街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

香春王陵(勾金陵墓参考地) (福岡県)

2023-03-30 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

香春王陵(勾金陵墓参考地) (福岡県)

 

 

宮内庁管理の下、立札には勾金陵墓参考地と書かれているが、埋葬者の名前までは書かれていない。

天武天皇の御代(679年)九州に派遣されているのが「河内王」と言う名前になっていて、その王に恋心を抱いていた「手持の女王」が若くして亡くなった王に対する歌をよせ、その歌が萬葉集に載せられている。

ここ香春の地であることから香春王とされているようだが・・・だからこの地は陵墓参考地とされてある。
説明文中に「手持女王」という名前が見えるので記したいことがある。

万葉集 巻の第三 

417 王の親魄合へや豊国の鏡の山を宮と定むる
418 豊国の鏡の山の石戸立て隠りにけらし待てど来まさず
419 石戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく

河内王が亡くなって慕った詩である。

 

香春王陵(勾金陵墓参考地)位置

この詩に出て来る 鏡の山 

鏡 と名付けられたのは 恐らく神功皇后由来であろう 鏡ヶ池位置

 

当該ブログの記事は令和5年3月26日から29日までである。

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水島 (熊本県)

2021-07-26 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

水島(熊本県)

 

 

水を司る神様(龍神社) 目の前には水島があるから創建したのであろうが・・由来などが何処にも無いんだな。もしかすると道路の向こうに鳥居があったからそこに行けば何か判ったかもしれないな。
しかし、この風景を一度でもいいから御覧になって頂きたい。日本書紀 景行天皇 筑紫御巡幸時に記されている。居たとか居なかったとかは置いといて1300年も前から知られていた場所なのである。それを護るようにして創建されているのだろうな。良いところだよ。

日本書紀 景行天皇 熊襲討伐を終え都に向かわれようとして筑紫の国を巡幸・・・海路から葦北の小島に泊まり、食事をされた。その時、小左を呼んで冷たい水を献上させようと・・この時島の中に水がなかったので、小左が天を仰いで天神地祇に祈った。するとたちまち冷たい水が、崖のそばから湧いてきた。それを汲んで献上した。それでその島を名づけて水島と言った。その泉は今でも水島の崖に残っている。

萬葉集 巻の第三
二四五  聞くが 如 まこと貴く 奇しくも 神さび居るか これの水島
二四六  芦北の野坂の浦ゆ船出して 水島に行かむ 波立なゆめ
長田の王の筑紫に遣さえて水島に渡し時の歌 二首
その昔から有名な場所であった。我輩は古墳探訪の為早朝出発し、この地を最初の目的地とした。清々しく良いところである。向うには島原半島に座す雲仙普賢岳が・・
中島があり、、小さな岩礁も。これだけでも絵になるところで風光明媚な史跡である。そうよな1300年前から名所旧跡だったということだからな。本当に良いところだよ。

 

水島位置  龍神社位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)7月14日から25日までである。

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宇土城跡(城山)伝三ノ丸跡出土の装飾石材 (熊本県)

2021-01-29 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

宇土城跡(城山)伝三ノ丸跡出土の装飾石材(熊本県)

 

 

宇土市立図書館正面に向かって右通路側脇に展示されている。表題の通り宇土城跡(城山)伝三ノ丸跡付近で発見された。それらは線刻を持つ石室石材である。そこに古墳があったわけではなく近在の巨石石室を持つ古墳の石材を抜いて石垣の一部などに転用したものである。賢明なる読者諸氏も既にご存知であろうが、この様な転用はここが珍しい訳ではない。有名な城の石垣にも見ることが出来る。さて、巨石石室を持った古墳であれば6世紀後半(末になるかな)以降に築造されたものと思われる。その様な古墳が宇土城付近にあったのだろうな。 ただね、線刻があるというものの目を凝らしてみても判らないんだな。

 

宇土城跡(城山)伝三ノ丸跡出土の装飾石材位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)1月25日から28日までである。

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八代神社(妙見宮) (熊本県)

2021-01-08 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

八代神社(妙見宮)(熊本県)

 

 

本殿の正面をまっすぐ行くと砥崎の河原がある。そう祭りの会場である。御祭神である天之御中主神、国常立尊はその姿を御覧になって喜ばれていることであろう。「妙見さん」と言えば小倉にもあるのだが、こちらは「和気清麻呂」である。 清々しい場所で、神社関係者は勿論のこと地元の方や多くの方々に大事にされていることが伺える神社である。良いところだ。そうそう、目の前の水無川の少し上流には懐良親王御陵もある。

 

八代神社(妙見宮)位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)1月1日から7日までである。

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懐良親王御陵墓 (熊本県)

2020-12-31 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

懐良親王御陵墓(熊本県)

 

 

第96代後醍醐天皇皇子で、征西大将軍として九州に赴き活躍。南朝方の全盛期を築いた方である。後、征西大将軍職を辞し、筑後矢部で病気により薨去された。その墓所については数か所伝えられているのは賢明なる読者諸氏もご存知であろう。宮内庁はこの八代の地を治定している。さらにこの治定を完全なものにしたのは大正5年に発見された親王御自筆銘の宝篋印塔が発見されたことでもあろう。この宝篋印塔は親王御陵墓の傍らにひっそりと佇んでいる。水無川の清流が参詣する人々の心を洗い流すようだ。

 

懐良親王陵墓位置

 

当該ブログの記事は令和2年(2020)12月21日から30日までである。

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船場石橋 (熊本県)

2020-12-20 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

船場石橋(熊本県)

 

 

令和2年11月4日 古墳探訪で宇土を宿泊場所と決めたのはこの石橋を訪れるためであった。熊本地震で崩壊したが見事に復活している。上記の如く石橋だけでなく心に刻んでいる方の顔が浮かぶからである。石の階段に腰を下ろして記憶を辿ったところである。離れ難く後ろ髪を引かれる思いではあったが・・・その方が橋の上に立ち、我々夫婦を見送ってくれた姿が目に浮かぶ。榎がさやさやとその方の代わりに声を掛けてくれた。

 

船場石橋位置

 

当該ブログの記事は令和2年(2020)12月5日から19日までである。

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パコダの塔 (福岡県)

2020-11-14 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

パコダの塔(福岡県)

 

 

久しぶりにパコダの塔を訪れた。「パコダ」が英語だったということを今日の今日まで知らなかったことに恥じている。小学生の時に遠足で訪れて以来なものだからな。天井があちこち傷んでいる。今にも天井板が落ちて来そうな個所もある。少ないが浄財を寄付させていただいた。 今のミャンマーに問題が生じている。僧の方々は気が気ではないのではなかろうか。平和裏に収まるように祈っている。 北九州にはここ門司港と若松に仏舎利塔が所在することはご存知であろう。

オーナーからの返信 
(Google による翻訳)訪問していただきありがとうございます。幸せで平和な生活をお過ごしください。
(原文) Thank you for your visiting.I wish you a happy and peaceful life.
 
 
 
 
当該ブログの記事は令和2年(2020)11月6日から13日までである。
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門司城跡 (福岡県)

2020-11-04 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

門司城跡(福岡県)

 

 

平知盛(清盛の四男)が源氏に備えて築城した。城と言っても今見受けられる城ではないことだけは知っておいてもらいたい。眼下に関門海峡を臨み西に目をやると響灘(小倉方面)、東はと言うと瀬戸内海を臨む。 良いところに拠点を構えたのは、戦時中の砲台跡の痕跡があることでも理解できるだろうな。 諸行無常・・1185年 安徳天皇が崩御(入水)されて平家が滅亡するが、源氏も僅か20年ほどで北条氏にとって代わられるのだからな。

 

門司城跡位置

 

当該ブログの記事は令和2年(2020)10月23日から11月3日までである。

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令和二年 初詣 須賀神社

2020-01-16 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

令和二年 初詣 須賀神社

 

 

我輩が小学生のころよく遊んだ神社である。その頃は神社の由来など興味など無かった。当たり前だろうな。最近になって我輩が生まれた地に帰ってきて久しぶりに散歩がてらに寄ってみた。説明(今まであったかな)を読んでみた。「悪疫を終わらせたくば我が宮を建てよ」無茶苦茶だぜ。ありし日とは全くもって姿が変わってしまったが、時の流れは誰も止められぬ。

 

須賀神社位置

 

当該ブログの記事は令和2年(2020)1月3日から15日までである。

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扇﨑千人塚 (熊本県)

2019-10-12 00:10:00 | 史跡フォトチャンネル

扇﨑千人塚(熊本県)

 

 

うーむ、本当にこれは古墳なんだろうか。扇崎千人塚というのが正しいのだが・・説明看板にはこれが古墳だと一言も触れていない。供養するために古墳を利用したとも書かれていないしな・・これが円墳だとすれば大きな円墳になるが。我輩の頭の中では古墳ではないのだが・・間違ってたらごめんね。

 

扇﨑千人塚位置

 

当該ブログの記事は令和1年(2019)10月7日から11日までである。

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