

さあ登ってみよう。
おっと、その前に亀塚古墳の説明を読んでおかねばならない。やはり海上からはっきりと確認できるようにと築造されていることが判る。大和政権連合の一員であるという証である。壬申の乱で活躍する大分君の御先祖かな。
溝が彫られているのが判る。築造された墳丘から染み出て来る水を逃がす構造である。横穴式石室の真ん中に溝が掘られ墳丘の外に排水させる遺構を見ることが出来るが、それの大規模なものであろう。
大友氏上原館土塁跡(大分県)
大友氏は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国(現大分県)を本拠とした一族。豊後・筑後など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有したが、豊臣政権期に除封された。江戸時代には江戸幕府の旗本(高家)や大名家の家臣となって存続した。(ウイキペディア抜粋)
大分市内に点在する古墳探訪のうち大臣塚古墳に立ち寄った際に少し散策したものである。 この付近は道が狭く車を停めて悠長に散策なんて出来るものではない。如何ともしがたい事ではあるが近くに大きな駐車場を持つスーパーがあるのでその一角に停めたのである。そこからの帰りは少々の買い物である。駐車場代くらいは払わないとな。
当該ブログの記事は平成30年(2018)2月19日から23日までである。