街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

明けの明星

2009-06-21 11:47:37 | Weblog

 UFOではない。金星である。日が昇る前、見ることが出来る。
残念ながら携帯ではこんなもんだ。デジカメを持っていくと決って曇っているのだから不思議なことだ。やはりヴィーナスといわれる由縁であろうか。恥ずかしさを持っているのかもしれん。
 南天では夜半の明星と言われる木星が光っている。肉眼ではこれくらいであろう。夜が白々と明けてきている。

 少し周囲が明るくなった。いよいよ木星がかすんできた。
何十年か前のことだが、西の空に出る宵の明星にスクランブルをかけたと言う話題が新聞に載ったことがあった。わだい話ではなくわらい話である。
 未確認飛行物体と勘違いしたものなのだろうが、どこまで行っても追いつくわけがない。なにせ相手は金星だ。本当にあった笑い話である。
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豊後高田から汐湯へ

2009-06-18 07:04:40 | 街道関連

 今歩いた道を振り返ってみた。電信柱が邪魔ではあるが(観光地ともなれば電線を地中に這わせている)これもまた昭和の時代物である。電信柱が林立し、電線が縦横無尽に空に引かれていた。電話線もあちこちの家へ引き込まれていた。そのような観点からでも経済的に余裕も生まれてきた時代であった。
 豊後高田だけが昭和を色濃く残しているわけではないが、昭和というキーワードを平成になって大いに利用した街並みは先駆者と言っても過言ではなかろう。
 ただ泊り客は少なかろう。今後の課題なのではないだろうか。

 豊後高田を後にして、既にご存知はおられるであろう。そう、また汐湯なのである。母と桜が満開のときに来て以来で少々時が空いていた。
 紫陽花が我々を出迎えてくれている。四季があるというのは好いことだ。
湯にゆっくりと浸かってよくぞ日本に産まれけりを堪能するのである。
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豊後高田

2009-06-17 07:17:52 | 街道関連

 しっとりと濡れた佇まいが心を落ち着かせる。もう少し歩いてみたかったが時間が許さなかったのである。観光客の姿は皆無である。本来の豊後高田の街並みを味わうことが出来るのではなかろうか。まだ川向こうを隅々まで歩いてみたいと思った。

 道は広いわけではない。鳥居が大きな車の進入を拒んでくれている。それだけではない。スピードをあげルールを守らない馬鹿者でもこの鳥居が制御するのである。それからすると、この鳥居はこちらに住む人達のお守りである。
 鳥居を排除せずにこの道を守ってきた住人に感謝するべきだ。
いまでもこのような絵になる写真が撮れるのだからな。
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豊後高田

2009-06-16 08:41:17 | 街道関連

 あの「昭和の街」のある通りとは筋違いの街並みである。この佇まいのほうがより昭和の時代を色濃く残しているように見える。食堂からすぐの通りだ。本来なら観光客が来ない道をゆっくりと散策してみたかったのだが、雨中ではそうもいかん。

 それでも2,300メートル歩いてみた。雨に濡れた昭和の時代はより心が落ち着く。私はそういう時代に産まれたのである。若かった時が思い起こされ当時の元気が出てきそうな感じがするのだ。しかしそれもほんの一刹那だ。すぐさま現実に引き戻される。そんな感傷に浸ってしまう年齢になったのであろうか。
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豊後高田

2009-06-15 06:18:12 | 街道関連

 杵築を離れ国東半島の付け根を南から北上している。少し腹が空いてきた。
「なんか食べましょうよ」と彼が言う。「ん、何食うか?」と私が言う。
結局粉食いになった。お好み焼きのことである。前回は母とも寄った。前々回は彼とその友人とも寄った。それ以前は妻とも寄った。お好み焼きが大好物ではないのだが安くて美味かったのである。店じたいが洒落て小奇麗なのではない。
 そのときは何か美味そうな匂いがしたからである。我々好みの食堂なのである。
 何処に向っているのか?そう!また豊後高田なのだ。
 国道10号から豊後高田へと分岐するこの地点にこのポストがある。
使われているのか使われていないのか、それは判断できないが、これはこの地点の道標(POST)である。

 国東半島を一周してきたわけで、豊後高田にいる。食堂近くの駐車場だ。一隅にある木立の足元。額紫陽花の白が木陰にあって一際目を惹くのである。
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杵築

2009-06-14 07:41:28 | 街道関連

 杵築駅である。木造駅舎であろう。屋根瓦が小雨に濡れ真新しさが目を惹く。
日豊本線が大きく迂回しつつ極力杵築市に近づこうとしたのであろうが、杵築市街とはほど遠い。鉄道を利用して杵築駅で降り立った人々はびっくりするだろう。
 市の名を冠するほどであるから駅前はある程度賑やかさがあろうというものだがここには全くと言っていいほどなにもない。バスとタクシーが市街地へのアクセスである。
 しかし、場末にあってこの洒落た駅舎はかなり珍しいのではないだろうか。
それに付け加えて赤いポストが一段と輝いて見える。単色の中のワンポイントである。

 少しズームした。六四ぐらいの位置に車寄せがある。ど真ん中でなく非対称が全体を落ち着かせて見せている。心憎い造りである。
 その昔は国鉄杵築駅と杵築市街を結ぶ大分交通国東線があった。が、それも人口の減少とモータリーゼーションの普及。決め手は橋梁落下。これにによって廃止へと余儀なくなってしまった。
 小雨降る中を人々が降り立っている。
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杵築

2009-06-13 09:35:09 | 街道関連

 紫陽花はしっぽりと濡れているのだが我々はそうはいかない。雨を避ける術がない。それでも写真が欲しい。晴天下の紫陽花より雨天下の紫陽花がいいにきまっている。

 かといって、写真では雨天下は伝わらないのである。もう少し絵の工夫が必要だったか。街並みを撮ることが出来ず至極残念ではあるが雨天では仕方があるまい。
 と、自分に言い聞かせているようだ。まだまだ甘いな。
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杵築

2009-06-12 09:04:58 | 街道関連

 境内にある一木は桃のようだ。しかもだいぶ古そうだ。しかも画面としては好くバランスがとれている。

 石塔後背の額紫陽花だ。光背のようにも見えて、考えて植えたのかもしれん。
実に単純な境内である。お寺と言うにお寺らしからぬところがいいのかもしれんな。
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杵築

2009-06-11 00:17:53 | 街道関連

 雨に濡れた石段を上り詰め山門を潜る。と、少し雨が激しくなった。山門で雨宿りしつつ見渡してみた。大屋根の様には見えたのだが果たしてそうではなかった。昨今のような金に飽かした造りの寺ではない。質素なものだ。

 境内も潤沢に広いわけではない。この地に合った寺のように思えた。石塔の後背に額紫陽花が咲いている。雨中ではぴったりの光景である。
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杵築

2009-06-10 18:30:43 | 街道関連

 千葉の御仁が友人の結婚式で帰ってきた。時間を持て余しているのであろう。誘いの電話が入った。私もそれを決め込んでいたので一緒に出ることにした。
 入梅した直後で朝から雨がしきりに降っている。それでも出かけるのだから二人ともどうかしている。結果彼の言った場所とは全く異なって、国東半島一周とした。雨ばかりでどうにもならなかったのだが、雨中での絶好の場所を見つけたのである。

 丘状地の上に山門を見つけ、向うに大きな寄棟屋根が見えた。法面には今を盛りのように紫陽花が一面に咲いている。車を降り、雨に打たれながらも写真を撮った。ここはお寺で、名を報恩寺と言う。
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