飯隈1号墳・2号墳(鹿児島県)
遠目では前方後円墳に見える。近くに寄ってみると2基の円墳が近接しているのが判る。恐らくは付近にまだ古墳はあったのであろが・・・うーむ。大崎町の文化遺産として残され後世に伝えられることはいいことである。ただね、案内は無いは古墳自体の説明は無いはでは・・問題じゃないか。当古墳群も横穴式石室を持ったような形跡が無いのは残念である。
当該ブログの記事は平成31年(2019)1月18日から25日までである。
飯隈1号墳・2号墳(鹿児島県)
遠目では前方後円墳に見える。近くに寄ってみると2基の円墳が近接しているのが判る。恐らくは付近にまだ古墳はあったのであろが・・・うーむ。大崎町の文化遺産として残され後世に伝えられることはいいことである。ただね、案内は無いは古墳自体の説明は無いはでは・・問題じゃないか。当古墳群も横穴式石室を持ったような形跡が無いのは残念である。
当該ブログの記事は平成31年(2019)1月18日から25日までである。
唐仁古墳群第100号(役所塚)(鹿児島県)
唐仁古墳群は前方後円墳5基、円墳約150基を含み鹿児島県下最大の古墳群である。面白いことに前方後円墳は5基すべてが主軸方向を同じにすると言った特徴を持つ。この100号墳は五世紀末期に築造されたものである。案内、説明など無いので悪しからずと言ったところかな。しかし、御覧になってお判りの様に若干50m程であろうか。秀麗な姿を見せてくれている。
当該ブログの記事は平成31年(2019)1月13日から16日までである。
唐仁古墳群第33号墳(丸塚)(鹿児島県)
道路走行中でもひときわ目立つ大型の円墳である。ただ畑地にあって足を踏み入れることは出来ない。当然の様に案内などと言ったものはない。恐らくは6世紀に入っての築造ではあろうが。また、高塚ではあるのだが・・・うーむ。登ってみたいよな。
当該ブログの記事は平成31年(2019)1月8日から10日までである。
唐仁古墳群16号墳(薬師堂塚)(鹿児島県)
5世紀中頃に築造された前方後円墳である。唐仁古墳群中には5基の前方後円墳があり、面白いことにすべてが主軸方向を同じにしているということだ。全長40mの秀麗な姿を見せる。
当該ブログの記事は平成31年(2019)1月2日から6日までである。
唐仁大塚古墳(鹿児島県)
唐仁古墳群は前方後円墳5基、円墳約150基を含み鹿児島県下最大の古墳群である。面白いことに前方後円墳は5基すべてが主軸方向を同じにすると言った特徴を持つ。この1号墳は5世紀初期に築造されたものである。墳長140m、前方部長70m、高さ4m、後円部高さ10.7mで、周囲を濠が巡っている。面白いことに鳥居を潜るとすぐ右側に前方部が始まるのだが、後円部に比べるとあまりにも低すぎるのである。削られてしまったのであろうが。その後円部の墳頂に大塚神社が建立されているので後円部の墳頂も削られている訳だ。高低差のある前方後円墳と言うのが特徴であろうか。主体部は竪穴式石室で舟形石棺が収められている。案内、説明など無いので悪しからずと言ったところだが、ここには見学用の駐車場があるから有難いぞ。少しマーカーがおかしいので言っておくが、大塚神社のお社が後円部のなのであり、参道が前方部である。間違わないでね。
当該古墳を日本最南端の前方後円墳だと言っておられる方がいるが・・それは違う。塚崎古墳群第51号墳(花牟礼古墳)がそうである。
当該ブログの記事は平成30年(2018)12月27日から31日までである。
塚崎古墳群(鹿児島県)
塚崎古墳群は日本最南端の古墳群であり、日本最南端の前方後円墳の所在する古墳群である。4基の前方後円墳と39基の円墳からなる。前方後円墳のうち3基が柄鏡式の形態を持ち5世紀前半の築造と考えられているが、当地の資料によると「発掘調査により、大隅で最も古い古墳(4世紀)であることが判明し、古墳時代像を書き換えました!」とあるのだが、何号がそうだったのか書かれていないので・・・うーむ。11号墳が鏡墳と書いてあるのと、10号墳を柄鏡塚と書いてあるから11号が最も古いのか知れぬがどう考えても4世紀末期ではなかろうか。知れているのは塚崎16号墳が初現で5世紀初頭とする。はっきりとした資料を観たいよな。日本最南端の前方後円墳は第51号墳で花牟礼古墳の別称を持つことを付け加えておこう。
肝属川右岸に当該古墳群が所在するが、左岸には鹿児島県下最大の古墳群である唐仁古墳群がある。両古墳群とも見るに値するものだから是非遊びにおいで。
当該ブログの記事は平成30年(2018)12月2日から8日までである。
日本最南端の前方後円墳(鹿児島県)
現状は判りにくいと言うのが本音である。案内、説明など無い。資料館で訪ねてみたが・・最南端の古墳群ですと言い、何処にあるか知らないと言う。当然案内、標識があるかどうかなんて判る訳もないと言うのである。なにせ行ったことが無いと言うのには驚きである。
感情を抑えて・・塚崎古墳群51号墳が日本最南端の前方後円墳である。また、花牟礼古墳とも言う。柄鏡式古墳の様で5世紀中には築造されたものと思われる。古いものだと4世紀中に築造されたものがあるとされているのだが・・もっとまじめに研究してもらいたいな。
当該ブログの記事は平成30年(2018)11月26日から30日までである。
横瀬古墳(鹿児島県)
大隅半島における古墳時代と言えば志布志湾岸周辺と、この湾に注ぐ河川流域に集中しており、鹿児島湾岸や内陸部には殆ど見ることが出来ないようだ。この大崎町横瀬古墳群は低地に所在する唯一の古墳群であった。本来当該古墳の周辺に寄り添った陪塚はすでに無くなっている。
古墳群という言葉はすでになく当該古墳だけが残っている。濠を巡らした墳長は134m、墳丘は三段に埴輪が巡り、内部主体は竪穴式石室である。5世紀後半の築造とされ志布志湾岸では最終段階の前方後円墳である。管理されている古墳で大事にされている秀麗な古墳である。見学用にちょっとした駐車場でも設けてくれればな。まあしかし、良いところだよ。
当該ブログの記事は平成30年(2018)10月28日から11月9日までである。