応しなかったのです。でも(小遣いも乏しいのに)無意識に購入しておいた自分、エライぞ★ そこであらためて『 THE DRAGON AND THE GEORGE 』が原題だということを知るわけです(で、今日調べてみたらジグゾーパズルはボリスの絵だった!)。
そして数年が経過して大学時代。みんなでバイクでツーリングに出かけ、日曜の夜に戻ってきてタイマー録画しておいた『超時空要塞マクロス』(だったと思う)を見ようとしたらチャンネル設定を間違えていて、なにやら見慣れぬファンタジーアニメが録画されていました。人の言葉をしゃべるドラゴンが、騎士や狼と出会い……これって、もしかしてトップ・クラフトで制作されていたという『空飛ぶドラゴンたち』でない!? ディクスンの作品を原案にしちゃったという……。面白いじゃん!……原作と全然違うけど……そして元々1時間分のタイマーがかけてあっただけなので、いよいよクライマックス!というところでブチ切れたというオチがつくのであった。さんざん探し回って見つけたビデオ版は『ドラゴン伝説・魔界大戦争』……ダサダサ。
ついでに、ちょっと調べてみたら、ジェームズ・アール・ジョーンズもこの作品に参加してたとか(Ommadonって誰?)
「シーソー遊びを考えてごらん。一方が運命、もう一方が歴史だ」
心理学の実験ミスから異世界に飛ばされた恋人を追いかけ、意識だけ異世界に飛ばそうとしたジムがドラゴンの肉体に乗り移ってしまった……というのが『ドラゴンになった青年』。異形のものとなった青年が、騎士やら狩人やら狼やら個性的な仲間と出会い、恋人を助けるための彼らと共に戦いに赴くという話ですが、そのジムが竜退治の騎士に対して口にしたのが「最初から、あなたの社会保障のナンバーを知ってさえいたらなあ」という言葉。
読んだ当時は意味が全然わかりませんでした。社会保障ナンバーって何? それがどうして誰でも持っていて当然みたいな言い方をされるの?
これって、納税者番号制度のことなんですね。アメリカだと社会保障法で定められていて、1つの番号で納税から兵役まで管理するシステムです。
今、日本でも納税者番号制とか、国民総背番号とかが論議に上がっていて、昨年から始まったICカードによる個人認証制度もその一環ですが、これを導入すると国家が人民を管理する道具になると反対の声も出ています。でも同様の国民背番号はカナダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、韓国、シンガポール、イタリア、オーストラリアなどが制度として取り入れています。国によって、どこまで管理しているかはさまざま。要は導入の是非ではなく、運用の問題なんですけどね。
日本の場合はまだまだ紆余曲折で迷走しそうです。でも、導入するなら、さっさと一元管理でパパパッとやって欲しいですね(1962年に導入したアメリカではシステムが迷走したおかげで国民2億8000万人のところ、発行済番号が4億人分という状況ですから……)。(2007/08/25)
アニメ版『ドラゴン伝説・魔界大戦争』こと『フライト・オブ・ドラゴン』について補足。
いろいろ話が違ったあげくにラストは別物になっていて「なんだ、こりゃあ?」と思ったら、原作表記がゴードン・R・ディクソンの『ドラゴンになった青年』とピーター・ディッキンソンの『空飛ぶドラゴンたち』のニコイチでした。そりゃあ、あれこれ違うわなあ……と納得してはいたのですが、主役の名前がピーター・ディッキンソンで、彼が作品中で書いていた本のタイトルも『空飛ぶドラゴンたち』。もしかして、ピーター・ディッキンソンって架空の存在? 本も含めて丸ごとフェイクかと調べてみたら……簡単に調べられるのがインターネット時代。
ピーター・ディッキンソンはイギリスの作家。どちらかというと推理小説で有名な人。この『空飛ぶドラゴンたち』は、ル・グインのアースシー三部作の表紙絵を見ていて「なんで、こんなでかい竜があんなに小さな翼で空を飛べるんだ?」という疑問を抱き、無理矢理イラストから理屈づけて設定してみました……という設定マニアの同人誌のようなものだったようです。本人曰く、エセ学術論文。
それを彼のエージェントが拾って出版しようと奔走し、そのついでにアニメ制作会社にコンセプトを売り飛ばし、中身も確認しないで権利を購入したランキン・バス・プロダクションは設定はあってもストーリーがないものだから慌ててディクソンからストーリーを買いつけて合体させてしまったということだそうな。主役の名前はピーター・ディッキンソン卿だけれど、本人曰く「誰も私の名前を主役に使って良いか訊ねてくれなかった」とのこと。
設定はディッキンソン、ストーリーはディクスン。ついでにいうなら実際の制作は『風の谷のナウシカ』と同じトップクラフト。
もともとの設定を書いたパンフレットについては、結局イギリスのペーパー・タイガー社から出版されたのだけれど、珍妙なカルト古典みたいなものだから見つけたら手放さない方が良いんだそうだ。
【ドラゴンになった青年】【ゴードン・R・ディクスン】【萩尾望都】【ハヤカワ文庫FT】【ドラゴン】【狼】【騎士】【王道】【名言】
ウェルズの長弓の名手、ヒウエルのダフィッドの言葉。彼はこと弓に関しては不可能なことがあるとは認めない。すべて「できる」か「今にできるようになる」かしかない。前向きな自信家。なんでも試す前から「不可能に決まっている」と決めつけるチキン者に爪の垢を煎じて飲ませたいものです。
G.R.ディクスンに最初に触れたのは岩崎書店から刊行されてた『宇宙の勝利者』ですが、そのときはそんなに意識してなくて、むしろ同じ全集に入っていた「ゴドウィンの『宇宙の漂流者』と紛らわしい」という反感があったくらい。
初めて意識して読んだのが『ドラゴンになった青年』。ドラゴンのジムの元に集まってくる仲間たちの個性的で頼もしい姿に惚れ込んでしまいました。その後、アメリカ土産に買ってきたジグゾーパズルの1つを見ていて、何か既視感があることに気づきました。竜と並んで歩く騎士、対峙する女狩人と狼……あ、『ドラゴンになった青年』じゃないか!
日本版のイラスト、萩尾望都のユーモラスな絵柄があまりに印象的だったので、フラゼッタかボリスかというリアルな絵に反応しなかったのです。でも(小遣いも乏しいのに)無意識に購入しておいた自分、エライぞ★ そこであらためて『 THE DRAGON AND THE GEORGE 』が原題だということを知るわけです(で、今日調べてみたらジグゾーパズルはボリスの絵だった!)。
そして数年が経過して大学時代。みんなでバイクでツーリングに出かけ、日曜の夜に戻ってきてタイマー録画しておいた『超時空要塞マクロス』(だったと思う)を見ようとしたらチャンネル設定を間違えていて、なにやら見慣れぬファンタジーアニメが録画されていました。人の言葉をしゃべるドラゴンが、騎士や狼と出会い……これって、もしかしてトップ・クラフトで制作されていたという『空飛ぶドラゴンたち』でない!? ディクスンの作品を原案にしちゃったという……。面白いじゃん!……原作と全然違うけど……そして元々1時間分のタイマーがかけてあっただけなので、いよいよクライマックス!というところでブチ切れたというオチがつくのであった。さんざん探し回って見つけたビデオ版は『ドラゴン伝説・魔界大戦争』……ダサダサ。
ついでに、ちょっと調べてみたら、ジェームズ・アール・ジョーンズもこの作品に参加してたとか(Ommadonって誰?)
「シーソー遊びを考えてごらん。一方が運命、もう一方が歴史だ」
心理学の実験ミスから異世界に飛ばされた恋人を追いかけ、意識だけ異世界に飛ばそうとしたジムがドラゴンの肉体に乗り移ってしまった……というのが『ドラゴンになった青年』。異形のものとなった青年が、騎士やら狩人やら狼やら個性的な仲間と出会い、恋人を助けるための彼らと共に戦いに赴くという話ですが、そのジムが竜退治の騎士に対して口にしたのが「最初から、あなたの社会保障のナンバーを知ってさえいたらなあ」という言葉。
読んだ当時は意味が全然わかりませんでした。社会保障ナンバーって何? それがどうして誰でも持っていて当然みたいな言い方をされるの?
これって、納税者番号制度のことなんですね。アメリカだと社会保障法で定められていて、1つの番号で納税から兵役まで管理するシステムです。
今、日本でも納税者番号制とか、国民総背番号とかが論議に上がっていて、昨年から始まったICカードによる個人認証制度もその一環ですが、これを導入すると国家が人民を管理する道具になると反対の声も出ています。でも同様の国民背番号はカナダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、韓国、シンガポール、イタリア、オーストラリアなどが制度として取り入れています。国によって、どこまで管理しているかはさまざま。要は導入の是非ではなく、運用の問題なんですけどね。
日本の場合はまだまだ紆余曲折で迷走しそうです。でも、導入するなら、さっさと一元管理でパパパッとやって欲しいですね(1962年に導入したアメリカではシステムが迷走したおかげで国民2億8000万人のところ、発行済番号が4億人分という状況ですから……)。(2007/08/25)
アニメ版『ドラゴン伝説・魔界大戦争』こと『フライト・オブ・ドラゴン』について補足。
いろいろ話が違ったあげくにラストは別物になっていて「なんだ、こりゃあ?」と思ったら、原作表記がゴードン・R・ディクソンの『ドラゴンになった青年』とピーター・ディッキンソンの『空飛ぶドラゴンたち』のニコイチでした。そりゃあ、あれこれ違うわなあ……と納得してはいたのですが、主役の名前がピーター・ディッキンソンで、彼が作品中で書いていた本のタイトルも『空飛ぶドラゴンたち』。もしかして、ピーター・ディッキンソンって架空の存在? 本も含めて丸ごとフェイクかと調べてみたら……簡単に調べられるのがインターネット時代。
ピーター・ディッキンソンはイギリスの作家。どちらかというと推理小説で有名な人。この『空飛ぶドラゴンたち』は、ル・グインのアースシー三部作の表紙絵を見ていて「なんで、こんなでかい竜があんなに小さな翼で空を飛べるんだ?」という疑問を抱き、無理矢理イラストから理屈づけて設定してみました……という設定マニアの同人誌のようなものだったようです。本人曰く、エセ学術論文。
それを彼のエージェントが拾って出版しようと奔走し、そのついでにアニメ制作会社にコンセプトを売り飛ばし、中身も確認しないで権利を購入したランキン・バス・プロダクションは設定はあってもストーリーがないものだから慌ててディクソンからストーリーを買いつけて合体させてしまったということだそうな。主役の名前はピーター・ディッキンソン卿だけれど、本人曰く「誰も私の名前を主役に使って良いか訊ねてくれなかった」とのこと。
設定はディッキンソン、ストーリーはディクスン。ついでにいうなら実際の制作は『風の谷のナウシカ』と同じトップクラフト。
もともとの設定を書いたパンフレットについては、結局イギリスのペーパー・タイガー社から出版されたのだけれど、珍妙なカルト古典みたいなものだから見つけたら手放さない方が良いんだそうだ。
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