説明によると全長は75m、後円部径約47mである。遜色ないので無視できるのだろうな。八幡宮の本殿が建立されている小山が後円部とされる。しかしながら前方後円墳とはとらえられない。
八幡様だから応神天皇、神功皇后なのだが神武天皇の母である玉依姫の名前が出てくる。仲哀天皇は・・・うーむ。憤慨してるぞ。
歩きなものだが竹下駅から五分足らずで那珂八幡宮に着く。
那珂八幡古墳は福岡平野における最古の前方後円墳に位置付けられており四世紀初頭に築造されたものと目されている。前方部が撥形に開き纏向型前方後円墳に近い形状を示しているのが特徴であり、当該古墳の第二主体部には中国製三角縁神獣鏡が副葬されていた。推定全長85m、後円部径約50m、後円部高さ15mを測る。現状は古墳の形状を見るべくもなく推測の域を出ないのだが主体部や副葬品は検出されている。
1589年 - バイエルン公・ヴィルヘルム5世の命によりブルワリーとして開設。王室御用達のビールであった。ロゴマークには王冠が用いられている。
東光寺剣塚古墳(福岡県)
所在地を確認していただければわかるのだろうがアサヒビールの工場内の一角にある。だから勝手に立ち入ることは出来ない。守衛所に立ち寄り見学の申し込みをしないといけない。その上で可能となる。その上順路も指定されており枠から外れてはならないのである。さて、見学を申し込むと説明書きを手渡される。それによると全長75m、後円部径46m、前方部59m、高さは前方部と後円部がほぼ同じで5.5mである。ここまでは一般的かな。ところが周濠が三重に巡らされ全体は126mもある。造出しをも持つ。また、石室は石屋形と呼ばれる石棺が置かれている。(但しこれらは見ることが出来ない。前室までは入れるが)そうだ6世紀半ばの築造である。説明看板には剣塚北古墳の名が見えるが消滅している。こちらの方が古く5世紀半ばから後半にかけて築造されている。
当該ブログの記事は平成30年(2018)5月13日から27日までである。
守衛室に立ち寄って見学者の名札を返す。「ご苦労様でした」と返事が返ってくる。「有難うございました。」
なお、剣塚北古墳(前方後円墳)は既に消滅しているが五世紀半ばから末にかけて築造されたもので全長30m超で、後円部径24mと推定されている。
東光寺剣塚古墳はそれから約100年後くらいに位置するものと思われる。