街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

きつき城下町資料館界隈

2018-02-28 00:10:00 | 街道関連




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亀塚古墳

2018-02-28 00:10:00 | 大分 古墳

ワクワクするぞ。


左右に延びる溝が見えるがこれが排水溝である。向うに見える建物は海部古墳資料館である。早朝だったので開館していなかった。

海部古墳資料館

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きつき城下町資料館界隈

2018-02-27 00:10:00 | 街道関連

 皆さんご存知の酢屋の坂である。
酢屋の坂



 手前の少し急な坂が塩屋(志保屋)の坂である。

塩屋(志保屋)の坂
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亀塚古墳

2018-02-27 00:10:00 | 大分 古墳

さあ登ってみよう。


おっと、その前に亀塚古墳の説明を読んでおかねばならない。やはり海上からはっきりと確認できるようにと築造されていることが判る。大和政権連合の一員であるという証である。壬申の乱で活躍する大分君の御先祖かな。

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きつき城下町資料館界隈

2018-02-26 00:10:00 | 街道関連





 酢屋の坂が北台に登っている。左右に高く長く石垣が続いているが、大原邸、能見邸、磯矢邸が並ぶ。
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亀塚古墳

2018-02-26 00:10:00 | 大分 古墳

溝が彫られているのが判る。築造された墳丘から染み出て来る水を逃がす構造である。横穴式石室の真ん中に溝が掘られ墳丘の外に排水させる遺構を見ることが出来るが、それの大規模なものであろう。

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きつき城下町資料館界隈

2018-02-25 00:10:00 | 街道関連

 飴屋の坂
 杵築は蒲鉾を二つ並べたような地形で、南北の高台に分かれていて、南台武家屋敷と谷を挟んで北台武家屋敷に分かれている。北台の方が格の高い武士の住まいで、谷となっている場所が庶民の活動の場であった。



 きつき城下町資料館は南台武家屋敷地域にある。少し回り道をして飴屋の坂から歩いてみた。


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亀塚古墳

2018-02-25 00:10:00 | 大分 古墳

登ることも出来る。築造当時の姿に近いものかもしれんな。秀麗な古墳である。

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亀塚古墳

2018-02-24 00:10:00 | 大分 古墳

後円部の向こうに小亀塚古墳が見える。大分県下最大級(小熊山古墳もそうだが)で、この修復整備された姿は築造当時を彷彿とさせるものと思われるのではなかろうか。この秀麗な姿に目を奪われるのは目の当たりにした者にしか判るまい。
アップした写真でそれが伝わればいいのだがな。

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大友氏上原館土塁跡 (大分県)

2018-02-24 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

大友氏上原館土塁跡(大分県)

 

 

大友氏は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国(現大分県)を本拠とした一族。豊後・筑後など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有したが、豊臣政権期に除封された。江戸時代には江戸幕府の旗本(高家)や大名家の家臣となって存続した。(ウイキペディア抜粋)

大分市内に点在する古墳探訪のうち大臣塚古墳に立ち寄った際に少し散策したものである。 この付近は道が狭く車を停めて悠長に散策なんて出来るものではない。如何ともしがたい事ではあるが近くに大きな駐車場を持つスーパーがあるのでその一角に停めたのである。そこからの帰りは少々の買い物である。駐車場代くらいは払わないとな。

 

大友氏上原館土塁跡位置

 

当該ブログの記事は平成30年(2018)2月19日から23日までである。

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