皆の目線はある一点に集中している。点火である。
ご覧のように年配の方が多い。当然といえば当然。以前は祝日だったが今では平日だ。誰が好き好んで仕事を休み、学校を休んでまでぜんざいを食べに行こうなどと思うわけが無い。
振る舞いを手伝う方たちは割烹着だ。やはり昔のお母さん達はこの姿が好い。中に一人ジーパンを穿いた若い女性がいたが、彼女はエプロンだった。私も古い人間の部類に入るのでやはりこの姿には違和感がある。
皆の目線が集中している先はこれだ。一見ゴミの山だ。どう見てもやはりゴミの山だ。しかし、お払いをし、塩とお神酒で清められ、ゴミではないのであろう。
まあそれは問題ではなくようやくぜんざいに漕ぎ着けたわけだ。
問題は皆が一斉にぜんざいに群がると言うことなのだ。女性が殆どだから甘いものには目が無かろう。これから凄まじい光景を目の当たりにするのである。私などは大きな図体をしていても少し遠慮がちなので、落ち着いた頃を見計らって行くことにした。
神事が始まる前に御参りをしておかねばならん。私はここが三社目である。以前千葉の御仁等と二社は参ってきたからだ。
今日は風は冷たいがいい天気である。所謂天気晴朗だ。殆ど毎年と言っていいほど訪れているわけだが、天気が悪かったと言うことは無かった。天気で言うところの特異日にあたるかもしれん。雨男の私にとってはなかなかいいことである。
ここはアーケード街より賑わいがある。人々が愈々集まりだした。宮司らも準備を始めだした。母はというと見知らぬ人と話をしている。いい光景だ。齢84となる母ではあるが足がおぼつかないとか、出不精になるとか、人と話すことが億劫になるとか、全くその様なことは微塵も無い。子供から見ると幸せなことである。
おっと、腹の虫が鳴いている。もう少しの辛抱だな。
これが神功皇后御腰掛なる石である。当たり前のように何の変哲も無い石だ。
それが歴史に名を残す人(実在は問わない)が、足でも手でも掛けたならそれはもう史跡である。美々津には神武天皇が船出をする際に船を繋いでいた石がある。
それは史実かどうかはわからぬがそういういわれがあり史跡となる。
鳥取県名和には後醍醐天皇が隠岐から脱出して名和に着いたとき休憩したと言う、やはり御腰掛の石がある。史跡となっている。
どんど焼きまで少々時間があるので町中を歩いた。ご多分に漏れずシャッター通りになっている。喫茶店を探したが既に無い。寂しいアーケード街になっていた。
この場所には以前陶器屋さんがあった。そこは商店街に来た人たちの集う場所、憩いの場所となっていた。人々は都市に集中して田舎の町ではやってはいけなくなるであろう。寂しいかぎりだろう。