冷蔵庫を開けるとこちらを睨むものがある。えっ なんじゃこりゃ。
純米酒でないのが残念だがな。やはり境港だったな。
前方部に回ってみよう。おっと、もう先に行ってるのか。
後円部で主体部を見ることは出来ない。360度見渡すことが出来るのはやはり良いだろ。360度から風が吹いてくるのも良いぞ。
今年最初で最後の羽衣縷紅草である。たった一輪である。もう九年目の種だからなのか全く成長しなかった。それでも一輪だが顔を見ることが出来てよかったな。これも亡き父の忘れ形見だからな。
朝顔もこれで終わりである。別にジャングルの様にして朝顔が伸びたのだが花芽が一つも出来ていなかった。悔しいな。
地名の由来となった大善寺付近を歩いている。すぐ近くに御塚古墳、権現塚古墳がある。賢明なる読者諸氏なら「なんだ古墳探訪じゃないか」と・・・うーむ大正解だ。
七夕池古墳からの眺めである。この地域の首長あるいは王墓なのだが、光正寺古墳は前方後円墳なのに七夕池古墳は何故円墳にしたのだろう・・・と埋葬される本人は疑問に思わなかったかな。
見上げるのは後円部である。
築造が三世紀後半(これでは日本国内でも最古級である。)としているが恐らくは間違いであろう。石塚山、赤塚で三世紀後半(末期)で、これらと時期を同じにはしない。四世紀中頃が正しかろう。
ここから北側に見える七夕池古墳は四世紀末期に築造されている円墳である。この地域の首長(王)の系統であろうか。
福岡県の地名は神功皇后なしでは語れないな。架空の人物と言われるけれど・・・この様な活躍をした女性首長がいたのかもしれんな。
九州の地名では景行天皇なしでは語れないがな。そんな地名の由来があるにもかかわらず訳の分からぬ名前を付けているこの頃だ。しかも平仮名や片仮名もあるからな。最悪は中国名と全く同じ地名があることが悲しい。