街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

戸山原古墳その後

2010-02-28 08:47:30 | 戸山原古墳


 横穴式石室の構造を見せるために造られているのである。我々は川崎町役場に行き、今後の成り行きを聞いたのだが、説明会は開催せずに陶板で解説書を作るということであった。 また、普段は石室内部に入ることは出来ないと言う事である。そのために石室のレプリカを展示していると言うことであった。しかし、この状況なら悪戯されかねないような現状である。過去に修復された古墳を知っているが、悪戯は絶えない。情けないことである。
 縦になる石柱を袖石(柱石)と呼び、横は側壁と総称する。この上に天井石が載せられ、楣石(まぐさいしと読む)或いは冠石等を用いて天井が塞がれるのである。
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建徳寺古墳

2010-02-28 08:35:04 | 福岡 古墳

建徳寺古墳の概要が記されている。


全貌を見る。ここは古墳公園として整備されている。ここ建徳寺古墳は4月、10月の年二回遠賀川流域古墳(王塚、川島、夏吉、竹原、水町、沖出、小正西、建徳寺の八ヶ所)同時公開で普段見ることが出来ない石室内部を覗くことが出来る。

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延永ヤヨミ園遺跡その後後後

2010-02-28 07:56:54 | 遺跡

 小雨そぼ降る中に佇む名も無い古墳である。超大きな盆栽のように見えるだろう。
 木々がここにも古墳があるんだと教えてくれている様に見えた。

 天候の悪い中で、また、足元の悪い中で発掘がゆるゆるとしかも着実に進められている。
 住居跡ばかりであるがその数なんと300軒以上である。近くには古墳もある。興味湧く面白い遺跡であることに間違いはあるまい。
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戸山原古墳その後

2010-02-27 10:42:56 | 戸山原古墳

 古墳周囲に皐が植えられていること、石室に繋がる道の脇にも植物が植えられているのが判る。

 読者諸氏の中にはこの古墳をご覧になって何かがおかしいと思われているのではないか。
 今日は二回目なのだが、最初に見たとき既に違和感があったのである。
 それは何かと言うと、羨道、石室が古墳中心よりずれているのである。換言すると玄室の上部に天井石、その上が古墳頭頂部になるわけだが、その線が向って右側にずれているのである。何故か。それは玄海灘地震で石室が倒壊してしまったのである。ところがその修復時にずれたままの図面で復元してしまったからである。
 どの様に変っていくか比較しながらご覧頂きたいと思う。(上部写真 初回訪問)
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建徳寺古墳

2010-02-27 10:20:03 | 福岡 古墳

春だなー


小山の上に築造された円墳である。古墳時代後期(6世紀後半)大任町一帯を支配した人間の墓である。石室には天井石が無かったので(盗難にあったのであろう)上部から玄室を見ることが出来る。だから古墳上部にドームを設けているのである。

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延永ヤヨミ園 墳丘墓

2010-02-27 10:04:53 | 福岡 古墳


 こんもりと土が盛られた上に盆栽のように七、八本の木が植わっている。なだらかなカーブがなかなかよい。

 こじんまりとした佇まいが絵になるような古墳である。いつか時間をとってこの古墳の所有者に会いに行ってみようと思っている。

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雛めぐり

2010-02-26 03:21:28 | 秋月街道

 後藤寺をはなれ建徳寺古墳に向った。
 本道からそれ、山道に入っていった。木々が両側から迫る狭間が突然に開けたところに大きな梅ノ木を見つけた。今の時期では何処を走っても梅を見るが、この梅ノ木は殆どの人が見ることが出来ないところにある。

 梅ノ木とは書いているが枝ぶりを見るに梅の感じがしないが、花は梅である。
 花を愛でながら休憩だ。
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延永ヤヨミ園 墳丘墓

2010-02-26 03:08:00 | 福岡 古墳


 縦長で12、3メートル、横長で5、6メートルはあるだろう。高い所で2メートル足らずである。これでは石室は存在せず、地下に埋葬しマウンドを作っているのであろう。この付近にビワノクマという名の古墳があるが、時代の異なる複合の古墳が存在する。
 この周辺の権力者の古墳ではあろうがその繋がりはまだ判明してはいない。
 今後の研究が待たれる。

 ここは私有地なので発掘されることはないかもしれないが発掘現場との統合でも調査が待たれるところであろう。

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延永ヤヨミ園 墳丘墓

2010-02-25 09:02:26 | 福岡 古墳


 遺跡発掘現場で立ち話をしている時にふと目に飛び込んできたところがあった。
 遠目からは盆栽のように見える。しかもマウンドのように整形された形なのである。不思議に思って母をその場に置いて近寄ってみたのである。200メートルは歩いたであろうか。

 やはりと言うべきか、まさに古墳であった。円墳とも方墳とも別し難い。楕円形の様でもある。唯此処は塀に囲まれた私有地なのだ。古墳の向うは畑があり接道などは無い。人家の庭である。
 発掘現場には数多くの住居痕が検出され、今又ここに関連した古墳があればその当時の国を形成していたかもしれん。俄然興味が出てきたのである。

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雛めぐり

2010-02-25 08:26:30 | 秋月街道

 向うに銀天街がある。ここが秋月街道である。まさに秋月へのプロムナードに相応しい。

 何処にでもあるタイヤキだ。私は黒餡オンリーで、彼はクリームオンリーである。
食べ物に関しては意見が全く合わない。更に言えば彼はタイヤキをなんと頭から食べるのである。私は尻尾からで、それが常識だと思っていた。そのことが論争に発展して店の主人達にも波及したのである。店内には我々二人を含め4人いたのだが、タイヤキの食べ方は私を除いて3人が頭から食べると言う。後頭部を金鎚でぶん殴られたように私の常識が覆されたのである。
 因みにこの食堂は採銅所から後藤寺まで歩いたときに休憩の場所として利用したことがあった。それで中に入ったのだが女将さんもそのことを憶えていてくれていた。後で判ったことではあったが女?芸能人になる前の男性も通っていたとのことであった。
 とそこにかの髪型をした女性がが入ってきたので一瞬びっくりしてしまった。彼と二人で顔を見合わせてしまった。「そっくりやのー」「ですねー」
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