街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

少し遠回り(第59回朝日駅伝)

2008-01-15 09:46:42 | 街道関連

 伯母が去年の12月初めに入院した。大腸が悪かったらしく腹を切り、大腸を取り除いたのだった。本日は二度目の見舞いだ。
 道に慣れてはいるのだが今日は少し遠回りをすることにした。進んでいくうちにだんだんと渋滞となる。普段渋滞の起こる場所ではないので工事かなと思いきや、前方で警察官が多数出て交通整理をやっている。おや、沿道に人だかりが出来ている。歩道には朝日新聞社の旗が延々と続いている。なんと駅伝の真っ最中に出くわしたのだった。
 普段の生活では見ることが出来ない光景である。車の進行が止められ、そうこうしているうちにトップランナーがやってきた。当然その前を中継車が行き、先導の白バイが行く。テレビではおなじみだが本物を見るのは初めてである。
 ランナーとは対向して車を走らせていたので最後尾まで車窓から見ることが出来た。トップとはそうとうな時間が開いている。それでも一所懸命走っている姿は美しいものだ。全てが走り去って行った後、朝日新聞の旗は片付けられ、警察官達は車で拾われていくのである。終わりまでの光景を見ることが出来たのは少し遠回りをしてみようと思ったからで、時間に余裕を持つことは貴重な体験ができることの証明になったかもしれん。伯母のことを忘れたわけではない。術後の体調もよく体のむくみも取れ顔色も良くなっていた。しかし、齢91である。身体には十分気をつけてもらいたいとつくづく思ったのである。
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平塚川添遺跡2

2008-01-13 10:22:41 | 遺跡

平成4年12月末公的に発表され、翌7月甘木市教育委員会による発掘調査概報の表紙である。東西に伸びる二条の道路と南北にながれる二条の川とに挟まれたほぼ矩形がそれである。
この付近はまだ埋もれたままの遺跡が点在することで、より興味の惹かれる場所である。
添付の写真は発掘現場の鳥瞰である。少し見え難いが驚くなかれ、七重の環濠が写し出されているのである。それが何を意味するのか。より興味が注がれる遺跡なのである。

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平塚川添遺跡公園

2008-01-12 17:40:09 | 遺跡

久しぶりに千葉の御仁が帰省した。彼の暇つぶしに私が借り出されるのだが、まあそこは趣味の合う二人と言うことで良しとしている。
そこで今回は平塚川添遺跡へ行くことにした。当初多重環濠が発掘され注目を浴びた。平成五年が終わる間際に説明会が催された。霙交じりで非常に寒く、地面は発掘そのままで泥濘となっていた。大勢の古代史ファンが詰めかけ、寒くても熱気に溢れていたのを思い出した。同じ頃には佐賀県吉野ヶ里遺跡が世間の注目を浴びるなどして卑弥呼の王都である邪馬台国の話に花が咲いたものであった。 
平塚は福岡県甘木市(現朝倉市)にあって、この地を邪馬台国に比定するまでになった。今ではその様なことを言うものは少なくなったが、卑弥呼の郷として町おこしに一役かっているようである。
今では国の史跡となり、遺跡は埋め戻され、その上に最盛期頃の様子を復元している。

コメント (1)
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