長柄さ鞍山古墳群 2号墳 (神奈川県)
平成11年(1999年)3月に 1号墳 が発見されてから3ヶ月後の6月に発見された。1号墳に続いて全長 88m 後円部径 54m を測る前方後円墳で、神奈川県下では1号墳に次ぐ2番目の大きさである。後円部高さ 7.3m 前方部高さ 8.7mを測る。これを見るに1号墳とは異なり、前方部が後円部より高い。葺石、埴輪が検出されており、これも1号墳とは異なる造りである。これは南関東における前期古墳では初めて確認されたということである。埋葬施設は調査されていないので不明である。築造時期は4世紀後半とされている。1号墳に埋葬された者とは近い関係のように思える。
当該ブログの記事は令和5年12月28日から令和6年1月11日までである。
長柄桜山古墳群 1号墳 (神奈川県)
考古、遺跡の好きな方によって1999年(平成11年3月)に発見された。過去最大の発見だったに違いない。しかも神奈川県下最大の前方後円墳である。地山を利用し、整形して盛土をしている。全長90mを測り 後円部径は51mを測る。築造時期は4世紀後半と言うから驚きである。既にこの時期に大和連合の一員だったと考えて良かろう。しかも首長クラスであろう。移動は海路に頼っていたであろうから海運を業としたであろうし、この海域を管理していただろう。
当該ブログの記事は令和5年12月9日から26日までである。
大井公園内古墳 芝丸山古墳(東京都)
【大井公園内古墳】
誰が見てもこれが古墳だとまず判るまい。言われないと・・言われても疑問が沸くだろうな。円筒埴輪の破片か・・せめて時代背景が判りそうなものだが・・形状も判らないのは如何ともし難いのか・・それでもこうして残っているのは良いことである。
【芝丸山古墳】
説明を読んで頂ければいいのではあるが、全長106mの前方後円墳で都内最大級とある。残念ながら相当に壊変されており、主体部もない。築造時期を五世紀(少し漠然としてはいるが)であれば既に大和政権連合の一員であったろう。この様な場所だったから保存されてきたのであろう。死ぬ前に行くことも出来ないので東京にいる長男が探訪してくれたのである。
これら当該ブログ記事は令和2年(2020)10月7日から12日までである。
野毛大塚古墳(東京都世田谷区)
帆立貝式の前方後円墳で造出しをも持つ。主体部を含めて4基の埋葬施設が検出されているが、同族の男子であったろう。その総てに武器の類いが副葬されている。築造が5世紀中頃であることから倭の五王の時代である。大和連合の国として力を付けたものと思われ、大和政権がこの東国まで力を伸ばしていたことが伺える貴重な古墳であろう。5世紀の武蔵の地域を見れば蓬莱山古墳(115m)の次に来る古墳(84m)である。葺石が施され、円筒埴輪も樹立されていたようだ。周囲は公園化され人々の憩いの場所となっている。
当該ブログの記事は令和2年(2020)7月29日から8月3日までである。
東の方向には等々力渓谷3号横穴、更にその東南には御岳山古墳がある。
これら3箇所の史跡、遺跡探訪は東京にいる長男に依頼したものである。
等々力渓谷横穴墓群三号横穴(東京都世田谷区)
古墳時代末期から奈良時代初め(7世紀末~8世紀)に築造されている。
大化の改新の翌年の646年、朝廷は薄葬令を出す。平々凡々な人民は古墳を造ってはならんということである。それまでは有力な首長や力を持った一族(家族郎党)などは小さいながらも古墳であった。所謂群集墳などがそうである。それを禁止されたので葬送の仕方が変わったのである。
すぐ目の前は等々力渓谷である。都会の喧騒から外れて散策するのは楽しかろう。
当該ブログの記事は令和2年(2020)7月24日から27日までである。
御岳山古墳(東京都世田谷区)
5世紀末に築造された前方後円墳(帆立貝式)である。近くには野毛大塚が所在する。5世紀と言えば「倭の五王」と言えばお判りになるだろうが、その勢力範囲に入っていると言ってよかろう。多摩川流域に勢力を誇示していた首長であろうことが肯ける副葬品が検出されていることに目を惹かれる。ただ、見学できないと言うのは・・・うーむ。まあ如何ともし難いところでルール、マナーは守らねばな。すぐ目の前は等々力渓谷である。有名な横穴墓も見学できるぞ。都会の喧騒から外れて散策するのは楽しかろう。
当該ブログの記事は令和2年(2020)7月20日から22日までである。