街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

初 被リンク

2008-02-29 12:22:53 | Weblog
日経大人のブログみちざね
 ブログを開始して初めてリンクされました。以前、「日経大人のブログ」で全国的に紹介されたことがありますが、他の方のホームページに載せられたのは初めてです。おかげで会を続けないといけないことになりました。
 とは言うものの、なにせ零細な会ですから夫婦二人か、私一人でも歩いてブログネタを仕入れなければなりません。この3月30日は日曜日ですから恒例だった桜を愛でながら(桜が咲くかどうかは判りませんが)採銅所から歩いていきたいと思っています。歩くだけでネタができるので楽でしょう。今度は少し趣向を変えて歩いてみようと思います。みちざねさん、リンク有難うございます。
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岡山県足守

2008-02-21 09:34:52 | 街道関連

 初夏の日差しを浴び白壁が目に眩しい。道路はアスファルトでなくコンクリートである。50年位前は小石を混ぜたコンクリートで舗装されていた。なので両脇の壁、道路も白いので強い日差しを受けて目に眩しいのである。
 ここ足守は観光化されているわけではないので泰然として歩くことが出来る。車は地元の人だけである。その他の車は川の向うを走る。
 街角に佇んでいると時間が経っているのか疑問に思うくらいである。それほど静かで整然としている。ただ人がいない。我々と同じに観光であろう三人いた。合計で五人である。これでは寂しすぎる。
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岡山県足守

2008-02-20 11:35:37 | 街道関連

 岡山県足守である。あれから5,6年が経つだろう。古き良き街並みを訪ねて月に1度は出かけていた。ここがその最初の場所ではこれから少しずつ紹介していこうと思っている。
 高速山陽道をひたすら走り、岡山ジャンクションより左に折れ、岡山総社で降りる。足守川に沿って10分位北上し、左に足守川を渡る。正面にある信号を左に折れると直線道路になる。すぐに圧倒される、いや感動する場面に出くわす。ここが足守である。両の脇に豪勢な建物が威容を誇って並んでいる。すばらしいの一言である。町屋は見受けられず商家が居並ぶ。
 本来足守は城下町ではあるが城はなく陣屋があった。それでここは陣屋町なのである。確かに武家と町人は住み分けがされてある。武家屋敷は残っているもののさして目を惹くものではない。当然である。上級武士でない限りご大層な屋敷にはすむことは出来ない。ところが町人は別である。
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無題

2008-02-19 11:12:44 | 街道関連
 この何年間というもの街道を歩いていない。換言すれば歩く機会がもてないと言うことである。これでは街道を歩く会の名が廃る。会を捨て「いつか街道を歩く」ということにしようか、「偶然街道を歩いていた」にしようかと思っている。
 行動半径が限られてしまって行きたいところも行けないでいるのは真綿で首を絞められているような感じである。
 この界隈では中津街道、長崎街道、秋月街道、門司往還、唐津街道、日田往還、朝倉街道。北は山陽道、山陰道。そしてこれらから横に伸びる脇街道がある。
 殆どと言っていいくらいに歩いてきた。そこには必ず私の妻がいた。歩く速さは私には追いつくことが出来ないがよく付いてきた。これから歩くときもそうなるだろう。
 会は解散である。と言って会は勝手に付けたのだからいい加減であるかもしれない。妻と私の都合のいいとき、歩きたくなるときに歩くことにした。同じところばかり歩くのかもしれないが二人なら良しとしよう。
 二人で、また友人達と秋月街道を数度歩いた。春満開のとき、時期は同じでもまだ春明けやらずのとき、歩く直前で断念したとき、コスモスが満開のとき、紫陽花が満開のときと、同じ街道を何度も歩いた。そのすべての表情が違うことに楽しさを感じていた。この感情を忘れずに、また新しい感動をこれからも見つけたいので歩くことは続けなければいけないと思っている。(写真:山口県厚狭 夫婦二人)
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また湯平

2008-02-16 09:02:12 | 街道関連
 だんご汁を食べる。どんぶり大の鉄鍋にこれでもかと言うくらい具がたっぷりと入っている。熱さをこらえて食べた。美味かった。ふみちゃんと話をしながら食べた。だんごと言っても丸くはなく平べったいのが特徴である。大分で言う「やせうま」である。私の父がだんご汁が好きで、だんご汁だけは自分で作っていた。そのだんごはいったん丸めて真ん中に臍を作るように両脇から押すのである。具は大して変わりはないのだがだんご自体の形状が違う。
 前回ここを訪れたとき道端で干し柿をもらった「ふれあい」という土産物屋をやっていた女性のことを聞くと、目出度く結婚されたと言うことで今はここにいないということであった。
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また湯平

2008-02-15 08:23:42 | 街道関連

 ここは「ふみちゃん食堂」という。70代前半で、京都市内の出身で、父親の都合でこちらに来たそうだ。もう35年ここでやっている。年金があるから何とかやっていけるとのことであった。午前10時から午後3時までは人の往来がないらしい。なぜか。それは旅館の関係でチェックイン,チェックアウトが関係しているとのことだった。さすがに土日祝日は多いとのことだが、ただ風呂に浸かりに来るだけで通り過ぎることのほうが多いのである。
 確かにこの手前に由布院がある。殆どの人が流行に流されてなびくのであろうが、本当の温泉たるものを自分の目で確かめてもらいたいとつくづく思う。
 情緒溢れる温泉街をそぞろ歩くのは日本人の心であり、故郷の様でもある。
 また食事はその土地の良さを髣髴とさせる。洒落たものなどいらぬ。その様なものは都会で食えばよい。ここでしか味わえないものがある。(写真:ふみちゃん)
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また湯平

2008-02-14 11:43:23 | 街道関連
 追伸 最近の寒さの中、冬眠しているかのような私が千葉の御仁と出かける時は何故か天気が良い。それを狙っているかのように声が掛かる。20余も年齢が違うのだが年に二回位は出掛けている様である。仕事先で知り合い、たまたま中国語の初級を教えることともなった。また古墳に興味があって二人にそれは共通項である。我々は縁は異なもの味なものなのかもしれん。
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また湯平

2008-02-14 10:18:45 | 街道関連
 金の湯の熱さに慣れたころに一人入ってきた。身体も洗おうとせずそのまま浴槽に入っている。我々は眼を見合わせて「もうでろう」と合図をした。せっかくの風呂が台無しである。風呂に入るときのマナーが身についていない。興醒めであり湯醒めである。なんともはやである。二人で文句を言い持って早々に立ち去った。
 気分が悪い所に湯に浸かった為に小腹が空いた。食べる所が見当たらんと思っていると通り過ぎていた。坂の上に食事処の青暖簾が架かっている。丁度良い。ここで飯を食おう。暖簾を押して中に入ると70代であろうか、おばちゃんがストーブの火に当たっていた。今にも眠りそうな感じに見受けられた。壁を見ると二谷英明夫妻と峯竜太の写真とサイン色紙が飾ってあった。その中でおばちゃんは嬉しそうな笑顔で写っていた。献立は10品位か。一番高いのはだんご汁定食で1000円だった。私は「だんご汁定食ね」千葉の御仁は「それ二つ」。二人ともぶっきらぼうである。おばちゃんはお茶を入れながら返事をした。
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また湯平

2008-02-13 10:11:37 | 街道関連
 湯平はここから始まる。ごつごつとした石畳は途中からで、入口からはある程度フラットな石畳で歩きやすい。これが途切れるとそれこそ昔のままのごつごつとした石畳なのである。道は狭まり両脇に肩を縮めながら温泉旅館や商店が並ぶ。面白いのは庇が道にはみ出してないことである。それで道がすっきりと見えるのであろう。本日は中の湯が女性専用となっている。千葉の御仁が疲れたというのでここで入湯しようということになったのだが、このため金の湯で湯を楽しむことにした。
 湯を楽しむのに100円。ただ備え付けの箱に投入するだけだ。脱衣場は三畳程度。湯船と洗い場は二段低くなる。湯が熱い。千葉の御仁は悲鳴を上げる。温泉好きのわりに少々軟弱である。何杯も掛け湯をしてじわっと湯に浸る。日本人でよかったなと思う瞬間である。
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また湯平

2008-02-12 15:02:50 | 街道関連
 千葉の御仁が友人の結婚式参列のため帰ってきた。千葉に戻る前日の暇つぶしに私を誘い出したのである。まあ、かく言う私もそれに乗ったのであるから同様である。御仁は目的地がなく唯何々方面としか言わず、何かと言えば温泉である。風邪をひいている私にはその言葉が苦になっていた。しかし、走るにつれ、時間と相談すると湯平になったのである。湯平は私のお気に入りの場所である。何度行っても飽きが来ない。又新しい出会いがあることを期待しつつ車窓を眺める。
 例によって豊後森に寄り、栗饅頭と金鍔を買った。美味しい和菓子である。最近甘いものをスィーツなどと気取った物言いをするようだが、和菓子をスィーツといってもらいたくないものだ。洋菓子ならいざ知らず和菓子は和菓子である。
 正面に九重の山並みが見える。真っ白で気持ちがよい。
 湯平に到着する。湯平には大分川の源流の一条が脚下を滝のようにして流れ下っている。この川を挟んで温泉が点在する。そしてそれを囲むかのようにして温泉宿が連なっているのである。温泉街には300有余年なる歴史を刻んできた石畳が急峻な温泉街を貫いている。この石畳と両脇から逼る温泉宿がすばらしい温泉街の情緒を醸し出しているのである。何度見ても何時見ても飽きが来ない。一目見て温泉だと判る。本当にいいところである。
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