街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

山陰道(北浦街道)

2008-06-30 09:50:10 | 街道関連

 今浦の海岸である。どこにでもあるお社がある。恐らく海の安全を見守る神社だろう。どんよりとした雲が水平線とつながっている。外海は波が荒く波は石を積んだ堤防で砕け飛沫を高く舞い上げていた。いい風景だった。
 別添の写真は橋を渡った処から望んだものですぐに小山に突き当たるようだ。街道は小山の海側をめぐって益田方面に向かう。
 橋の手前を海側に向かうとこの風景を見ることが出来る。小さく細い川が流れ込んでいく。
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山陰道(北浦街道)

2008-06-29 03:01:29 | 街道関連

 横に長いので収まりきれない。余計に道幅が狭いため正面から狙っても範囲が限られてしまう。今浦にあってこの大きさは不思議な存在のように思えた。
 格子が密に整って清潔感がにじみ出ているようだ。格子の玄関もいい。
 歩を進めていくうち白壁の落ちてしまった土蔵があった。土壁がむきだしになって異彩を放っている。対照的で面白いのだが、風雨に晒され長くは持たないかも知れん。
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山陰道(北浦街道)

2008-06-28 07:29:12 | 街道関連

 道は真直ぐで、海に突き出た小山を目指す。と言っても母がいるのでそこまで行くつもりはない。街道の入口にある屋敷が続く。二人で想像するに、昔は網元だったのではないかなと話をした。他に考え付かない。
 古い建物はこの一軒しかないのだが、ここに立ち寄っただけの価値は十二分にあると言える。この北浦街道にはこうした地域が散在しているのである。点と点を結んで行くには少々時間がかかりすぎるきらいがあって一遍には立ち寄ることが出来ない。人知れず佇む街並みをこうして垣間見ることができるのは楽しいことである。もう少し歩いてみよう。
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山陰道(北浦街道)

2008-06-27 08:23:05 | 街道関連

 宇田郷惣の帰り道。ここは宇田郷今浦である。浦というからには港で、街道らしき筋が一本通っている。その入口に当たる場所にはこんなにも目を惹く建物がある。見入っているのは母だ。
 この界隈を少し散策してみることにした。海風とともに波の音が聞こえてくる。 海上は風が少々ではないようだ。それでもこの通りは両脇の建物によって風が遮られている。それでも少し肌寒い。また、路面が濡れ、いい風情を醸し出している。
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宇田郷惣

2008-06-26 12:57:23 | 街道関連

 宇田郷惣の中心部である。写真中央部山側の辺りが父親の母の郷である。写真なので密集しているように見えるがそうではない。中央を右から左に川が流れ、沿って道が走る。前出したように猫の額ほどの土地で、西は山から、東は日本海へ、あっというまに下っていく。別に風光明媚ではないがいいところである。
 時間も時間である帰路に付く。帰りは萩往還を辿って母との時間を作ろう。
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宇田郷惣

2008-06-25 00:26:08 | 街道関連

 少し雨が落ちてきた。肌寒くもある。バックミラーに写る雑木林側に立って私に電話を掛けている父の姿が私の夢の中に出てきた。にこにこしているのだ。ここは父の母の郷の入口に当たる。来ることが出来て大層嬉しかったのであろう。
 私は「今何処にいるの」と言いながら背景にコンクリート橋を見ていた。「なんだ、惣にいるの。迎えに行こうか」と言った。父は笑ってはいるが答えない。
 「お父さん、行くことが出来てよかったね」と言って夢は覚めてしまった。
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ちょっと一言

2008-06-24 10:51:56 | Weblog
 もう私もいい歳なので目に来ています。それでドラッグストアーに目薬を買いに行きました。で、レジに行き目薬一つと札を出しました。一つなので袋は要らないと言いました。さて、ここで問題ですが店員さんは私に何と言ったでしょう。
 私には到底思いつかない答えが返ってきました。またその答えは理解することが出来なかったのです。
 答え 「袋は大丈夫ですか」 
 私 「袋は要らない」 
 店員「袋は大丈夫ですか」  訳の解らぬ日本語を遣うお前の頭は大丈夫なのかと言いたくなりましたが。
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父親の一周忌(宇田郷惣)

2008-06-24 01:11:35 | 街道関連

 分厚い雲に覆われた日本海。橋間から水平線が見える。寄せては返し返しては寄せ、太古から途切れることのない波が海岸を洗う。ここは小石の浜で、返すときにその小石をさらっていき、寄せるときに小石を戻している。その石を洗うざらざらざらという音が途切れることなく永久に続くのである。
 そしてここではこの波、鳥の囀り、風にそよぐ木々、これだけしか音がない。音は自然である。この中に母と二人で父親を偲び、見たこともない父の母親に思いをはせしばし佇んでいた。
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父の一周忌(宇田郷惣)

2008-06-23 21:54:30 | 街道関連

 父親の母の郷に父の遺影と私の母と三人で行ってきた。季節が季節だけに厚い雲で頭を押さえつけらていたが苦になることもなく移動できたのは良かった。
 ここ宇田郷惣は猫の額ほどの地で真ん中を川が貫き日本海に注ぐ。数日来の雨で川の水は増水していたが水は清らかで澄み切っていた。
 その河口の頭上を山陰本線のコンクリート橋が渡る。鉄道ファンであればご存知の場所である。
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明日は

2008-06-22 08:46:15 | Weblog
 一年前の明日は父親の命日である。あっと言う間に一年が過ぎた。明日は父の母の郷に行く。父も私も雨男、私の母は晴れ女である。恐らく明日は雨だろう。こればかりは没法子である。
 没法子は私が聞いた父の最期の言葉である。何の気なしに口から出たのであろうが中国語だ。11,2歳位に満州に渡ったのである。それが70余年経っても口から出る。
 明日は父の遺影を抱いて母と一緒に宇田郷惣郷に行く。喜んでくれるだろう。
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