街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

リクエストにお応えして 2

2006-11-30 11:04:48 | Weblog
 昭和44年1月下関駅D51型 私が中学3年の時に撮った写真です。
 D51とは判りにくいかもしれませんが好きな写真なのでアップします。
 この二枚を見て君は何を感じたかな。もしなにか感じたならばコメント下さい。
見ている方どなたでも。お願いします。
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リクエストにお応えして 1

2006-11-30 11:00:26 | Weblog
 昭和45年8月筑豊本線原田駅にて C55型
 歩く会会員ではないけれど、知り合いのS君へ。君のリクエストにお応えして私の高校二年のときに撮った写真をアップします。
 蒸気機関車がなくなる数年前です。
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歩いたその後

2006-11-27 17:46:19 | 秋月街道
 「11月5日歩く会」の草稿が、ご覧のようにやっと最終回となりました。
 また来年の春、3月末か、4月初めの日曜日、桜が満開のときに(去年はこの時期全然咲いてはなかったのですが)歩こうと思っております。
 また、新メンバーも加わり楽しくなることでしょう。
 私の教え子も歩くかもしれません。もちろん教え子親子で歩くわけですが。
 まだ見知らぬ読者の皆様、もしお近くに住んでおられましたら一度一緒に歩いてみませんか。すると、また必ずどこか歩いてみたくなりますよ。確信して言えます。(写真:笑顔が絶えない)
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リクエストにお答えして

2006-11-26 12:01:55 | Weblog

 炭鉱の象徴であるボタ山が見える。忠隈炭鉱全盛時のボタ山である。ここは飯塚駅C55がいまにも飯塚駅を出発する瞬間である。昭和45年夏、私が高校二年、蒸気機関車を追っていた頃の写真である。
 筑豊本線は九州で最初に複線化された。石炭を若松港までに運ぶためである。この地は石炭の宝庫であった。為に、鉄路は縦横に敷設された。しかしながらご存知のように石炭の時代はあっという間に凋落した。それとともに鉄路は赤錆を浮かし、消えていく運命を辿ったのである。
 人間は去っていき、街は成長を止めってしまった。今は少しでも成長していこうとして試行錯誤している。
 ボタ山は木々を生やし、街の成長をじっと見つめ見守っているかのようである。(写真:C55とボタ山  クリックするとよく見えます)

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秋月街道を歩く (最終回)

2006-11-26 09:38:20 | 秋月街道
 やっと終わりました。列車に乗り込み帰路につくだけである。車窓からは歩いてきた道が途切れ途切れに後ろに流れて行くのが見える。わずか20分足らずで採銅所駅に到着してしまった。当たり前のことではあるが、今まで見えなかったものが歩くことによって、なんと多くのもを見ることができるのかと、改めて認識したのである。
 採銅所駅からも、我々と入れ違うようにして秋月街道を歩いてきた人たちが列車に乗り込んできた。(写真:我輩)
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秋月街道を歩く (その十九 3)

2006-11-26 09:24:04 | 秋月街道
 振り返るとそこに、歩いてきた道は家へと続き、友達がいる。(写真:振り返ると)
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秋月街道を歩く (その十九 2)

2006-11-26 09:21:50 | 秋月街道
 右に緩く弧を描いてまだまだ続く秋月街道
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秋月街道を歩く (その十九)

2006-11-26 09:19:42 | 秋月街道
 一息も二息も着いた所でも汽車の時刻にかなりの余裕があるので、秋月街道の先を行くことにした。と言ってもそんなにたいそうなことではなく、ここ田川後藤寺のアーケードの下を秋月街道が通っているのである。往復の時間を考えて先に行ってみると、アーケードが切れたところでいい時間になった。先を見ると右に緩く弧を描きながら先に続く道は、私にとって未知の世界ではある。
 猪膝宿に続き、山田を抜け、大隈、千手、そして冬は雪で閉ざされる難関の八丁峠を越えると秋月に至る。さらに道は続き、久留米御井まで続いて行く。(写真:先へ続く)
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秋月街道を歩く (その十八 3)

2006-11-25 09:06:09 | 秋月街道
 女将さんです。一年に一度しか訪れることはないのではあるが、いつも立ち寄っているような感覚で接することも気楽でよい。(写真:女将さん) 追伸:もうすこし続くことに御容赦
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秋月街道を歩く (その十八 2)

2006-11-25 09:02:41 | 秋月街道
 我々が高校生時代に立ち寄ったような店である。なぜか落ち着く。どっかと腰を落とし、深いため息をつきながら皆一斉に注文するのである。音頭とりもいなければならず、まとめ役もいなければならない。まるで昔に返ったようで楽しい瞬間である。(写真:明治屋)
 
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