街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

穴観音古墳 (大分県)

2020-01-14 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

穴観音古墳(大分県)

 

 

中規模の円墳であり、装飾が施された石室を持つ。よって石室は当然の様に立ち入ることなど出来ない。
6世紀末に築造されており、筑後川流域で見る限り日の岡塚花塚珍敷塚、に続く装飾古墳である。
残念ながら鏡坂公園内ではない。間違った情報を流布してはいけないと思うがな。

 

穴観音古墳位置

 

当該ブログの記事は令和2年(2020)1月6日から13日までである。

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三郎丸古墳 (大分県)

2019-06-26 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

三郎丸古墳(大分県)

 

 

花月川河畔に所在する円墳である。巨木によって封土が流出したのかもしれない。その根っこが石室を抱え込んでいる。私有地にあるものだから足を踏み入れることが出来ないのは如何ともしがたい。当古墳に関しては説明を読んで頂ければ有難い。ここには車で入ることが出来ないので道路の向かい側に月隈公園があり、数台駐車することが出来るので利用すればよい。

 

三郎丸古墳位置

 

当該ブログの記事は令和1年(2019)6月22日から25日までである。

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亀塚古墳 (大分県)

2018-10-26 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

亀塚古墳(大分県)

 

 

完璧なまでに修復されている。ただ主体部がちょっとね。5世紀初頭に築造された前方後円墳で三段築盛、しかも小さいながらも造り出しを持つ。写真でお判りだろうが埴輪が樹立されており、円筒形埴輪、家形埴輪、壺形埴輪と目を見張るものがある。全長は115mを測り大分県内では小熊山古墳と同じで最大である。海上から一目でわかるようにこの様な古墳を造りあげているのは大和政権連合国の証であり、ランドマークとしての役目も果たしているのであろう。兎に角素晴らしい古墳である。早朝ともなると古墳を巡る周回コースを健康のために歩いている人を多く見かけるぞ。良い空気を吸って健康にも持って来いだ。

 

亀塚古墳位置

 

当該ブログの記事は平成30年(2018)2月22日から3月15日までである。

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築山古墳 (大分県)

2018-10-25 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

築山古墳(大分県)

 

 

全長98mの大形の前方後円墳で表面は石で葺かれている。しかも埋葬者が女性の首長だったことも判明しており近辺で発見された前方後円墳の埋葬者がやはり女性の首長だったことが知られている。5世紀初頭に築造されているのだがこの地域では女性が活躍していたようだ。ただ残念なことに当該古墳は後円部と前方部が括れの部分で断ち切られている。

また、前方部も多少削られているようだ。それでもいい形をした古墳である。道には案内もあり、説明もあるから親切だぞ。

 

築山古墳位置

 

当該ブログの記事は平成30年(2018)2月5日から20日までである。

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小熊山古墳 (大分県)

2018-10-24 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

小熊山古墳(大分県)

 

 

4世紀中頃に築造された墳長115mを測る大型の前方後円墳である。残念ながら主体部の調査がなされていないので判断出来ないが時代的には石槨、石棺ではなかろうか。注目されているのが九州最古の埴輪使用が確認されていることだ。やはり海から確認できるような場所に築造されていることからすれば大和政権との関係の強さが判るのではなかろうか。国東半島に所在する古墳にあっては狐塚、小熊山古墳、御塔山古墳の順になる。ただ狐塚と御塔山古墳が円墳である。

 

小熊山古墳位置

 

当該ブログの記事は平成30年(2018)1月21日から2月3日までである。

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蓬莱山古墳 (大分県)

2018-10-23 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

蓬莱山古墳(大分県)

 

 

4世紀中頃に築造された墳長60mの前方後円墳である。御覧の様に周濠を巡らせていることによって全長は80mを測る。柄鏡形で古式の前方後円墳を見ることが出来る。御覧の様に初秋ただよう良い景色じゃないか。秀麗な古墳を見ると心が洗われるぞ。

 

蓬莱山古墳位置

 

当該ブログの記事は平成30年(2018)1月6日から19日までである。

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御塔山古墳 (大分県)

2018-10-22 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

御塔山古墳(大分県)

 

 

鬱蒼としているし案内が判りにくいということを断っておこう。  

御塔山古墳は超大型の円墳で、杵築の資料では径80.5mを測るのである。久留米地方に所在する権現塚古墳は周濠を含めたところで径150mあまりもあるが主墳だけを見ると55mといわれる。最大の円墳は埼玉県丸墓山古墳の102mで、8位が壬生車塚古墳の82mだから当該古墳は日本で9位になる。しかも造出を持ち、畿内周辺にしか見られない形象埴輪が検出されていることが大きな特徴である。大和政権による連合の強さを垣間見るものだと思える古墳なのだが・・・うーむ、見学しやすいようにしてもらいたいな。案内と説明をしっかりと。おっと、4世紀末から5世紀初頭にかけて築造されていると言うことを言っておかねばな。おっと、九州最大の円墳であることを記しておかねばいかん。

また、奇をてらうかのように卑弥呼の墓と言っている人がいるようだが・・・まあ古墳に興味を持ってくれるのならいいのかもな。

 

御塔山古墳位置

 

当該ブログの記事は平成29(2017)12月25日から平成30年(2018)1月4日までである。

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千代丸古墳 (大分県)

2018-10-21 01:59:49 | 大分 古墳フォトチャンネル

千代丸古墳(大分県)

 

 

7世紀初頭に築造された横穴式石室を持つ円墳である。写真を御覧になってお判りになると思うが石床(屍床)を見ると共にその上に石棚もある。しかも線刻があると言うから驚きである。遠望すると由布岳が見えるが神として崇めたかもしれないな。しかし、道は狭いし、駐車場は無いしで見学者は地元の方に迷惑をかけないようにね。

 

千代丸古墳位置

 

当該ブログの記事は平成29年(2017)12月12日から20日までである。

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古宮古墳 (大分県)

2018-10-20 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

古宮古墳(大分県)

 

 

駐車場があるのは良いが近くの者が自分の駐車場として使っている。マナーなんかないな。まあここに車を置いて小さな山を登り、登ったと思ったら向うに降りて行かねばならない。なんでこげなとこに造らせるとや。古宮古墳は珍しく方墳で、更に珍しいのは巨石を刳り貫いて横口構造の石棺式石室を用いていると言うことだ。この形式は九州では見られず畿内で流行ったと言うことで、大和政権と深くかかわりのある大分君恵尺(大海人皇子と行動を共にする。大分君稚臣も一緒である。ご存じの様に大海人皇子は壬申の乱で勝利し即位して天武天皇となる。その勝利に貢献している二人である。)の墓ではないかと考えられている。{説明文から抜粋}おっと、7世紀中頃に築造されたことを言っておかねばな。

 

古宮古墳位置

 

当該ブログの記事は平成29年(2017)12月4日から10日までである。

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大臣塚古墳 (大分県)

2018-10-19 00:10:00 | 大分 古墳フォトチャンネル

大臣塚古墳(大分県)

 

 

4世紀中頃から後半にかけて築造された前方後円墳である。残念ながら前方部は殆ど言っていいほど削平されており一見大きな円墳かと見間違うほどである。若干全長50mもので主体部は確認されていない。

 

大臣塚古墳位置

 

当該ブログの記事は平成29年(2017)12月4日から10日までである。

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