街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

あの有名人達が乗ったのか?

2007-01-30 23:57:26 | Weblog
 歩く会戸畑支部?にある車である。どこかで見たことがあると思われる。三人を乗せてどこまでも制限無く走り、宙を飛ぶ。ましてやカーチェイスは見逃せない場面である。オープンルーフから身を乗り出して悪を成敗する。あの音楽に血沸き胸が高まる。初代の声が独特だったもので、二代目の声も大変であろう。なにせ声が変わってしまうと人が変わったようになってしまうからだ。
 あまりのシンプルさに驚きが隠せない。夏暑く、冬寒い。隙間風はもちろん、雨も漏る。走るだけの機械である。今はメンテナンスだが、地上を走ることはあっても宙を舞うことは無いであろう。驚きのカーチェイスもむろん無い。あの音楽をバックにトコトコと走ることであろう。(写真:ルパン)
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西市から俵山へ 7

2007-01-23 08:34:53 | 街道関連
 俵山温泉は木賃宿が多く、湯治場である。しかし、今は観光の場でもある。
狭い一本の道の両脇に肩を並べて建っている木造三階建ての旅館が中でも目を惹く。この様な建物が数軒ある。内湯は無いらしく、川の湯、町の湯の其々の銭湯にそぞろ歩きながら浸かりに行くのである。
 しかし、最近真新しい温泉センターのようなものができて、より人が集まるようになってきた。良いのか悪いのか、ここだけに集中するように思えて湯治ではなくなるような思いがしてきた。
 これまではこの付近には食事を摂るような場所も無かったのだが、ここはそれもできる。しかも洒落た料理である。どうもこの地には似つかわしくない。郷土色を出せばいいのではないかと思いつつも利用してしまったのには、恐らく腹がへっていた所為であろう。
 川の湯を利用したかったのではあるが、午後二時からしか入れない。時間が無かったので如何ともしがたい。
 しかし、やはりお湯の質はいい。肌がつややかになる。体が心から温まる。
 日本人に生まれてきて良かったと思う瞬間である。
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西市から俵山へ 6

2007-01-22 09:49:17 | 街道関連
 安徳天皇陵は道路からでは古墳だとは気がつかない。目の前に行くまでは気がつかないのである。至極残念なことである。人目につかないところだからこそかもしれないが。
 さてここから10分も走るだろうか。目的の俵山温泉に到着する。駐車場に車を入れ、料金を払いに土産物屋へと行く。ここで200円支払うと名物の三猿饅頭を3ヶくれるのである。ところがこれが数年前よりずっと小さくなってしまっている。まあおまけみたいなものだからそれは良しとしよう。この店の前から一本の路地がゆったりと通っている。これが俵山温泉街である。
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西市から俵山へ 5

2007-01-21 11:34:56 | 山口 古墳

皆さんもご存知のように山口県下関市赤間神宮横にある安徳天皇稜、北九州市小倉南区隠蓑にある安徳天皇稜、そしてここ前方後円墳である安徳天皇陵、この付近でも三箇所もある。赤間神宮には六角形のマウンドになっており、三歳で崩御された天皇にはふさわしいと言えるほどの大きさであり、毎年の上臈道中はそれを現している。
また、隠蓑に伝わる幼子を藁で包んで隠すと言う祭りもそれを現していると思われる。一人しかいないのにも拘らず何箇所もあるのは、僅か三歳で崩御された天皇に対する民衆のやさしさかもしれない。
ここもその当時であれば人も通えないような場所であろう。にもかかわらず前方後円墳を造り、太刀までをも埋葬してある。しかも今では宮内庁の管理下にあるのも驚きである。
全国に何箇所もある安徳天皇稜、何処が本物かなど詮索するのは野暮であろう。
しかし、殆どと言っていいほど訪れる人はいない。赤間神宮でもそうである。本殿には皆参詣するが稜には見向きもしない。これも不思議な光景である。なにもわからないままに入水しなければならなかった三歳の男の子の魂にもう少しでも手を合わせようと思うのである。
 

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西市から俵山へ 4

2007-01-20 08:23:30 | 街道関連
 西市には、かつて鉄道が走っていた。小月から西市までである。木屋川に沿って鉄路があった。今でもその跡を見ることができ、一部は自転車専用道路になっている。
 しかし駅が何処にあったのかは私は知らない。この街道近くではないようである。次の機会にでも調べてみようかと思う。再度西市を訪れることが出来るのはいいことではある。
 さて、西市から離れて山の中へと進む。ロック式のような堰堤が左手に見えてくる。ここが豊田湖である。豊田湖の湖東を右へ左へと縫うようにして走る。
 湖のとどのつまりに来る付近で左手にこんもりとした小山が目に入る。これが伝安徳天皇稜である。
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西市から俵山へ 3

2007-01-19 08:49:49 | 街道関連
 その前にあの一風変わったアーケードの写真を添付しておこう。見るに屋根つき駐車場を高くしたようなものと表現していいのかもしれないが、高さ約6メートル長さ約10メートルくらいなのである。両脇には商店がある。しかもこれが昭和30年代を思わせる建物である。陽があたらず、中の様子は暗いのだが、なにかほっとさせてくれるような印象がある。
 南からはほんの僅かばかり下り坂となっており、この僅少が歩くのには都合がよい。是非この場所を体験してもらいたい。(写真:アーケード)
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西市から俵山へ 2

2007-01-18 09:45:22 | 街道関連
 小月インターで高速を降り、左手に車を進める。昔の道が真直ぐな広い道へと変わりつつある。走り易さはあるのだろうが、趣も何もあったものではない。
 山口県は広すぎるのであろう。道を潤沢に取っている。しかも一般国道である。殆どと言っていいほど高速道路並みである。
 西市に向かうには、まず菊川を通り抜け北上する。以前ブログに書いたことでもあるのでここは敢えて割譲する。
 やはり西市はあの通りである。そう、旧街道の名残である。例によってあの一風変わったアーケードであり、本陣跡の門構えである。100メートル以内に凝縮された通りである。少し寒かったのだけれど、やはりここを歩くと心持ちがいい。
 ここから木屋川に沿って豊田湖に向かって北上する。目指すは俵山温泉である。
殆どの車は湖西を通るのだが、我々は敢て湖東に沿った。ハンドリングの面白さに尽きるからである。ともう一つの目的がある。それは安徳天皇陵である。(写真:西市街道南面を見る。)
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西市から俵山温泉へ

2007-01-17 02:34:16 | 街道関連
 やっとブログのネタが出来た。
 例によって東京のご仁と一緒である。しかも、またまた温泉である。午後六時から用事があるので、近場でゆっくり出来るということで、山口県の俵山温泉ということになった。
 小倉東インターから小月インターまで高速を利用し、菊川から西市を経由し、豊田湖を周回し俵山温泉へと至るのである。
 と、ここまで書くと、私のことをご存知の方は、「ははーん。これで何度か連載するのだな。」と、思っているのではないだろうか。
 当にその通りである。期待にお答えして何度か書いていこうと思う。(続く)
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