父が逝って9月30日で100日となる。ようやく喪があけたように思える。
母もその様に思っているようだ。そこで、父を産んだ母の里に親子で行くことにしている。父の遺影を持って父にも見せるつもりでいる。里には細く短い一条の川が流れ、あっというまに日本海に注ぐのである。その両脇に集落が成り立ち、郷を形成している。田畑は少なく、海は近くても漁村ではない。なにをして生計を立ててきたのかは判らぬが、そこに生活の場がある。そこに父を産んだ母の里がある。
父はここを探しに来たらしいが見つけることが出来なかったようだ。遺骨となってそこに行くとは、なんとも空しい思いである。
行くと決めたからには槍が降ろうが何が降ろうが行かねばならぬ。父のため、先は母と私のためである。この海に父の遺骨を流したく、母もそうしてもらいたいと言う。私自信もそれを願っている。また、この海で親子の絆を深めたいと願っている。私はこの父と母から産まれてきてよかったとつくづく思っているこのごろである。
この途中に奈古というと山陰街道の宿場街があり、久々に街道を歩くことになる。母と二人で歩くことになる思うが、それよりさきもそうしたいと願うこのごろでもある。雨が降らねばいいのだが父は雨男だからそれが気がかりでもある。
そして、その記事をアップしよう。殆ど知られてはいないのであろうが、歩くには、もってこいの場所である。
母もその様に思っているようだ。そこで、父を産んだ母の里に親子で行くことにしている。父の遺影を持って父にも見せるつもりでいる。里には細く短い一条の川が流れ、あっというまに日本海に注ぐのである。その両脇に集落が成り立ち、郷を形成している。田畑は少なく、海は近くても漁村ではない。なにをして生計を立ててきたのかは判らぬが、そこに生活の場がある。そこに父を産んだ母の里がある。
父はここを探しに来たらしいが見つけることが出来なかったようだ。遺骨となってそこに行くとは、なんとも空しい思いである。
行くと決めたからには槍が降ろうが何が降ろうが行かねばならぬ。父のため、先は母と私のためである。この海に父の遺骨を流したく、母もそうしてもらいたいと言う。私自信もそれを願っている。また、この海で親子の絆を深めたいと願っている。私はこの父と母から産まれてきてよかったとつくづく思っているこのごろである。
この途中に奈古というと山陰街道の宿場街があり、久々に街道を歩くことになる。母と二人で歩くことになる思うが、それよりさきもそうしたいと願うこのごろでもある。雨が降らねばいいのだが父は雨男だからそれが気がかりでもある。
そして、その記事をアップしよう。殆ど知られてはいないのであろうが、歩くには、もってこいの場所である。