鉢増をしてやらねば 根が回っている筈だ 青い鉢で大きくなった金のなる木は蟻が幹に巣くって腐ってしまった
すべて処理して土に戻してやった ついでに植替えをしてやろう・・・
根が回ってしまったので土を取り除いてと・・・ははは ヒルだ 珍しいな
これも土にかえしてやらねば 殺生する必要は無いからな
鉢増をしてやらねば 根が回っている筈だ 青い鉢で大きくなった金のなる木は蟻が幹に巣くって腐ってしまった
すべて処理して土に戻してやった ついでに植替えをしてやろう・・・
根が回ってしまったので土を取り除いてと・・・ははは ヒルだ 珍しいな
これも土にかえしてやらねば 殺生する必要は無いからな
寝台特急富士ラストラン
寒風の中で40分待った甲斐があった。もうこの姿を見ることは出来ない。
無くなるとは夢にも思わないから何かの機会にでも撮影しようなどと思っていたのである。しかし、これが最初で最後の写真なのだ。気持ちばかり焦ってしまってどうしようもなかったが我ながら上手に撮れている。群がる人も無くただ一人の独壇場であった。
このED7690は、前夜上りの富士を牽引した機関車だった。大分 門司間を何度となく往復したのだろうな。お疲れ様。
九州管内では客車列車はイベントで8600型蒸気機関車が牽引する人吉号だけとなった。あのゴトンゴトンを身体に感ずることはもうあるまい。
さあ皆さん 寝台特急富士 最後の雄姿 じっくりと見ていただこう。
当該ブログの記事は平成21年(2009)3月14日から17日までである。
そう言えば記事を書いたままでフォトチャンネルにアップしていなかった。本日は亡くなった父の誕生日だ。国鉄職員一筋で我々を育ててくれた・・・
寒風の中で40分待った甲斐があった。もうこの姿を見ることは出来ない。
無くなるとは夢にも思わないから何かの機会にでも撮影しようなどと思っていたのである。しかし、これが最初で最後の写真なのだ。気持ちばかり焦ってしまってどうしようもなかったが我ながら上手に撮れている。群がる人も無くただ一人の独壇場であった。
このED7690は、前夜上りの富士を牽引した機関車だった。大分 門司間を何度となく往復したのだろうな。お疲れ様。
九州管内では客車列車はイベントで8600型蒸気機関車が牽引する人吉号だけとなった。あのゴトンゴトンを身体に感ずることはもうあるまい。
さあ皆さん 寝台特急富士 最後の雄姿 じっくりと見ていただこう。
90分遅れということで出直してきた。ところがである。また30分遅れているのである。ようは120分遅れたわけだ。と、あと40分も待たねばならん。
寒風の中をじっと堪えて待った。線路脇の菜の花が強い風で大きく揺れていた。
ふと跨線橋を見上げるとあのご夫婦も来ている。「120分遅れてますよ。11時20分小倉を発車しているからもうすぐ来ます」と声をかけた。「払い戻しやな」「はは、そうですね」
駅のアナウンスが流れた。私とそのご夫婦のために流してくれているのである。すると駅横のマンションの上からも声がする。「お父さん来たよ。お父さん来たよ」 やはりじっと待っている人がいたのだ。
愈々その時が来た。本当の最後の瞬間が来たのである。我々がどんな思いで待っていたかも知る由も無く、そしてそれはやって来た。
3月も半ば、桜も開花したというのに寒波が襲ってきた。そんな寒風が吹き荒れる中、昨日の一組の夫婦が跨線橋の上でいまや遅しと待ちわびている。
その夫婦だけではない。私も寒さを堪えて待っていたのである。
ところが、どうもおかしい。予定通過時刻を過ぎてもやって来ない。そこに普通列車が入ってきた。目の前に運転士が見えたので尋ねてみると、きまり悪そうに「あー富士ですか。90分遅れています。山口県内で人身事故のため90分遅れていますよ」
「えー、また事故か。昨日も事故で40分遅れたからな」「そうですね、あとのことは駅員に尋ねて下さい」と言いつつ発車した。
私は駅員にまたあとで来たいので一度使った入場券で入っていいかとお願いをした。すると駅員は一も二も無く快諾してくれた。そして、すぐさま夫婦が待っている場所に行きその旨を伝えたのである。その夫婦も私がホームにいるのを知っていた。気になっていたようだ。「しょうがないですね。本当の最後を見たかったのですが。わざわざ有難うございます」と言って帰って行かれたのである。
上手く写真を撮ることが出来なかった。九州発 特急富士 の最後だ。万感の思いを込めてその後姿を見送った。
奇しくも特急富士の最後がこの三組の夫婦に一期一会の機会を与えてくれたのだ。それぞれ近くに住んでいるのだ。住んでいても話す機会も会うと言う機会もない。それは普段では当たり前のことだ。それが「最後の富士」という言葉だけでここに集うことになった。その偶然か必然かはともかくとして心から嬉しく思ったのである。
もう一列車。これも上り最後の「寝台特急はやぶさ」もやはり人身事故のためにそうとうダイヤが乱れたと言う。
あるご婦人がしみじみと言った「また復活すればいいのにね」心に残るのである。
それで「さよなら」ではなく中国語の「再見」にしている。