香春王陵(勾金陵墓参考地) (福岡県)
宮内庁管理の下、立札には勾金陵墓参考地と書かれているが、埋葬者の名前までは書かれていない。
天武天皇の御代(679年)九州に派遣されているのが「河内王」と言う名前になっていて、その王に恋心を抱いていた「手持の女王」が若くして亡くなった王に対する歌をよせ、その歌が萬葉集に載せられている。
ここ香春の地であることから香春王とされているようだが・・・だからこの地は陵墓参考地とされてある。
説明文中に「手持女王」という名前が見えるので記したいことがある。
万葉集 巻の第三
417 王の親魄合へや豊国の鏡の山を宮と定むる
418 豊国の鏡の山の石戸立て隠りにけらし待てど来まさず
419 石戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
河内王が亡くなって慕った詩である。
この詩に出て来る 鏡の山
鏡 と名付けられたのは 恐らく神功皇后由来であろう 鏡ヶ池位置
当該ブログの記事は令和5年3月26日から29日までである。