丑殿古墳(大分県)
先ずは前もって言っておかねばならないのが車を停めるところが無いので見学者は考慮が必要だ。6世紀終末~7世紀前半に築造された横穴式石室を持つ円墳である。写真でもお判りの様に家形の棺蓋をもつ石棺が安置されている。レプリカでないところが良いのだろうが普通なら保管されているのにな。まあしかし・・・なんとも見学しにくい。前面道路が拡張されているから行きやすくなるのではないかな。
当該ブログの記事は平成29年(2017)11月16日から23日までである。
丑殿古墳(大分県)
先ずは前もって言っておかねばならないのが車を停めるところが無いので見学者は考慮が必要だ。6世紀終末~7世紀前半に築造された横穴式石室を持つ円墳である。写真でもお判りの様に家形の棺蓋をもつ石棺が安置されている。レプリカでないところが良いのだろうが普通なら保管されているのにな。まあしかし・・・なんとも見学しにくい。前面道路が拡張されているから行きやすくなるのではないかな。
当該ブログの記事は平成29年(2017)11月16日から23日までである。
丸山古墳(大分県)
丸山墓地公園内にあるのだが案内、説明などは無い。しかも、あろうことか場所が無かったのかも知らないが鉄塔の土台にしている。九電なのだろうがあまりに酷すぎやしないか。こうするのならせめて説明看板を建てるとかして後世に残せばいいのにな。こうしてみると大型の円墳だ。時代が読めないのが悔しいが如何ともしがたいな。それでもこうして役に立っている。うーむ・・・
当該ブログの記事は平成29年(2017)11月8日から14日までである。
真玉大塚古墳(大分県)
大分県北部、国東半島付根の丘陵末端部に築造された大型前方後円墳で、前方部は社殿造営により大きく削平を受け、後円部は半分ほども削られている。恐らくは土取りと盗掘であったろう。
墳丘は3段築成、墳丘長は100メートル強を測り、周濠を含めた全長は約135mである。5世紀中頃の築造とされるが、主体部が判っていないのは残念である。しかし、もう少し見学でき易い様に修復してもらいたいな。大分県北にあって最大級の前方後円墳だからな。西寄りに野内古墳があるぞ。道が狭いので車では地元の方に迷惑をかけないようにしてもらいたいな。
当該ブログの記事は平成29年(2017)6月17日から25日までである。
野内古墳(大分県)
5世紀末期に築造された40m級の前方後円墳である。御覧になってお判りの様に、まず中に踏み込むことが出来ない。史跡とは名ばかりでただ残せばいいというような状況である。ここだけではなく真玉大塚古墳も同様である。一言言っておかねばならないが道が狭いので車ではいかないほうが良い。畑の中にあり地元の方に迷惑をかけそうだからな。
当該ブログの記事は平成29年(2017)6月3日から5日までである。
相原山首遺跡(大分県)
斎場横と言うよりは遺跡の横にそれがある。すぐ脇に山国川の奔流を見る。ここでは葬送の遍歴を見ることが出来る位に有力者たちの奥津城であった。場所が場所だけに空気も動かぬのかと思えるほど深閑としている。それでも日当たりが良いので気持ちが良い。ここまで中津駅から歩いて来たが疲れなんか吹っ飛ぶほどの場所であった。
当該ブログの記事は平成29年(2017)4月11日から30日までである。
四日市横穴群(大分県)
ちゃんと管理してもらいたい。草を刈るのは当たり前だろ。どうやって見学しろと言うんだろ。6世紀後半から7世紀前半に築造された横穴墓群で、他にも散見されるのだが所謂高塚と言われる古墳は見ない。上屋で保護されているのは1基だけだが綺麗に削られており、更に弁柄で装飾されている。少しだがそれを見ることが出来る。
当該ブログの記事は平成平成28年(2016)11月25日から29日までである。
葛原古墳(大分県 宇佐)
大型の円墳である。しかも360度見渡すことが出来るということが大事だろう。周囲ではこれ以上のものを見ることが出来ない。この地域にあって強大な力を持っていただろう首長墓だろう。東を見ると駅館川、渡れば宇佐風土記の丘、初期の前方後円墳と言われる赤塚古墳があるが、この流れではないと言われている。
この地域を邪馬台国に比定する者がいるのだが、面白い地域ではある。
当該ブログの記事は平成28年(2016)7月2日から10日までである。
平成22年(2010)6月30日から7月3日までである。