街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

街道を歩くということ その九

2005-09-27 00:35:18 | 街道関連
ところが、それとはまったく正反対に町人の街である宿場、街家等はそうではない。汗と涙と笑いとがあちこちに染み付いたのか、生活感が溢れ、今でも枯れることなく太く黒い柱や梁からじわじわと滲み出ているのが感じられるのは私だけではないだろう。その感じが又、心をしみじみとさせてくれるのは日本人の魂である。
低い軒、海鼠壁、格子戸、連子窓、白壁の土蔵、鏝絵、本瓦葺の屋根、卯建、木と土と白漆喰、白と黒、青灰色、弁柄など、そこからは個性が溢れだし、自由奔放、闊達、派手さとお洒落とが統一され、美意識さえ感じられる繊細さを有して、なんと洒落ていることか。この粋なセンスはどの様にして生まれてきたのか。[続く](写真:備中高梁の街並み)

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街道を歩くということ その八

2005-09-26 00:07:32 | 街道関連
さて、様々な街並みがあるなかで、どちらかと言うと武家屋敷より街家、商家の方が好きである。完璧といえるほどに整った武家屋敷やそれらに面する通りが整然と形成されているのをみるにつけ自由奔放といったところが見られない。というより、そこからは感じ取ることができないのである。どこもかしこも同じ様な構えであり、家の造りもその様であり、柱も細い。質素、倹約を旨とする意識なのか。
屋敷だけでなく庭も計算されたかの様に木,石が配置されている。どうも格式ばっていけない。時代がそうさせたのか、はたまた武士はそうあるべきだと決め付けてしまったのか、どうも四角四面である。
逆に言えば、質素、且、慎ましさが武家の格の高さを表しているのだろう。爽やかなる風を感じるのではある。しかしながら、そこに住んだ人間の声がここまで伝わってはこないのである。[続く]

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街道を歩くということ その七

2005-09-25 02:26:04 | 街道関連
日本を縦横に幅を拡げたのは街道である。流行や人の流れ、各地の情報は街道から流入してくるものである。街道は情報のネットワークである。それらがそこで出会い、そこここに住んできた人間の感覚、或いは財力によって、その地特有の文化を生みだし、発展させ、それが伝統となって引き継がれてきたものである。あちらこちらの地方を見てきたが、家の顔みな千差万別で違いが有ってたいへんに心持が良い。この様な場所が日本各地に点在し、現在もそこを歩くことができるのは幸福である。[続く](写真:天然記念物 樟)
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街道を歩くということ その六

2005-09-24 01:19:48 | 街道関連
新しく取り付けられた道の殆どが街道を利用して走っており、狭い町並みを迂回して通っている為に、どこにどのような町並みが残っているのか注視しておかなければ通り過ぎてしまう。車ではあっという間に見逃していく。それでも、甍の波が横に伸びて続いているのを見つけるとそこが旧道で、軒が、甍が続いているわけだ。はたしてこれがいわゆる街道で有ったであろう。[続く](写真:足守の街並み) 
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街道を歩くということ その五

2005-09-23 00:59:31 | 街道関連
 これらの道路整備によって、人の流れはそこからはずれ、今までの道は裏通りとなり、さほど人通りの無い寂しいものになっていった。
 ために、それまでの本筋が本筋でなくなり裏通りへとさせられてしまったのである。かの通りで商売を続けることが困難になり、車の通りの多い方へと商店が移動して行った。このことが更に拍車を駆け、今まで賑わっていた通りがどんどんと寂しくなり、櫛の歯が欠けて行く状態となり、閑散とした通りになっていった。
 今我々がこうしてゆっくりと散策できるのもこのような理由である。このような街並みを隅からすみまで歩いて周っても、こじんまりとした一角に集中しているので一二時間も費やせばその景観を優に満喫できるのである。[続く](写真:備中高梁)
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街道を歩くということ その四

2005-09-22 00:13:25 | 街道関連
 ところがである。経済を優先させるがため、また、より一層の繁栄を目指すために一筋の道を拡幅し、整備した。点と点をいかに短時間で結ぶかということにやきもきし、幹線、地方道はそこに有る街道の殆どを利用してきた。利便性を計ることや、経済発展の為には開発も破壊もやむなしの時代でもあった。
 しかしながら、これらの道路整備は、両脇からせまる低い軒をそこのけと言わんばかりには取り壊してはいないのも確かであり、むやみやたらではなかった。迂回し、或いは保存し、その佇まいを今に残してくれている。[続く](写真:吹屋の街並み)
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街道を歩くということ その三

2005-09-21 00:08:49 | 街道関連
 破壊をまぬがれてきた町家等が連綿と続き残されてきたのは、歴史の怒涛なる流れの中で、今あるものを大事に大事に使っていこうという精神があったればこそであり、どう残してどう生きていくのかというしっかりとした指針を持ち合わせたからこそ、できたのである。是こそが日本人の心であろう。
昭和30年代前半、朝鮮半島の戦争による特需によって日本が栄え、何百年も変わらずに人通りの多かった街道筋の建物が次々と新しい建物へと建て替えられていった。
しかし、そのような流れの中にあっても、その時代に奔流されずに、受け継いできた。遺産を売らない、建て替えないという精神で、頑として守られてきた建物が、30年代の新築建物と混在して今に残され、見る者により一層のロマンを掻き立たさせるのである。[続く](写真:中津街道 中津城を望む)
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街道を歩くということ その二

2005-09-20 13:48:44 | 街道関連
 しかしながら、残念なことに城下町はといえば、近代において各地の拠点であったが為、歴史という時代の流れに飲み込まれてその殆どが破壊され、武家屋敷の通りや商家の街並み等は今となっては窺い知れないのが現実である。明治と言う近代文明が、いや、それ以前、維新の前夜、終末夜の空を焦がして城が、街が、その変化の喜びの証としての松明に代わるものになってしまったのであり、明治政府によって旧態の象徴であった城が悉く破壊されたのである。さらに近代文明の潮流が例外なく日本にも押し寄せ、その流れに乗る以上に無理をしたがため、それから数十年を経て日本を焦土と化したあの太平洋戦争による破壊が更に拍車をかけることになったこともそうである。そこにはその町名のみがかつての名残を留めているだけでは寂しい気がする。[続く](写真:吹屋の街並み)
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街道を歩くということ その一

2005-09-19 07:46:09 | 街道関連
 街道と言う言葉に何を感じ何を思うだろうか。今でも日本の各地至る所に旧街道が存在する。はたしてそこにはいったい何があるのだろうか。たったこの二文字の中に歴史のロマンや人間味溢れた往時を垣間見ることができるかもしれぬ。
城下町、宿場町、門前町等が形成され、これらの拠点を繋ぐために街道が整備され、網羅されてきた。そして今でもこれらの街道が各地で保存され、その街並み、家並みがその地に溶け込んで日本の日本らしさを醸し出している。(写真:中津街道小倉橋)
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